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株式会社インフラコモンズ代表取締役の今泉大輔が、現在進行形で取り組んでいるコンシューマ向けITサービス、バイオマス燃料取引の他、これまで関わってきたデータ経営、海外起業、イノベーション、再エネなどの話題について書いて行きます。

2001年の「上海経済ツアー」:第六章 親の世代と子の世代

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2002年のゴールデンウィークのあたりにしこしこ書いていた「上海経済ツアー」を何回かに分けてアップしています。いま読むと、やはりインプットが薄いなという印象があります。立花隆氏によると、アウトプットの質を高めるにはインプットをなるべく多くせよということですが、もう少し厚みのある「上海経済ツアー」を書くためには、最低でも1年は滞在する必要がありましたね。ただ、現実問題、それはできない話だったわけで。
いずれ資料としてお読みになるかたもいらっしゃるだろうということで上げています。

それから補足ですが、当時の中国では村上春樹が相当に読まれていました。それについては前回掲出の第五章に書いてあります。

参考リンク:
2001年の「上海経済ツアー」:プロローグ
2001年の「上海経済ツアー」:第一章 上海で誰に会うか
2001年の「上海経済ツアー」:第二章 都市計画が作り上げる街”上海”
2001年の「上海経済ツアー」:第三章 上海で暮らす
2001年の「上海経済ツアー」:第四章 上海B株企業を取材してみた
2001年の「上海経済ツアー」:第五章 彼と彼女は日本が好き?

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■■第六章 親の世代と子の世代

■起業志向の一人っ子たち

 李栄歓君は今年早々上海にある日系ソフトウェア会社に就職を決めた。日本語を使うプログラマーとして採用され、夏休み明けから勤務することになる。初任給は約4,500元。日本語ができるだけに新卒としては恵まれた水準である。
 日本で就職するシナリオも考えたが、東京で仮に月20万円程度の給料をもらうとしても、家賃、生活費、その他もろもろを考えると、満足に貯金もできない。その点、上海なら、4,500元(6万7,500円)もあれば十分にミドルクラスの生活ができる上、貯金も可能になる。
 5年ぐらい会社勤めをしたら、コンサルティングか貿易などで起業したいという夢を持っている。日本企業相手のビジネスだ。「普通並みの生活はしたくない」、「上海は競争が厳しいけれどチャンスも多い」、「個性のあるライフスタイルを築き上げたい」。そんな風に語る。
 李君には同級生の彼女がいて、結婚を前提としたお付き合いをしている。二人で結婚後の生活についてもよく話し合う。母校華東師範大学のそばには地鉄明珠線の中山公園駅があり、その近辺で新居を持ちたいと考えている。市中心部に向かう始発便が多くあり、便利だと言う。27~28頃の結婚を考えている。

 一人っ子世代の大多数はまだまだ独身。一人っ子政策が始まった79年に生まれた子どもは、22~23歳にしかなっていない。
 李君は結婚を明確に思い描いているが、鳴魅さん(22歳)と周さん(22歳)の場合、まだリアリティがないようだ。結婚よりも、キャリア構築の方が先だと考えている。鳴魅さんが日本語検定の1級を持っているということはすでに記した。これは先々、日本の大学への留学を考えてのことである。
 色々話を聞いてみると、中国では大学入学に年齢制限があり、高校ないし専門学校卒業後2年ほど過ぎると、年齢制限に引っかかって大学受験資格を失う。鳴魅さんは専門学校を卒業後、日本で言うフリーターを1~2年経験しており、すでに国内の大学には入れない。そこで留学を決意した。
 ある時期まではドイツ留学を想定してドイツ語も勉強していた。語学の勉強がまったく苦にならない人だ。やりとりする度に語彙や表現が増えている。ドイツと日本をてんびんにかけたところ、トータルの学費では日本がやや安いとわかって日本に決めた。学業を終えたら「商売をやってみたい」と言っている。簡単なリサーチの仕事を何度かお願いしたが、お金に関しては実にストレートに物を言う。文句なく商売人向きだ。結婚はそのへんの道筋が経った後になるので、遅ければ28ぐらいになるだろうと言った。
 実は、周玫さんも日本留学を準備中だった。彼女は高校時代に大病を患って1年間休学した後、高卒で企業社会に入った。3年ほど社会人生活を送ったが、やはり学歴の必要を痛感し、目的地として日本を選んだ。まず、語学学校へ入り、2年ほど日本語を鍛えた後、文系の大学へ入るシナリオを考えている。
 実に夢の多い人だ。日本で大学を出たら米国留学もしてみたいと言っているし、香港で暮らしてみたいとも言う。思い描いているのは、事業に携わって活躍している自分だ。早くに結婚すると、その夢が実現できなくなると考える。
 三人はたまたま、学業や社会経験を積んだ後の起業を口にしていた。これは会社員生活で得られる給与の上限が見えているからだと思う。非常に語学が堪能で、それをフルに生かせる職に就いたとしても、年間7万元程度(105万円)。現在の上海ではまだまだ無限のビジネスチャンスが広がっているから、それを確実につかんで小規模事業が軌道に乗れば、年収10万~20万元(150万~300万円)も不可能ではない。実現すれば、完璧にアーバンリッチの仲間入りである。

