2001年の「上海経済ツアー」:第八章 “彼ら“ならうまくやれる
ロングテールは偉大だ。どんなトピックであっても、相応の手間暇をかけて書かれたものであれば、それを価値ある情報として読んで下さる方はこの世のどこかにいらっしゃるのであって、そういう方のためにこの「上海経済ツアー」は掲げられているのであります。ハードディスクの中に眠っているよりは全然いいからですからね。ということで、いよいよ最終章。日中共通語のドラえもんについて。
なお、以下は2000年~2001年の取材に基づくものであり、その後の変化などは一切反映させていないことをお断りしておきます。
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■■第八章 “彼ら“ならうまくやれる
■日本から持っていけるものは限られている
上海経済のポテンシャルをざっと眺めてきた。クリームスキミングかも知れないが、どういった層がどんな消費を行っているか、大まかに見えてきたように思う。
と、記していて、お子様マーケットについて何も述べていないのに気づいた。20代後半から30代の両親が子どもにかけるお金は、一人っ子であるからして、所得の範囲内でかなり潤沢である。若い夫婦はかわいい子供服を着せたがる。日本と同じだ。ケンタッキーやマクドナルドに連れて行ってファストフードを食べさせるところも同様。これが多少奮発した外食という位置付けになる。
上海市内には、ケンタッキーとマクドナルドが星の数ほどもある。一度、ケンタッキー店内で、お子様向けのお誕生日会のようなものをやっているのに出くわした。一種のクラブ活動的なイベントである。親がそういう場に出させたがる気持ちも、やはり日本と同じだ。直接話を聞いたわけではないが、ピアノなどのお稽古事もかなり浸透しているとメディアで知った。お子様関係は、日本にいてあらかたイメージできる市場があるように思う。無論、プライシングは元の購買力を反映した水準になる。
さて、こうした上海の経済ポテンシャルに日本人ないし日本企業としてコミットしていく際に、何が肝要なのだろうか?
上海には、日本企業の現地進出をサポートする専門事務所が多数ある。主なものはコンサルティング会社、会計事務所、弁護士事務所、人材派遣会社である。
業務のドメインは各々少しずつ重なり合っている。例えば、コンサルティング会社が日本企業の現地法人設立全般を取り仕切り、法的手続きのみ弁護士と連携するとか、会計事務所が現地市場へのアクセスのバックアップをするといった具合だ。
コンサルティング会社では、三和総研とカネボウ系上海華鐘コンサルタントサービスの名前をよく聞いた。筆者がお世話になった正詢諮詢公司も無論、コンサルティング会社だ。会計事務所としてはデロイトトゥシュトーマツ上海と中堅実力派のマイツ、人材派遣会社ではパソナ系パヒューマコンサルティング上海の存在がよく知られている。
現地拠点設立から業務開始まで、どんな風に進むかをごくごく大雑把に記しておこう。どの部分についても国家・地方政府の制度面のクリアが絡むから、詳細は関連の専門書等で知識を得た上で各々のスペシャリストにあたっていただきたい。
外国企業の中国における拠点は、駐在員事務所と現地法人(以下、現法)の2種類に大別される。駐在員事務所は営業権を持たず、日本の本社機能の一部として連絡業務や情報収集のみを受け持つ存在だ。現法は営業権を持っており、合法的・合制度的なビジネスができる。現法はさらに合弁会社、合作会社、独資会社の3種に分かれる。
駐在員事務所と現法いずれを設立する場合でも、政府窓口に出向いたり、関連の書類を作成したりといったことが必要になる。普通はその段階から、コンサルティング会社ないし会計事務所のお世話になる。法人設立等の手続き回りだけでなく、事務所の確保、備品・情報機器・回線の手配なども相談に乗ってもらえる。弁護士や不動産会社が必要な場合は紹介もしてくれる。
立ち上げ当初の日本人スタッフ体制が整い、しばらく経って、中国人スタッフの雇用が必要になったとする。中国人を正式に雇用できるのは一定の条件を満たした法人に限られるから、条件を満たさない場合は人材派遣会社から派遣を仰ぐことになる。人材募集、賃金交渉、雇用契約、福利厚生面の手当てなどを一括で引き受けてもらえるので、雇用資格のある法人でも人材派遣会社に依頼するケースがあると言う。
営業活動を行う法人の場合は、当然ながら現地の税務当局に決算等の報告をしなければならない。これには中国の会計制度に通暁した会計事務所の支援が不可欠だ。
その他、現地取引先との商談や契約締結場面では、単なる通訳に留まらないコンサルスキルのあるスペシャリストに同席してもらった方が間違いない。代金回収等のトラブルではやはりコンサル会社の智恵を借りるか、場合によっては弁護士に法的手続きを踏んでもらうことになる。
結局、日本企業が現地に持っていけるものと言ったら、商品とビジネスプランぐらいで、残る一切合財は現地の専門会社の手を借りて整える必要がある。
こうした実務回り以外に、現地市場攻略のための戦略立案やマーケティングということになると、まったく別系統の戦略コンサルティング会社やマーケティング会社との連携が必要になる。
■現地化とは何なのか?
