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株式会社インフラコモンズ代表取締役の今泉大輔が、現在進行形で取り組んでいるコンシューマ向けITサービス、バイオマス燃料取引の他、これまで関わってきたデータ経営、海外起業、イノベーション、再エネなどの話題について書いて行きます。

2001年の「上海経済ツアー」:第四章 上海B株企業を取材してみた

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中国株も投資対象として検討に値しますが、もちろん現在の相場では論外でしょう。以下を取材したのは確か2002年の2月ぐらいだったと思います。当時非常に気になったのが、一部の中国企業のオーナーシップの複雑さ。前身が国営企業である場合は、オーナーシップを上へ上へたどっていくと、国外の人間には非常に把握しづらい「誰が誰を所有しているのかよくわからない状態」が見られました。日本の株式持合いにも似ていたりして…(なんちて)。
オーナーシップがはっきりしないということは、意思決定の主体が見えないということであり、企業価値の向上にはマイナスです。ガバナンスもよく働かないのではないかと思います。

なお以下は2001年~2002年当時の状況に基づく執筆であり、その後の制度改正などを一切反映していないことをお断りしておきます。

参考リンク:
2001年の「上海経済ツアー」:プロローグ
2001年の「上海経済ツアー」:第一章 上海で誰に会うか
2001年の「上海経済ツアー」:第二章 都市計画が作り上げる街”上海”
2001年の「上海経済ツアー」:第三章 上海で暮らす

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■■第四章 上海B株企業を取材してみた

■社名が読めなくて銘柄が選べる?

 今回の取材では、上海B株企業のいくつかをどうしても取材してみたかった。
 中国株に不案内な方のために、「上海B株」について少し説明しておく必要があるだろう。中国では、上場銘柄を取引する場として上海証券取引所と深圳証券取引所がある。どちらも2種類の株を扱っており、A株が元建てで中国国民向け、B株が外貨建てで外国人向けである。上海B株は米ドル、深圳B株は香港ドルだ。銘柄数はA株が圧倒的に多く、両B株は50数銘柄ずつしかない。B株上場企業は年次報告書や各種の告知を英語で出す必要があるからだろう。会計監査も普通は欧米の会計事務所がやっているようである。なお、2001年2月から両B株を、一定の条件を満たした中国国民も買えるようになった。
 日本にいて両B株を取引するためには、内藤証券、平岡証券といった中国株を取り扱っている証券会社で口座を開設すればよい。インターネットを介して取引ができる。

 2001年の半ばに小金があったので、中国株を買ってみようかと思った。日本国内の株はまだまだまずい気がする。かと言って米国株が買える状況にはない。将来性を考えればやはり中国株だろうという素朴な思いからである。
 主だった国の市場指数を調べてみても、ここ数年、ほとんどの市場が米ナスダックないしニューヨーク市場と連動した動きを示すのに対し、中国株だけはやや異なった動きをしている。つまり、相場観の異なる人たちが他市場とは異なったパターンで資金を出し入れしているわけである。これは、世界経済がますますグローバル化し、株式市場の上昇も下降も一蓮托生的な状況がある現在、非常に好ましいことのように思える。
 ただ、上海B株市場の時価総額は70億~80億米ドル程度、深圳B株市場の時価総額は55億~65億ドル程度と市場規模が小さく、その弊害が出る時がある。上述のように、2001年2月に両B株市場が中国国民に一部開放されることになった。新規資金の流入を当て込んで2月前後に相場は異様な急騰ぶりを示したが、その騒ぎが済んだ2001年夏に相場は腰砕けとなった。現在(2002年4月)に至るまで、ほぼそのままの状況が続いている。これは個別企業の業績ではなく、需給次第で相場が上にも下にもぶれるということを示している。
 ただ、裏を返せば、今後仮に日本や欧米の投資家が多数参加するようになれば、相場の底上げが期待できるということでもある。それにプラスして将来の成長がある。
 もっとも、よく指摘されるように、中国上場企業の会計の厳密さ、投資判断に不可欠な種々の情報の開示については、まだまだ懸念がある。なにせ、株式市場が開設されてから10年程度しか経っていない。それに、上場されている企業のほとんどが国営、地方政府営を前身としている。基本的には新興市場特有の脆弱さがあると考えてよい。

