オルタナティブ・ブログ > インフラコモンズ今泉の多方面ブログ >

株式会社インフラコモンズ代表取締役の今泉大輔が、現在進行形で取り組んでいるコンシューマ向けITサービス、バイオマス燃料取引の他、これまで関わってきたデータ経営、海外起業、イノベーション、再エネなどの話題について書いて行きます。

2001年の「上海経済ツアー」:プロローグ

»

日経ビジネスのサイトでいつ頃からか「2007->2010上海マーケティングツアー」というセクションができて、中村正人氏の取材記事が読めるようになっています。なかなか興味深いものもあります。
パリの通りのコピーができていたり、北朝鮮直営のレストランのなかの様がわかったりします。

不肖私も2001年から2002年にかけて足繁くというほどではないけれども、何度か上海に通い、現地に部屋も借りたりなんかして、「これからは上海の時代なのだ」とひそかに考えていました。取材などで得た知見を本にまとめて出そうということになり、しこしこ書いておりましたが、諸事情ありましてボツになりました。タイトルは「上海経済ツアー」。写真も自前でかなりの枚数を撮りましたが、自分には不向きだとわかったりもしました。
中で書かれていることは、現在でも参考になる要素が多々あると思っています。何回かに分けてこのブログで掲出します。

---------------
■■プロローグ 日本の隣人としての「上海」

 ニューヨークについては誰もがほぼ正確なビジュアルのイメージを持っている。JFK空港に降り立ってタクシーに乗り込み、マンハッタンに入ってくると、抱いたイメージのままの街が広がっている。現実とのギャップを修正する必要はない。
 ニューヨークに限らず、欧米や東南アジアの主要都市についても同じことが言える。その都市の格や歴史の深さ、経済的ポテンシャル、ファッション感度などについて、われわれの頭にビジュアルとして情報がインプットされており、実際に行っても驚くということはない。
 上海はどうか?
 上海の旧市街はある程度まで香港に似ている。大きなSの字を描いて流れる黄浦河<ふぁんぷーじゃん>の西側が浦西<ぷーしー>、東側が浦東<ぷーとん>。浦東はここ数年の間に大きく開発が進んだ地域で、昔ながらの上海は浦西に残っている。
 黄浦河の西岸1キロの一帯に入り込むと、1920~30年代の街並みを確認することができる。路面には小籠包や家常菜を食べさせる店、雑貨やタバコの類を売る小売店などが軒を連ね、二階の窓には洗濯物がぶらさがっている。われわれが持っている中国の都市の街路のイメージがそのままの形でそこにある。
 こういった古い街並みを形作っている人たちを仮に「文革世代」と呼ぶことにしよう。1969年~1979年の文化大革命当時、すでに成人していたか、中等・高等教育を受ける年代に差し掛かっていた人たちである。中華人民共和国の礎を築いた人たちでもあり、一部はすでに年金生活を送っている。マーケットセグメントとしてはやや広すぎるきらいがあるが、とりあえずそのような括りをしておく。

 上海に行ったらぜひともタクシーに乗って、市内をぐるぐる回ってみることをお勧めしたい。浦西全域を井桁の形で覆う高架路(東京の首都高に相当するが通行料は無料)を東西でも南北でもとりあえずはあてずっぽうに走り、それから南浦大橋<なんぷーたーきゃお>を渡って浦東に入り、新しく開発されたエリアをぐるっと一回りするといい。
 すると、上述の文革世代の街並みが、現在の上海ではごく一部の狭いエリアに限られたものであることがわかってくる。
 高架路を走っていると、高層ビルがやたらと目に付く。東京のように直線で終始するデザインのビルはほとんどなく、個々のビルが意匠の限りを尽くして思い思いのフォルムを主張している。
 筆者の自宅からは東京西新宿の高層ビル群が真正面に見えるのだが、それと比較すると、どのビルも2~3割程度、背が高いように思える。階数で言えば40階、50階が当たり前な感じだ。しかもオフィスビルばかりでなく、市内のあちこちに数棟~十数棟ずつ固まって屹立しているマンション群もまた、40階以上の超高層が標準なのである。
 黄浦河対岸の浦東へ渡ると、もはや驚かない。ここが整然とした都市計画の下で、戦略的に”マンハッタン”を目指しているエリアだということは一目瞭然。外資の入居を狙った50~60階の超高層ビルがいくつも林立しているのが、ひどく自然に思えるからだ。
 ただ、東京のどこかと比較しようと考え始めると、とたんに困惑してしまう。西新宿の高層ビル群、お台場の新都心、品川の再開発エリア。いずれと比較しようにもスケールが違いすぎるのである。
 こうして見ると、リアルタイムで存在している上海に関しては、修正すべきビジュアルイメージなどというものはなく、単に何のイメージも持っていなかっただけだということに気づく。
 このやたらと高層ビルの多い経済を支えている世代を仮に「中間世代」と呼ぶことにしよう。年代で言えば30代前半から後半である。彼らの平均的なプロフィールについては追々明らかにしていきたい。