上海でビジネスを行う日本人の何人かに話を聞いていくと、必ず、「現地化」という言葉が出てくる。本社系駐在員を多数投入して切り盛りする立ち上げ段階を乗り切ると、駐在コストの面からも、現地市場の深耕という面からも、現地スタッフの増強や中国人管理層への権限委譲を行った方がよいと判断されるようになる。それが現地化である。端的には現地採用人材の仕切り率を上げるということだ。この言葉がたくさんの日本人から聞かれるということは、それだけ難しい課題だということを示している。
中国ビジネスの難しさは、以前から様々な場所で指摘されてきた。主なものを挙げれば、1. 役人の恣意性に委ねられやすく、最近では改正がめまぐるしく行われている法制度面への対応、2. 代金回収の難しさ、3. 中間管理職以上の現地人材がなかなか育たない、4. 取引先の契約違反、である。
1については、WTO加盟によって透明性が増してきているのは確かであり、2と4についても、フェアなルールの執行を仰ぐ環境が整いつつある。理想的な状況になるまではまだ時間がかかるだろうが、これが整備されない限り外国資本は腰を落ち着けないから、政府サイドとしても注意を払っている。
ただ、広い意味では、1~4のいずれも現地化の問題として捉えられる。
ある商社系の現法管理職は、「中国人担当者にすべての予算を預けてはいけない。加減を知らず、全部使い切ってしまう。例えば1週間ごとに細かく分けて、その部分についてのみ裁量があるようにしないといけない」と言っていた。別な専門支援会社のスペシャリストは、「日本人は性善説で中国人スタッフに臨むが、それは甘い」と表現した。彼らの意見では、現地化はごく限定的な範囲に留めるべきで、要所々々には日本人管理職を置くべきだということになる。こうした姿勢を取り続ける限り、3の問題は解決していかない。
1と2の問題の背景には次のようなことがある。中国人は人と人の結びつきを非常に重んじる。インサイドに入ってしまえば非常に手厚くもてなしてもらえるが、アウトサイダーである限り種々の便宜は図ってもらえない。この種の事柄はどの国にもある国民性として理解でき、中国固有の特殊事情ではないと筆者は考える。ただ、現実問題として、その現法の政府窓口担当者が日本人であり、単なるビジネスマターとして政府関係者と交渉を行っているうちは、役人が駆使できる恣意性をメリットのある方へ使ってもらえない。
前章で見た瑞安集団代表の羅氏は、若い頃に中国共産党系の幹部の知遇を得て、上海の開発プロジェクトのとっかかりを得た。インサイダーにならない限りは、こうした便宜が図ってもらえないわけである。その昔、「中国は法治より人治」と評された所以だ。仮に、現法の管理職に現地人脈の広い人材を登用することができるなら、こうした問題はクリアされる可能性がある。
債権回収が困難という事情も、インサイダーには手厚く、アウトサイダーにはそうでないという気質が大いに絡んでいるように思える。ここでもマネジメントの現地化をどしどし推進することによって、解決の可能性が増す。
上海におけるサントリーの展開については各所で紹介されているので詳述しないが、同社が成功した理由の1つに、スタッフの現地化を徹底的に推し進め、問屋・小売店とのコミュニケーションを飛躍的に改善し、代金回収(同社は掛売りをある時期からやめた)がスムーズにできる体制を固めたということがある。
4はビジネスを行う場合、論外と言わなければならないが、これも間接的にはインサイダー/アウトサイダーの対応の違いが関係しているように思われる。つまり、現地化によってこうした事態を起こりにくくすることができるのではないか。
■問題の二重構造
中国に進出している欧米企業の場合、日本企業と比較すると現地化はスムーズに行っていると言われる。複数の人に確認したところでは、欧米企業は中国現法であっても組織運営が機能本位でマネジメントルールが明確になっているため、条件を満たしさえすれば、現地採用人材にも管理職登用の道が開かれると言う。このため、欧米企業と日系企業の双方を選べる大学生や転職者の場合、普通は欧米企業を選ぶという現象が起こる。日本企業は、日本語スペシャリストにしか人気がないわけだ。