 こうした中国株を買おうとする場合、問題は情報探しである。インターネットを使ってあちこちで情報を集めてみたが、どうにも情報量が少なくて、個別銘柄の絞込みが難しい。情報とは、日本語の情報のことである。
 冒頭で触れた上海の旅行会社の孫韵斐さんも「インターネットを使って株の情報を入手しています」と語っていたほどに、中国語の株式関連ウェブサイトはかなりたくさんあり、中国人は、米国人が米国株情報を入手するのに等しい恩恵を受けている。無論、筆者はこれが使えない。
 そこで日本語で情報を探そうとすると、以下のことに気づく。
 まず、われわれは中国企業の名前をほとんど知らない。欧米の大企業なら誰でもすぐに20社ぐらい挙げることができるし、それぞれの業務内容についても大体のイメージがある。中国企業ではどうか。三洋電機と提携した海爾<はいあーる>、トヨタに高品質な鋼板を提供している宝山<ばおしゃん>など、一握りの例外を除けば何も知らないに等しい。そして残念なことに、そうした企業は上海・深圳のB株市場には上場していない。
 そこで、両B株銘柄の社名と大まかな業務内容を頭にインプットする作業から始めなければならない。ここで、つまづいてしまう。社名表記に非常に多くのパターンがあり、複数のサイトで統一がとれていないのである。
 中国企業の社名表記には、ざっと以下の8種類がある。
1.    簡体字による正式社名
2.    日本の漢字に修正した正式社名
3.    2.を縮めた略称
4.    2.に振られたフリガナ
5.    英文正式名称
6.    5.を簡略にした英文表記
7.    各市場で統一的に使われている四文字(漢字+アルファベット)の略称
8.    6桁の証券コード
 1.は日本の漢字コードでは表記できないため、2.が用いられるわけだが、「龍」と「竜」「聯」と「連」、「華」と「花」といった文字で若干の表記の不統一が発生する。これはまだよい。問題は4.のフリガナである。
 例えば、上海B株に上海耀華皮尓金頓玻璃股份有限公司(証券コード:900918)という中国最大のガラス会社がある。普通の日本人はこれを読むことができないから、あるサイトではこれに「シャンハイヤオファ・ピルキン」と振っている。
 このように難読漢字に音を当てるパターンですべてが処理されているかと言うと、そうではない。上海友誼集団股份有限公司(900923)は「シャンハイユウギシュウダン」ではなく「シャンハイフレンドシップ」。上海新錦江股份有限公司(900914)は「シャンハイシンキンコウ」ではなく「ジンジャンタワーホテル」となっている。友誼=フレンドシップはわかるとして、新錦江は??である。
 こうしたフリガナは、正確には“フリガナ”ではなく社名略称であり、その略称のつけ方にも上で整理したようなパターンがあるということが飲み込めてくるまでかなり時間がかかった。そしてそのパターンも、各サイト間で異なっていたりする。
 こうした異表記の事情が納得できた上で様々な検索をかけてみると、結局のところ、銘柄の絞込みができるほど厚みのある情報はネット上にはないということが見えてくる。がっかりである。
 最近では、これを補足するものとして、両B株銘柄に関する四季報的なハンドブックが出版されているが、これとて1企業1ページである。これでは銘柄が選べない。
 英文情報ならふんだんにあるだろうと思い、ネットを確かめてみると、個別企業の動向などを報じるサイトがけっこうある。ただ、本当に絞込みをかけようと思えば、例えば「鳳凰股份有限公司」の英文表記が「Phoenix Co., Ltd.」であるということを、まずはどこかで突き止めなければならない。これがまた手間である。筆者は一度、両者の対照表を作ったほどだ。
 こうした情報の薄さには辟易していた。業務内容のまともなイメージを得るためには、やはり直接取材してみるしかない。大新聞などのメディアの後ろ盾なしに、私ひとりで取材できる企業には限りがあるが、とにかくやってみようということで候補の選定にかかった。