■中間世代と一人っ子世代が担う消費

 タクシーに乗って回っているだけではつまらない。上海は文明の爛熟を過去に経験したことがあるためか、都市としての身のこなしが洗練されている、歩いていて非常に気持ちがいい街である。ここはぜひ地鉄<ちーてぃぇ>、すなわち地下鉄の乗り方をマスターしてから歩きたい。
 上海市内には現在、地鉄1号線、地鉄2号線、明珠線の3本が通っており、このうち1号線と2号線を使えば主だったスポットには行ける。自販機で2元ないし3元の乗車券を購入し、改札ゲートから入ればよい。
 常熟路<ちゃんすーるー>駅で降りて、淮海中路<わいはいちゅんるー>を黄陂南路<ふぁんぴーなんるー>方面に向けて歩いてみよう。常熟路近辺は戦前までフランス租界だったエリアで、東京で言えば麻布・広尾に近い雰囲気をもっている。高級ブランドのショップこそないが、かなりハイソなターゲットを狙った服飾店やレストランをいくつも確かめることができる。歩いている人もわりかしその雰囲気にマッチしている。
 10分も歩いているとだんだんと若年層が多くなってくる。陜西南路<ちゃんしーなんるー>駅近辺には上海のティーンエイジャーがファッションアイテムを仕入れる襄陽路服装市場があり、界隈は原宿・表参道と化している。上海ではもう珍しくないスターバックスが当然のごとく出店しているから、そこで休んでしばらくの間、上海の女の子のファッション感度をウォッチしてみるといいだろう。
 東京の女の子が、どちらかと言えばブランド品に依存して”規格あるスタイル”を目指す傾向があるのに対し、上海の女の子はお金こそかかっていないものの、コーディネートの感覚が抜群である。非常に自由で個性的な感じに仕上がっている。ここで一言言い添えると、彼女たちの脚は一様に長い。そしてもう一言言うと、”はっ”とする美人の出現頻度がすごく高い。
 陜西南路駅から黄陂南路駅にかけては百盛広場、伊勢丹、太平洋百貨といった高額消費系の商業集積が軒を連ねる。歩いている世代もだんだんばらけてきて、中にはおのぼりさんらしき家族連れなども目立つようになる。
 こうして淮海中路の目抜きを30分ほど歩いてみると、上海に関してまったく新しい捉え方が必要だということがわかってくる。つまり、ここはファッショナブルな消費行為を楽しむファッショナブルな若年層が1つのマーケットと見なしうるほどの厚みを持って存在している街なのだ。そうした実感は、後述するややグレードの高いレストランに行って食事をすると、ほんとうに確かなものになる。
 彼らが購入するアイテムの元ベースの価格に着目すると方向を見誤る。そうではなく、標準的な世帯収入の標準的な若年層においてそうした消費が発生しているということの方を見なければならない。現地における元の”使いで”、商品のプライシングについては追って述べたい。
 こうしたファッション性のある消費を行う世代を「一人っ子世代」と呼ぶことにしたい。中国では79年から一人っ子政策が実施され、それ以降に生まれた世代が20代以下を構成している。彼らは当然のことながら非常に大切に育てられている。親は教育にもカネを惜しまない。父母に加えて、想像以上に潤沢な年金生活を送っていると聞く父方・母方の祖父母を合わせると”6ポケット”になるという指摘もあり、おカネの面では非常に恵まれた世代なのである。
 
 現在の上海を非常にラフに捉えると、この3つの世代で構成されていると見ることができる。上海の経済パワーを方向づけているのは無論、中間世代と一人っ子世代だ。
 中間世代はすでに都心部でマンションの購入を終えているのが普通で、余裕のある世帯では投資目的のセカンドハウスを物色しているケースもある。そしてまもなく、WTO加盟によって関税が下がってくる自動車の購入層になる。
 一人っ子世代ではケータイがすでにマスト。高学歴層ではパソコン保有、インターネット利用が当たり前だ。これから適齢期を迎えることになるが、6ポケットの威力を発揮して、マンションや家具・家電の購入、ブライダルイベントにちなむ消費がかなり厚みを持ったものになるのは確実だろう。
 こうした消費のポテンシャルを踏まえた上で、いま一度、上海という街を見渡すとどうなるのか?