■結婚お買い物リスト

 それにしても13億の人口である。79年生まれ以降の一人っ子世代はこれから適齢期を迎えることになる。それを受ける結婚関連消費の膨大さを思うと気が遠くなる。0~15歳の人口が2億8,979万人(2000年)。2001年発行の中国経済白書によると、潜在的な婚姻需要は年間1,000億~2,000億元に上る。ざっくりとした推計を行うと、同じ年に生まれた男女は約2,000万人。それが毎年適齢期に入っていくことになる。
 中華人民共和国成立以来、彼らがもっとも裕福に育った世代である。まして、経済が上向きの現在、一人っ子世代の結婚が非常に華やかなものにならないわけがない。ということで、どんな消費が起こるか見ていってみよう。

 例のごとく、原鳴魅さんに、標準的なプロフィールの20代男女が、結婚を機に何を買いたいと考えているのかを調べてもらった。お手製リサーチなのでサンプル数は8(男1、女7)と少ないが、ある程度の感触はつかめる。
 結婚前後の消費対象として、ざっと、1. 結婚指輪、2. 披露宴、3. ハネムーン、4. 新居に揃える家具・家電・雑貨、5. 新居そのもの、がある。
 答えてくれた20代女性が結婚指輪として欲しいと思っているのは、やはりダイヤモンド。ブランドは問わない。数千元~1万数千元が目安だ。
 披露宴は高級レストランやホテルの一室を借り切って行う習慣が定着している。親戚、友人、知人を100名ぐらい招くのが一般的。場所代、食事代、その他一式で約2万元が標準的な相場だと言う。これは新郎新婦が自分のお金で払うのが普通。
 ハネムーンの定番は海南島と雲南。海南島は5日間で4,000元前後のコースがある。噂によると海南島はプーケット化しつつあるらしい。雲南は移動距離が長いからか、同じ日数で1万5,000元程度。ただ、国内旅行はもう飽きたという人が多く、一部は欧州やオーストラリアを選ぶ。その場合は、数万元を費やすグランドハネムーンになる。
 購買力平価を考慮すれば、これだけでも相当な出費である。
 現地事情に詳しい日本人の方によると、中国では元来、結婚式が非常に尊重すべきハレのイベントである。歴史的に長く苦しい時代が続いてきたわけだが、そういうなかでは結婚式こそが羽目をはずせ、派手に大っぴらに祝うことのできるイベントだったわけである。それは農村部も都市部も同じ。
 そういう土壌があるものだから、経済的に潤ってきている現在、関連の消費はいやがおうにもきらびやかさを増す。それを端的に示しているのが、結婚カップルの撮影サービスである。