■ピンとこない業種はパス

 改めて上海B株50数銘柄を見渡してみると、日本のわれわれにはピンと来ない業種がかなりある。自転車メーカー、万年筆メーカー、ミシンメーカー、タクシー会社などである。どう逆立ちしても将来性が思い描けない。部品や素材のメーカーもちょっと距離が遠い。中国株のビギナーでも明確なイメージを持てる業種で、かつ、上海に拠点を置く企業ということで何社かをピックアップし、取材申込をかけた。
 通訳役を引き受けてくれた劉柏林さんは、非常によくやってくれた。彼はメディア関連の仕事をしたこともなければ、取材セットアップの経験もない。そこで、私は東京にいて、メールと電話で取材プロセスの一部始終を事細かに教え、コンタクトポイントへのたどり着き方、打診する際の留意事項などを伝えた。取材申込書は私が日本語で書き、それを中国語翻訳ソフトにかけた上で劉さんに送り、彼に失礼のない中国語に直してもらうという形で整えた。
 上海取材準備の段階で会った複数の方々に、こうした取材セットアップの手伝いができるか確認したところ、多くの場合「なぜ、そうした企業が私の取材を受けなければならないのか?」と疑問を呈した。「そうした企業は私に対して“接待”義務があるようには思えない」、「企業の有力な担当者に直接会うには、普通、コネがいる」、「コネがなければ金品だ」というわけである。
 中国では報道メディアはすべて国家の管理下にある。従って、記者がどういう取材対象にも真っ直ぐに入り込んでいって取材する権利を持つという、ジャーナリズムのごくごく基本的な概念が一般には浸透していない。フリージャーナリストと言うにはおこがましい私ごときのために、大企業が取材対応の労を執ってくれるということが、どう逆立ちしてもイメージできないようなのである。
 その点、劉さんは日本に十数年滞在していたので、メディアの何たるかをよく知っている。取材は普通、謝礼なしで行われて当たり前だということも理解している。それがすごく助かった。
 取材対象として上海B株企業を選んだのは、おそらく、株式公開企業なら広報担当もいるだろうし、取材に関するこちらの意図を正確に把握してくれるだろうという思いがあったからだ。口説き文句は、「日本の個人投資家が大いに興味を持っている」である。実際、われわれにとっては、どういう上海B株企業の情報もないに等しい。
 最終的に取材に応じてくれたのは、前章の陸家嘴金融貿易区開発股份有限公司、上海上菱電器股份有限公司(900925)、上海茉織華股份有限公司(900955)の3社。上海市内でスーパーマーケットやデパートを手広く展開する上海友誼集団股份有限公司(900923)もぜひ取材したかったが、適わなかった。