■彼らの素顔を知りたい

 日本にいると、中国経済の輪郭を数値で表現する報道ばかりが目に付く。13億の巨大マーケット。上海地区の1人当たりGDPは4,000ドルを超えた。平均的な賃金は日本の1/20~1/30。過去数年に渡って年間7~10%の成長を維持してきている。等々。
 われわれはこうした報道によって、中国が製造業の拠点としてまだまだ有望であること、消費地として見た場合にも非常に大きな可能性を秘めているということを知ることができる。けれどもその先を考え始めると、とたんに何もわからなくなってしまう。これらの報道からは、中国で生活している1人ひとりのコンシューマの顔が見えてこないからだ。
 向こう10年~20年というスパンでは、中国経済と日本経済がより一層、緊密に結びついているであろうということは誰もが理解できる。ひょっとすると、上海を中心にものを考えた方が早いという時代が来るかも知れない。
 そうした状況においては、経済的な関係はより多面的なものになっているはずだ。単なる製造拠点として、あるいは消費地として向き合うのではなく、もっと個別的具体的かつ多様性のある関係性が結ばれていくことになる。それは個人のレベルにおいても、企業のレベルにおいてもである。
 例えば、個人の場合なら、勤務先として東京と上海を天秤にかけ、一生涯にわたる富の最大化を狙って後者を選ぶという選択肢があってもいいかも知れない。企業の場合なら、輸出拠点を上海に構築し、日本国内へは新潟を経由して配送するというシナリオがあってもいい。

 ただ、今この時点において、そうした具体的な経済関係をリアルに思い描くには、まだまだ情報が不足している。その最大のポイントは、中国のコンシューマの顔が見えないということに集約される。
 彼らが毎日何を食べ、どんなものから消費系の情報を得ているのか。若者はどこでデートをし、どんなことにお金を使うのか。値ごろ感のあるマンションの価格帯はどういう水準で、標準的な世帯ではどういう家具・家電を買うのか。そうしたことが皆目わからない。
 経済的な隣人として末永く付き合っていくことになるのだとすれば、まず、その隣人の素顔をよく知る必要がある。
 そうしたことを考えた場合、「中国」という括りは大きすぎる。日本の26倍もある国土には4つの直轄市、22の省、5つの自治区、2つの特別行政区(香港含む)があり、56もの民族が住んでいる。地理的にざっくりと区切って見ても、華北(北京、天津、河北省)、華東(上海、浙江省、江蘇省)、華南(広東省)が水準の高い大市場として存在しており、それぞれ1億人前後の規模がある。具体的な経済関係を結ぶ対象としては、大きすぎて手に負えない。

■都市生活から上海を理解する

 そこで上海に注目する。なぜか?
 上海は成田から空路で3時間前後、大阪からは2時間前後と近い。東京とほぼ変わらない四季があり、時差は1時間。長期滞在をするにも、頻繁に往復するのにも都合がいい。
 企業活動の拠点として見た場合にも、華北、華南の中間地点にあり、西部地域に入り込む場合にも長江(揚子江)で舟路の便がある。企業活動に不可欠なオフィス、通信回線、人材なども潤沢に供給されている。
 人口は1,670万。ある意味では非常に手ごろなサイズだ。そして中国本土では平均年収がもっとも高い。
 そうした都市の“スペック”だけで判断する必要はない。もっとも重要なのは、上海には都市生活があるということだ。

 中国は同じ漢字を使う国であり、お米のご飯も食べる。そうしたことから類似性のある文化圏だと思って入っていくと、誤解の大きさを思い知らされる目に合うということはよく指摘される。本質的には異文化の国であると考えるべきだ。
 けれども、都市生活を軸に彼らのライフスタイルを見ていくと、理解しやすい点が多々ある。都市の住民にとってマンション購入はごく一般的な行為だ。マンションを買うとなれば、資金はどう調達するか、備品は何を揃えるかということに思いが向く。朝晩は都市交通を使った通勤がある。オフィス界隈でランチも食べる。財布に余裕があれば多少値の張るレストランで食事もするだろうし、ファッションにも無関心でいられない。
 そうした消費行為には日本と共通する要素がたくさんある。言葉も文化も違うけれども、”都市生活”という共通語を話すコンシューマが上海には1,600万人もいると考えればよい。つまり、この都市生活を手がかりに、彼らを隣人として理解していくことができる。
 いったん理解するためのよすがができると、具体的な経済関係を思い描く際に、かなりな類推も効くようになる。若年層にはすでにケータイが普及している。ショートメールも普通に使っている。ならば次は着メロかも知れないといった類推だ。また、日本との差も見えやすくなってくる。上海にはコンビニもスターバックスもあるけれども、ドラッグストアチェーンがない。高級マンションが飛ぶように売れているが、ウォシュレットの普及はほとんど見られない、といった差である。
 そのようにして見ていくと、上海が理解しやすい隣人として映ってくる。何らかの具体的な関係を結べそうな気がしてくるのだ。

Comment(0)