一方、日本企業は一般的に、中国現法内部の意思決定権が小さく、本社に従属的になる傾向があると言う。そのため、中国人中間管理職に委ねることのできる権限も小さく、中国人トップ実現の可能性になると非常に限られている。
このことは重要な商談の意思決定や、機敏な展開が求められる場面で大いにマイナスに働く。仮に、中国現法に現地マーケットを知悉し、非常に有効な提案ができる能力を持った人材がいたとしても、すべてが本社の決定待ちということで次第に嫌気がさし、言われたことしかしないダメ駐在員になってしまう傾向があるとも聞いた。未曾有の経済ポテンシャルを秘めた上海にあっては甚大な損失である。
つまり、日本企業は、中国現法内部における現地化だけでなく、日本の本社からの現地化という二重の問題を抱え持っているということになる。
■クロスカルチュラルな“人材仲介”が必要なわけ
現地化の問題は、別な側面から見ても深い構造を持っている。コンサルティング会社の選定にあたっては、日本人トップがいる日系の会社にすべきだと主張する人がいる。その一方で、日系コンサルティング会社が仕切れる範囲には限りがあり、現地人脈等を使わなければ対処できない問題のことも考慮して、中国人が経営するコンサルティング会社を使うべきだという主張がある。
ここで正詢諮詢公司総経理の孫正喜氏の言葉に耳を傾けてみよう。彼は伊藤忠上海事務所で中国人スタッフの採用とケアを受け持つ人事部長として数年間勤務した。数百人規模の大所帯だった。それ以前にも日系団体勤務の経験があるから、日本人のマインドと日本企業の発想法をかなりわかっている。
「中国に進出した日本企業が失敗する原因を探ってみると、人材の問題が非常に大きいと思います。フィージビリティスタディや事前準備の不十分といった本質的な問題を別にすれば、どこかに人材の問題が横たわっています。
それも細かく見てみると、日本人が中国人を信じられるかどうかというところに行き着きます。日本人にも人格があります。中国人にも人格があります」
彼は無論、どういう国の人でも持っている、かっちりとしたプライドのことを言っているわけである。
「そうした人格を認めてもらえない状況では、例えば、“たかり”が発生したり、合作をやってみても、最終的には取られてしまうということになりかねません」
“たかり”とは、軽微な不正行為のことを言っている。典型は購買担当者のキックバック着服だ。また、日本企業の撤退は、89年の天安門事件と97年のアジア経済危機の後で多発したが、そうした外部環境の激変とは別に、経営権を現地サイドに実質的に握られてしまって撤退するケースも過去に間々あった。
仮に、日本人の経営者やスタッフが中国人の中間管理職やスタッフを“本来的には信じていない”ということがあるとすれば、その姿勢は直接・間接的に伝わる。それがある程度の年月蓄積されると、何らかのネガティブなリアクションを招いてしまうということはあり得る話だ。逆の立場で考えなくともよくわかる。
孫さんは、十数年の経験を持つ日本企業の内輪の人間として、率直に表現した。「一部の日本人には、中国人を下手に見る傾向がありますね」。
「従って、人材のミスマッチが引き起こすトラブルを避けるためには、中国人の採用時に、日本の企業文化がわかり、中国人社会をよく知っている人の”眼”による選別が重要になります。日本人の採用担当者が2~3回面接した程度では、わからないかも知れません」
こうした理解の下に、孫さんの会社では採用される側の中国人に「この日本人(日本企業)は大丈夫だ」と念を押すと同時に、採用する日本企業側にも「この人物は大丈夫だ」と保証する。言わばクロスカルチュラルな“仲介”を行っているのである。