■エレベーターが主力になった上菱電器

 上海上菱電器<しゃんりんてぃえんちー>股份有限公司の “菱”は日本の三菱系企業との縁故を示しており、社名に一種のブランド性を与えている。同社は1985年に三菱電機から家庭用冷蔵庫の製造技術を導入し、長らく高品質の冷蔵庫を製造・販売する国営企業として営業してきた。99年前半の時点でも、中国国営企業上位500社中217位、上海企業上位50社中25位の優良企業だった。
 しかし、中国国内における家電業界の競争は非常に激しい。特に、地方や農村部でも相当の普及が見込まれるカラーテレビ、エアコン、洗濯機、電子レンジ、冷蔵庫の分野では、国営企業同士の熾烈な戦いが繰り広げられている。上海上菱電器もこれに巻き込まれてしまった。国内で30%以上のシェアを占める海爾を筆頭に、10%前後のシェアを持つ企業が複数あり、上海上菱電器の順位は10位前後と振るわない。このままではジリ貧である。
 そこで同社は99年半ばに複数の企業に対して大胆な出資を行い、事業構造を一変させてしまった。99年7月、発行済株式総数約3億3,000万株(うち流通株約1億2,000万株)だったところへ新規に1億2,000万株(A株)を発行し、約14億元を調達した。これを基に上海に拠点を置くエレベーター製造会社、空調・冷蔵設備製造会社、印刷・包装機械製造会社を子会社化し、4つの事業分野を持つ企業へと生まれ変わった。
 冷蔵庫専業メーカーだった98年の売上は4億3,462万元に過ぎなかったが、99年には冷蔵庫部門の4億7,300万元に、エレベーター27億7,000万元、空調・冷蔵設備4,230万元、印刷・包装機械1億7,200万元が加わり、トータルで8倍の売上を持つ企業になったのである。
 取材に対応してくれた董事会(取締役会)秘書の曹俊<ちゃおじゅいん>氏は、「もっと投資ができれば、さらなる業績の拡大が可能だ」とコメントしている。これは完璧に「自分たちは投資によって事業ポートフォリオを拡充していく会社だ」という意識の表れである。もはや同社はメーカーではなく、戦略的持ち株会社である。
 事実、99年の新株発行で調達した資金を基に、2000年には合板メーカーに50%以上の出資を行い、自らの事業部門にしている。また、フラット型ブラウン管製造工場にも資本参加し、出資比率を年々上げている。投資資金が調達できる限りにおいて、同社の将来は明るいと言うことができる。
 99年から2000年にかけての成長は微々たるもので、空調・冷蔵と印刷・包装では100%を超える増収となったが、冷蔵庫、エレベーターともに減収だった。特に冷蔵庫の減収幅が大きい。それにより、合板を加えた全体の増収幅は3%弱に留まった。利益は営業利益8.5%増、純利益4.4%増。ROEを見ると99年9.35%、2000年76.54%と劇的な開きがあるから、事業構造が安定していないと見なければならない。なお、同社の会計監査は香港のプライスウォーターハウスクーパーズが行っており、国際会計基準委員会(IASC)による最新の会計基準を採用している。
 合板を合わせた5つの事業部門のうち、稼ぎ頭は全売上の8割近くに達するエレベーター製造(エスカレーター含む)である。
 すでに述べたように、上海では高層ビルが林立している状況にある。主要な大都市もある程度は似た状況だ。それ以外に中国には人口100万以上の都市がいくつもあり、そうした都市でも高層ビルの建設が盛んになっていると聞く。エレベーター市場はまだまだ拡大する余地があるだろう。上海市内の様々な施設を訪れた際にエレベーターやエスカレーターの製造元をそれとなくチェックしてみたが、モダンな上海規劃展示館のエスカレーターが上菱製だった。それでも大方のホテルのエレベーターはスイスのシンドラーや米国のオーティスである。ちなみに世界シェアはオーティス、シンドラー、三菱電機の順となっている。
 中国国内に限って言えば上海上菱のエレベーターシェアは約20%。3年連続で一位をキープしている。二位とは倍の差があると言い、2001年も10%の増収が見込まれている。
 曹氏によると、エレベーターはほぼ完璧な受注生産で、在庫ロスの心配がないビジネスだ。年間1万2,000~1万3,000基の製造力を持ち、まだまだ受注余力がある。
 日本では、エレベーターメーカーないし関連会社が設置後も半永久的にアフターサービスを行うのが一般化しており、それが収益源にもなっている。その点について確認したら、中国では、設置後1~2年は無料で点検・補修を行うが、それ以降のメンテナンス周りはビル保有会社ないしは建設会社が実費で行うならわしだと言う。ただ、顧客のクレームが同社に直接来るケースが多く、対応を検討しているとのことだった。国外進出では東南アジアで若干の経験があり、日本に対しては後述の三菱電機との関係があるため、念頭に入っていない。
 損失の出ている冷蔵庫部門については、他社への売却の可能性を検討している。一方、「上菱」が高級冷蔵庫ブランドとして定着しているため、ブランドを強化して高額所得層に切り込んでいくシナリオも捨てきれないらしい。