■台湾からやってきた美麗撮影役務

 結婚式を迎えるカップルをスタジオに入れ、記念写真を撮るというサービスはどこの国でもあるわけだが、それをこれでもかというぐらいに美麗な演出を施してパッケージ化したのが、台湾の結婚写真サービスである。それが上海にもやってきた。数年前から定着しているという。
 話を聞いて台湾資本の老舗、巴里撮影に行ってみた。上海本店が陜西南路<ちゃんしーなんるー>にある。
 システムはこうなっている。まず、お嫁さんの方が同社店舗に赴き、サンプル写真をあれこれ眺めて、衣装のタイプ、演出の方向性、写真の加工形態などを選ぶ。
 こういうビジネスはオプションをいかに乗せられるかが勝負だから、お嫁さんの気を引くオプション設定はあちらこちらにある。例えば撮影で使用する小物。奮発すれば本物の白馬を使うこともできる。撮影した写真の加工は、アルバムや写真スタンドは当然として、大判のポスター、文字をあしらったグラフィックデザインバージョン、壁にかけられる小額、デジタルファイルなど、考えられる限りのバリエーションが揃っている。それら一式を指定し、撮影日時を決める。
 撮影当日は、当然ながらお婿さんを連れて、平服で店舗に行く。そこからがお婿さんの我慢のしどころ。お嫁さんの方は着付からメーク完了まで非常に長い時間がかかる。男の着付と化粧はちゃっちゃと済んでしまうから、お婿さんはパーフェクトな出で立ちのまま、延々待たなければならない。撮影を兼ねて同社店舗を訪れた際に、椅子でぐったり寝ているお婿さんを発見してしまった。
 店内のありとあらゆる部分がショールームの役割を果たしている。壁にはカラフルなウェディングドレスがかかっているし、お嫁さんのメイクアップコーナーは玄関を入ってすぐのところにあって、訪れた客が一部始終を見られるようになっている。すべてのセッティングと小物で「ウェディングドリーム」があふれ返っている感じである。苦手な男にはたまらないかも知れない。
 同店の場合はメイクが済むと、通りをはさんで向かい側にあるスタジオに行く。何人かのお嫁さんがウェディングドレスを着て、横断歩道を駆けていく姿を見た。ほほえましい限りである。
 スタジオでは台湾一流のショーアップ演出によってあれこれのポーズをとらされ、ゴージャスでラブラブなカットが四六版のフィルムに収められる。撮影が終わるとその日は終了。あとは、超美麗なアルバムや超シックな写真スタンドができあがってくるのを待つことになる。
 このサービスには、旦那の月給の3倍程度を宛てるカップルが珍しくない。日本で言えば100万円に近い金額である。すばらしいビジネスだ。
 こうした高いフィーを徴収する代わりに、結婚式当日の衣装、ヘアセット、メイクも撮影サービス会社側で見てあげるのが慣例になっている。

■マンションはポンと買うものなのか

 上海の20代女性が結婚前後で一番買いたいと思っているのが、指輪以外では、何とホームシアターである。
 30インチ前後のフラットディスプレイテレビ(非液晶)はそこそこ普及し始めている。VCDプレイヤーは前述のように必備で、値ごろ感のある国産DVD兼用機に置き換わりつつある。DVDで映画やライブビデオを観る際に、音まわりが整えば、一応はホームシアターが完成する。サラウンドアンプとメイン、左右、リア2本、計5本のスピーカーを買い揃えればよい。このサラウンド音響再生機器一式がホームシアター製品として認識されており、ぐっと購買意欲をそそる商品になっている。筆者が漕渓路で借りた部屋にも簡易な5chサラウンド再生セットが置いてあった。
 大手百貨店の家電売場を覗くと、Marantz、DENON、JBLといった著名ブランドがそれぞれにブースを設け、この種のセットを販売している。2chのノーマルな中級機しか持っていない筆者も欲しくなってしまった。
 購買可能な価格帯として認識されているのが3,000元~1万元。日本でも5万~15万円程度のセットの品揃えが充実しているから、まったくリアルタイムで同じ市場があちらにも存在していることになる。

 無論、結婚を機に揃える品物はこれだけではない。「常識的に買い揃えるもの」と断った上で、鳴魅さんに調べてもらったところでは、表●のような商品が挙がってきた(2007年今泉注:すみません、表の原稿がどこかに行ってしまいました)。それぞれの価格帯は上海における相場であると同時に、彼らが出費可能な範囲でもある。
 この表を眺めていると、結局のところ、「世界の工場・中国」の恩恵を一番受けているのが彼らなのではないかという気がしてくる。日本と比べると、価格帯がぐっと低い。これは普通に理解できる。現地の賃金水準を反映しており、かつ、製造コストの安さを反映している。しかし、その背景に思いをめぐらせてみると、もっと別な理解ができる。
 電気・電子技術を使う製品のうち、ミッドレンジ以上は輸出用に生産環境が整えられたものである。過去数年は、それによって積極的に外貨を稼いだ。それととともにGDPで年々7~13%程度の成長を遂げ、賃金水準も上がってきた。そうすると、過去に輸出用に生産されていた製品が国内でも販売可能になる。欧米日のコストの高い経営を経ずに、国内生産品を国内流通網に乗せることができれば、中国国内の消費者が受けるコストメリットは計り知れない。産地直売のようなもので、いいモノが安く買える。
 為替レートベースで見た賃金水準が非常に低いのに、購買力平価ベースでぐっと高くなる理由は、このへんにもありそうだ。