■彼らの常識をわれわれは知らない
三章で日本と中国の歴史教育のことについて触れた。日本企業が上海で成功できるかどうかの根幹に関わる問題だと思うので、これについても補足しておきたい。
中国では義務教育課程で、日本軍が行った行為についてかなり詳細に教わる。侵略が具体的にどのように行われ、それがどのような損害を中国に与えたかが、国家によってオーソライズされた歴史として学ばれるわけである。
その結果、彼ら全員が知識として持っている内容を、われわれ日本人はほとんど知らないということが起こる。例えば、その侵略戦争が中国全土に与えた損害は1945年の金銭価値にして日本国民1人当たり2億円に上るが、中国政府はその損害賠償請求を放棄したということを、中国の人はほぼ全員が知っている。われわれは普通、「一人二億円」も「損害賠償請求放棄」も知らない。「南京」も「七三一部隊」もほぼ同様だ。
彼らは知っている。われわれは知らない。そうした両者が出会う。仮にわれわれの側が彼らを卑下するような態度に出たとすれば、彼らの側では学校で学んだ戦時下の様々なことを想起する。
劉さんから聞いた話だが、上海市内で日本人の歩行者が横断時に上海人の運転する自動車に軽く接触した。そこで日本人は運転者に猛烈な抗議を始めた。日本人の立腹はなかなか収まらない。周囲にいた上海人たちが間に入ってなだめようとしたが、それでもなおその日本人はいきり立っている。こういう場面に出くわすと、多くの中国人はごく自然に、戦時下の日本軍の行動を想起するのだと言う。
このように彼らの学んだ歴史とわれわれが学んだ歴史は違う。とすれば、配慮を見せるべきなのはどちらの方なのか?特に、彼らのホームグラウンドで事業を行う場合は、誰がどういう振る舞いを見せるべきなのか?
■上海で起業した日本の若者たち
若い頃から海外に出た経験がある世代は、バックパッカーとして各地をうろつくうちに、この種のギャップがもたらすある種のトラブルを経験し、それによって背景に横たわっているものをほぼ正確に把握する。そして、良好なコミュニケーション関係を築くには何が必要かを割と自然に会得する。30代以下がそうした世代に属する。40代では数が少なすぎる。
今回の一連の取材で、20代後半から30代前半の何人かの日本人男女の話を聞いた。いずれも上海の中国人コミュニティの中に溶け込んで、比較的専門度の高い仕事をしている人ばかりだ。
ティーアンドエス総合研究所代表の谷本秀一氏(今泉注:肩書きは2000年当時。現在谷本氏は東京を拠点に活動している)は、外資系コンサルティング会社と日本のネット系マーケティング会社を経て、上海で起業した。中国各地にある経済開発区に何度も足を運んで日本企業の受け入れ受入態勢をチェックし、有力な担当者とのコネクション作りを行っている。上海を起点に高速道路で数時間もクルマを走らせれば、条件がよいのに日本企業がなかなか進出してくれない開発区がたくさんあると言う。陸家嘴で見たように、開発区は地方政府が手がけるビジネスであり、開発区同士で競合している状況にある。
それらを回って得られた定量・定性データを基に、中国進出を希望する日本企業に対して最適の進出先を提案するのが同社の仕事だ。必要があれば、進出に伴う実務面もサポートする。案件がいくつか来始めたところだと言う。
この事業を育てるのと並行して、日本企業向けのリスクマネジメント事業を開始した。こちらはすでに実績のある上海資本との合弁という形をとる。この場合のリスクマネジメントとは、中国における事業展開のリスクだ。例えば、商標やデザインなどの知的財産権侵害状況の調査と現実的な対応策の実施、取引予定企業の信用調査などを行う。この種の実務を手がけてきた中国人スタッフが多数いるため、オーダーがありさえすればすぐにも対応可能な状況になっていると語った。