■非常に複雑なグループの構造

 非常に気になるのは、同社の事業ポートフォリオ拡充の手法だ。周知のように中国には国営企業(ないし地方政府営、以下同)が無数にある。上海などの大都市圏では、製造業が深化発展するにつれて分業が進み、非常に特殊な製品・部品に特化して製造している国営企業がかなりあるようだ。そのほとんどは無論、株式非公開である。
 こうした国営企業の中から自分たちのポートフォリオに組み入れやすいところをピックアップし、経営権を握れる比率まで資金を投下し、子会社化してきたのがここ2~3年の同社である。おそらくは、様々なニッチで潜在力を持つ中小の国営企業が無数にあり、そこから選び放題という状況なのだろう。その結果、同社のグループ構成はかなり複雑なものになっている。
 稼ぎ頭のエレベーター事業は、三菱電機系列の上海三菱電梯有限公司に52%出資する上海機電実業有限公司を100%子会社化することで傘下に入れている。上海機電実業有限公司は三菱電機との合弁(上海三菱電梯有限公司)の受け皿として機能している企業である。これにより、三菱電機の高い技術・商品開発力が手に入った。中国一のシェアは、上海上菱電器が自らの努力で築き上げたものではなかったわけである。
 他の事業部門についても、ほぼ同じ構造になっている。上海上菱電器が各事業部門ごとに100%出資した持ち株子会社を置き、その下に実際の製造を行う孫会社が連なるという形だ。例えば、印刷・包装機械製造部門では、100%子会社の上海電気集団印刷包装機械有限公司が4つの印刷・包装機械関連孫会社を傘下に置き、それぞれに40~75%出資している。おそらく、個々の孫会社が力のある国営企業だったのだろう。
 この入れ子構造は上海上菱電器の“上”にもある。社名が紛らわしいが、上海電気集団総公司という会社があり、そこが上海上菱電器の発行済株式の47.28%を保有している。他の大株主の保有比率は1%前後~1%以下だから、上海電気集団総公司の発言力は絶大なわけだ。持ち株会社に業態転換した上海上菱電器の上に、さらに持ち株会社として上海電気集団総公司が存在している格好だ。
 上海電気集団総公司は株式非公開、つまりは国営企業である。そして上海電気集団総公司の董事長(代表取締役)と上海上菱電器の董事長とは同じ人物が務めている。全体としては、パズルのように複雑な構造だと言わねばならない。
 前章の陸家嘴金融貿易区開発股份有限公司もそうだったが、中国の株式公開企業の前身は国営(ないし地方政府営)である。確認できていないが、ほぼすべての公開企業がそうなのだろう。そこで公開を行う際に、政府が実質的な筆頭株主である状態を維持したまま、一部の株式を市場に放出する。そして資金を調達し、事業を拡大させていく。その過程で傘下に有力な中小国営企業を組み入れるなどということが起こる。それが先鋭化しているのが上海上菱電器である。
 つまり、株式公開企業の上層にも下層にも国営企業があって、間にはさまる形の株式公開企業が、例えばプライスウォーターハウスを使うなどして欧米式の会計を行うという図式である。企業経営の実態の把握は、まさにそうした会計事務所の仕事の厳密さにかかっている。彼らの仕事に穴があった場合は株式公開の根幹が揺らぐ。
 2002年3月末、上海上菱電器は2001年度決算の発表を4月2日から4月23日に延期すると告知した。前章で述べた陸家嘴金融貿易区開発股份有限公司と同様のパターンだ。複雑なグループ構造が原因なのだろうか?

■茉織華のOEMはブルガリからユニクロまで

 上海茉織華<もーちーふぁ>股份有限公司は非常に手堅い企業のように思える。国外アパレルブランドのOEM製造と企業用ユニフォーム製造を本業とし、最近では高品位の商用印刷をもう1つの柱にしようとしている。
 日本での略称が「マツオカ」と記されることが多いのは英文社名がShanghai Matsuoka Co., Ltd.だからである。そして” Matsuoka”は“日本松岡株式会社”の出資にちなむ。
 出資元の㈱マツオカコーポレーション(旧・松岡繊維工業㈱)は広島県甲奴郡上下町に本社があり、1950年代から繊維製品の企画、製造、販売、貿易を行ってきた(従業員85名、資本金1億7,250円)。1982年に韓国で製造を開始。89年に中国浙江省に製造拠点を設けて以来、中国での製造が主体となっている。なお、浙江省は上海の南隣にある。
 上海茉織華の前身は浙江省の中堅国営服飾製造会社だったが、マツオカコーポレーションの資本参加と技術導入をきっかけに年々規模を拡大し、99年1月に上海B株市場に上場した。
 2000年の売上高は前年比102%増の13億9,424万元、純利益は同70%増の1億8,517万元。ROEは33.77%(2000年)もある。先頃発表になった2001年12月期決算でも売上高35.89%増、純利益12.51%増と好調である。
 2001年にはマツオカコーポレーションが同社設立時から保有していた株式(21.32%)と、同社100%子会社が市場を通じて購入した株式(20.34%)とを合わせるべく親子両社の合併を行い、マツオカコーポレーションが名実ともに筆頭株主になった。上場後しばらく、同社の株価は非常に低迷していたが、マツオカコーポレーションの子会社がB株市場で継続的に購入を続け、それが全株式の約20%にもなっていたと言う。外資との合弁企業では株式の50%超を現地合弁元が保有するルールがある中国において、外国企業が株式公開環境下で経営権を握った珍しいケースである。後述するように、上海茉織華の近代的な生産体制がマツオカコーポレーションの力で築かれたものであることを考えると、これは同社にとってプラスである。