 結婚関連消費はまだまだ終わらない。新居がある。上海に初めて来た際にガイドの孫韵斐さんから「マンションを持っている」と聞いてびっくりしたが、その後、様々な方に伺ってみると、上海では割と気軽にマンションや家を買う。ちょっと小金ができたので買う。息子が結婚を控えているから買う。賃貸はイヤだから買うといった感覚である。
 当然、結婚を控えたカップルも新しいマンションを買うのが普通のことだと思っている。鳴魅さんによれば、一般的な予算は30万元(450万円)を1つの基準として、上下10万元の幅がある。30万元あれば、上海中心部からややはずれた地鉄の便のいい地区に2LDK程度の部屋が買える。全額キャッシュは無理としても、半分~2/3程度の初期費用を用意し、残りはローンを組む。初期費用は親が負担するケースが珍しくない。
 上海のマンションは、内装なしの打ちっぱなしで販売されるのが普通で、好みの内装に仕上げるのに、さらに5~10万元(75万~150万円)かかる。筆者が借りた漕渓路の部屋は76平米で42万元。内装に4万元かけたとのことだった。
 李栄歓君は、「結婚資金として二人で50万元(750万円)は貯めたい」と言っていた。彼らの場合、二人で貯めた資金で新居初期費用もまかなおうとしているわけだ。まったく頭が下がる。ちなみに、「上海で結婚するなら30万元(450万円)は絶対必要」とも言った。
 以上が結婚関連消費の大まかな全体像である。非常に厚みのある消費と言うべきだろう。購買力平価で考えれば、世界でも例を見ない、空前の規模を持ったブライダル市場がこれから形を表してくる。

■お金を惜しまないのが親というもの

 通訳を引き受けてくれた劉柏林さんには高校に通う息子がいる。息子を日本で小学校に入れ、高校入学まで日本で育てた。中国の一人っ子世代を客観的に見られる立場にいる。
 一人っ子世代に対する彼の評価はなかなか辛口だ。いわく「ひよわ」、「経験がなさすぎ」、「環境変化への適応能力を欠く」、「わがまま」等々。日本の若者と比較してそういう評価が出てくる。日本はどしどしアルバイトをして社会経験を積んでいく。非常にたくましい。私にはそうは思えないが、彼の見方はそうである。
 中国の一人っ子は、両親と4人の祖父母からこの上なく大切に育てられた上に、就学中のアルバイトが認められていない。社会経験がまったくないまま、大学を出て企業に入る。知識だけはしっかりあるが、現実的な仕事遂行能力に欠ける。大学を出てみたものの職がないというケースも相当あるのではないかと言っていた。
 親の世代がなめた苦労の反動だろうというのが彼の分析だ。

 上海滞在中、市内を1日クルマで回って撮影する必要があったので劉さんに手配してもらった。やってきたのが楊さんだ。ワンボックスカーを保有して軽運送業を営んでいる。1日回った後で、四川風火鍋をつつきながら話を聞いた。
 現在の仕事を始めるに至った経緯から記した方がいいだろう。自分の手で儲けたい。そう考えて国営企業を退職した。退職金として5万元を得た。3万元の貯金がある。あと5万元あれば、国産ワンボックスカーを買って運送業ができる。そこで国営企業を定年退職していた兄に相談し、兄の退職金5万元を投資してもらった。これでキャッシュでクルマを買うことができた。「上海人はローンを使わない」と言う。「夫婦で国営企業に勤務していれば年間2万元の貯金ができる」とも言っていた。住宅などの福利厚生がしっかりしているためである。
 クルマを買って半年。毎月5,000~6,000元の収入があり、「儲かっている」とのことだった。外資系企業の専門職と同じ水準である。
 小学生の息子がおり、「いくらお金を使ってでも大学に入れたい」と考えている。教育費が収入の1/3になろうが問題はない。「望子成龍」と表現した。自分の夢を子どもに託している。
 李栄歓君が結婚資金として二人で50万元用意したいと考えていることについて、どう思うか聞いてみた。楊さんいわく、「その水準は当たり前だろ」。「オレなら父親として一人で50万元出すね」とのこと。
 昨今の結婚関連消費が奢侈に流れやすい傾向があること。ちゃっかりしたカップルは8人の祖父母からもらえるお金も当てにしていたりすることも十分承知している。その上で、息子のために50万元、ポンと出すというのである。太っ腹だ。
 楊さん自身の結婚の時は状況がまったく違った。10数年前である。結婚写真を撮るためのカメラは写真屋から借りた。フィルムはモノクロ。それで素人写真を撮った。それから数年後、弟が結婚した。今度は写真屋がカラーフィルムの入ったカメラを持ってやってきた。できあがってきたカラー写真を見た時、妻は感極まって泣いたという。