谷本氏は、上海で同じく日本企業向けビジネスを手がけるN氏を紹介してくれた。非常に興味深い経歴の持ち主であり、日本企業にとって意義のある仕事に携わっているが、事情があって名前を記すことができない。北京語を流暢に話し、上海の様々なビジネス事情に詳しく、本書を構成する上でも非常にたくさんの示唆やデータをいただいた。彼は上海に骨をうずめることを決意しており、生涯のパートナーとして上海の女性を選んでいる。
二人は学生時代にバックパッカーとして中国各地を訪れており、それで「中国が好きになってしまった」人たちである。Y氏はその後、北京大学に留学している。また、二人とも過去に在籍していた企業で上海進出案件に関与し、その後、上海での起業を決めた。無論、本書で見てきた上海の将来性を確信している。それもかなり早い段階から。
■藤子F的近未来
2001年半ばに開業した滋慶投資諮詢(上海)有限公司は、日本大学を卒業した浙江省出身の孫源源氏と上海交通大学の留学生だった黒田佳久氏、黒田香里氏の三人が経営に当たっている。なお、両黒田氏はご夫妻である。
孫氏は自らの留学経験から、日本に来た留学生とその親御さん、および学生を受け入れる側の学校法人にとって何が必要かをよく理解している。そこで、日本における留学生のケア、親御さんと学校の間のコミュニケーションをサポートするサービスを始めた。クライアントは日本語学校だ。
また、上海進出を狙っている日本企業に対して、駐在員事務所を置く前段階の仮事務所提供サービスも立ち上げつつある。名刺に刷り込んで郵便物を受け取ることができる住所、固定電話の回線などを提供し、クライアント企業の名前で連絡の中継ぎを行う。中国語が話せる社員がいない企業にとっては、非常にありがたいサービスだ。彼らはたまたま東京世田谷で知り合い、仲良くなって、現在の立ち上げに至っている。
本書で記した飲食系の奥行きと深さに関する情報のほとんどは、実は、ある人材派遣会社にセールスマネジャーとして勤務しているO女史氏からいただいている。彼女の北京語はこの上なく堪能だ。中国への留学経験があり、東京のメーカーで勤務した後、上海に拠点のある人材派遣会社に転職した。2000年から日本企業の人材派遣要請がぐっと増え、特に品質管理、店舗管理を任せられる人材のニーズが高いと言っていた。また、中国企業側から日本の技術者に対するニーズも増えている。常に数件のクライアントを抱え、多数の中国人応募者と面接する超多忙な日々だ。
彼らが異口同音に語っているのは、「お金が目当てで仕事をしているわけではない」、「若い頃に縁ができた中国・上海と日本とをつなぐ掛け橋の役割を果たしたい」ということである。彼らと話していると、正詢諮詢公司の孫さんが懸念していたような問題は微塵も感じられない。そうした問題に無頓着というのではなく、問題の所在を知った上で、中国の人たちとやり取りする際の立ち位置が定まっているのである。筆者はこれを大いに好感する。世代が持つプロフィールは少しずつ、インターナショナルなものへと変化している。
2015年頃の上海を思い描く。東京との距離はもっと縮まっているだろう。陸家嘴に本社機能を移す日本企業が増えているかも知れない。李栄歓君や原鳴魅さんのように日本のメディアに慣れ親しんで育った世代が中堅になり、谷本さんやYさんやOさんのように北京語を流暢にあやつる世代が事業を広げ、新天地あたりのバーで日本ネタの思い出話に浸っているかも知れない。宇多田ヒカル。バーチャファイター。ドラえもん。
参考リンク:
2001年の「上海経済ツアー」:プロローグ
2001年の「上海経済ツアー」:第一章 上海で誰に会うか
2001年の「上海経済ツアー」:第二章 都市計画が作り上げる街”上海”
2001年の「上海経済ツアー」:第三章 上海で暮らす
2001年の「上海経済ツアー」:第四章 上海B株企業を取材してみた
2001年の「上海経済ツアー」:第五章 彼と彼女は日本が好き?
2001年の「上海経済ツアー」:第六章 親の世代と子の世代
2001年の「上海経済ツアー」:第七章 上海リッチピープル