 同社がOEM生産しているブランドを並べると、アップスケールからカジュアルまで完璧なマッピングができるほどだ。BVLGARI、PRADA、FENDI、Louis Vuitton、VERSARCE。DOLCE & GABBANA、Jil Sander、Burberry、NORDSTROM、CYRILLUS。Eddie Bauer、L.L. Bean、Coleman、GAP。スポーツ系も、ないのはNIKEぐらいで、FILAからAsicsまで著名ブランドがすべて揃う。最近ではユニクロも顧客リストに加わった。これは取りも直さず、同社の縫製品質が非常によいということを示している。広報担当の姚潔青氏(同社董事会授権代表)によると、品質管理手法は日本から移入したと言い、中国では例のないレベルに達しているそうだ。
 商談をまとめるための英語が堪能な貿易担当者は200人もおり、常時、世界を飛び回っている。大口受注が可能であり、品質管理がしっかりしているとなれば、注文が殺到して当然だ。現在、自社の生産余力はないに等しく、提携縫製工場の数を増やしている最中である。ただ、提携工場では品質管理が難しくなる傾向があると言い、同社の課題である。
 ブランド品以外では、企業用ユニフォームも手がけており、生産額としてはこちらの方が多い。ユニフォームは季節や景気の影響をほとんど受けないため、安定した収益源になっている。

■出張宿泊施設はパリ市庁舎のよう

 現在、同社が注力している商用印刷事業は、次のような経緯で始まった。OEM提携先にアパレル品を出荷する際、同社が社内で印刷したパッケージを使う。この印刷の質が悪く、各提携先ではそれを捨てて新しいものに入れ替えて出荷する傾向があった。顧客満足上、それではいけないということで、マツオカが日本から高精度の印刷機械を導入、社内印刷の質を飛躍的に高めた。印刷機械を日本から持ってきさえすれば高品位の印刷が可能になることが把握できたため、設備を拡充し、新規事業部門として受注を開始した。
 銀行の通帳や小切手、国外航空会社の航空券や搭乗券、中国郵政局の国外便(EMS)パッケージや伝票など、安定的に受注が見込める分野を少しずつ拡大していった。この実績が中国政府に認められ、商取引にかかる増値税が導入された際、手続き全般に必要になる伝票等一式の受注を獲得した。他社では不可能な高い印刷技術が求められる伝票だと言う。現在、中国人民銀行の紙幣印刷の受注も視野に入っている。
 2000年における利益を見るとアパレル製造が78%、商用印刷は18%となっている。2002年には商用印刷の比率を32%まで高めるのが目標だ。

 同社の会社案内やウェブサイトを見ると、米国国会議事堂に似た白亜の壮麗な建物が目に付く。これはアパレル製造を集約させている浙江省平湖市の工場敷地内にある本社棟だ。奢侈とも思えるデザインにしたのは、「現地の人に本格的な西洋建築を見てもらいたい」という思いがあったからだと言う。来訪者や出張者の便宜を考え、敷地内にはホテル設備もある。これもまたパリ市庁舎のような重厚なつくりになっており、サービスは五つ星級だと聞いた。

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