■下放の数年

 ある人から文化大革命時代の話を詳しく聞かせてもらった。仮にAさんとしておこう。彼は1950年代半ばにある都市で生まれた。父は地主の息子、母は小資本家の娘、二人とも銀行に勤務していた。親から受け継いだ30以上の不動産があった。完全なブルジョアである。
 1966年から文革が始まった。父母は批判の矢面に立たされた。文革の大義は農民と工場労働者によるプロレタリア革命の徹底的な推進である。生まれながらであっても、勉学によって得たものであっても、知識階級、地主、資本家(企業経営者)の地位を持っている者は、その地位にいるというだけで思想改造を迫られた。ほとんど犯罪者扱いである。家には「地主の子孫。革命の敵。反省しろ」と大書した大判の紙が貼られたりもした。学校ではAさん自身もブルジョアの子どもとして批判の的になった。批判集会が小中学校の中で持たれるのである。
 70年代前半、10代後半だった彼はさらなる思想教育を要求され、農村部に下放された。思想改造キャンプで寝泊りしながら、小麦生産に従事する日々が数年続いた。宿舎から小麦畑までの往復は隊列を組んで歩く。
 その間、勉強らしい勉強は一切できなかった。労働が終わり、宿舎に帰ってきて粗末な食事を済ませると、思想教育が待っている。英語を勉強しているところが見つかりでもしたら殴られる。
 宿舎に白黒テレビがあった。毎日放映される番組は決まっていた。7本の革命現代模範京劇。でなければ2本の革命バレエ。それだけが数年間、繰り返し繰り返し放映された。皆がセリフをそらんじることができるほどだった。ラジオや有線放送から流れてくる音楽も、革命思想高揚の数曲と決まっていた。
 10代だった彼はいつしか20代になっていた。ある日、小麦の穂と茎をより分ける風選の作業をしていた時、有線放送からここ数年聞いたことがない曲が流れてきた。美しい女声が晴れ晴れと歌っていた。文革以前、誰もが親しんでいた「洪湖水浪打浪」だった。皆が立ち上がった。皆が同時に理解した。「結束了」と誰かがつぶやいた。10年に及ぶ文化大革命が終了した瞬間だった。

■歴史を潜り抜けた一族の宴席

 鄧小平が実権を握り、79年に改革開放路線が敷かれるようになってから、文革は実質的に否定された。文革を否定しない限り、外資を取り込んだ経済成長など成立し得ない。その否定の上に現在の上海が築かれている。それはよい。
 だが、文革時代に物心がついていた世代から上の人たちはすべて、壮絶な10年間を生身の体で経験した。特に、初等~高等教育を受けて当然の年代だった人たちに、大きな負の遺産を残している。彼らはもっとも多感な時期にまともな教育が受けられなかったのである。
 聞けば「四〇五〇」<すーりんうーりん>という隠語があるのだと言う。若い時に文革の影響を受けた現在の40代50代を指す。「四〇五〇」で高等教育を受けられた人はおおよそ10%に過ぎず、その後の職業選択に大きく影響している。
 上海で企業取材をした時、対応してくれる方々がすべて若いのに驚いた。おそらく、40代50代の人材が圧倒的に不足しているのだろう。われわれ日本人が上海に行って何かする際に、企業人として対応してくれる40代50代の方がいたら、それは例外的な経歴を持った方である。文革終了後、2~3年で10年分を取り戻すべく猛烈に勉強をして大学に入っている。数年間、寝床で眠ることなく、着の身着のままで1日十数時間も勉強したという話を聞いた。
 そうした勉学が何らかの理由でできなかった人たちは、国営企業などに勤務し、結婚し、子どもを育て、現在に至っている。多くの一人っ子世代の父母はそうしたプロフィールを持っている。子どもの消費に甘いのもうなづける。
 彼らが結婚する時、新郎側の“6ポケット”と新婦側の“6ポケット”が合わさって“12ポケット”になる。それによって消費のきらびやかさが一層増すとすれば、両家の一族にとって歴史的な意味がある “ハレ”だからである。


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