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株式会社インフラコモンズ代表取締役の今泉大輔が、現在進行形で取り組んでいるコンシューマ向けITサービス、バイオマス燃料取引の他、これまで関わってきたデータ経営、海外起業、イノベーション、再エネなどの話題について書いて行きます。

2001年の「上海経済ツアー」:第二章 都市計画が作り上げる街”上海”

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こちらの記事で中村さんが触れていますが、上海の都市計画の全貌を知ることができる上海都市計画展示館のジオラマは圧巻なんですね。そうした未来都市のシナリオが2001年以前から存在しているというのがすごい。東京にも長期の都市計画はあるんだろうけれども。

以下の数字はすべて2002年半ばのもの。

参考リンク:
「上海経済ツアー」プロローグ
「上海経済ツアー」第一章 上海で誰に会うか

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■■第二章 都市計画が作り上げる街“上海”

■元の価値に関する誤解

 日本にいて不思議に思うのは、中国の賃金の安さだ。様々な報道で日本の1/20といった数字がよく引き合いに出されている。この数字だけを鵜呑みにするなら、彼らはとてつもなく安い賃金で、非常に水準の低い生活をしているように思える。それは本当だろうか?
 前述したように、上海の標準的な賃金は大卒初任給で2,500~3,000元程度、語学などの専門技能があれば4,000~5,000元。語学ができてIT系の専門技術があるとなると6,000~7,000元ぐらいになる。年収では4万~5万元を標準ラインと考えればいいだろう。
 元の為替レートは、中央銀行である中国人民銀行が常にドルと一体で動くように調節している。1ドル=8.3元と考えればよい。上下のぶれは過去5年の間、わずか1%程度に収まっている。従って、円元の為替レートは、円安ドル高になれば元も高い、円高ドル安の場合はその逆という関係にある。
 1ドル=125円とすると、その時の円元レートは1元=約15円。本書執筆時点では円安なので1元=16円に近いが、以降はとりあえず1元を15円として考える。月収4,000~5,000元は6万円~7万5,000円、年収4万~5万元は60万円~75万円ということになる。
 日本の標準的な年収ラインを400万円~500万円だとすると、上海はその1/6~1/7。中国では農村部と都市部で大きく賃金水準が異なり、なかでも上海はもっとも高い地域なので、上記の1/20とはかなり隔たっている。しかし日本との差は依然として大きい。

 この賃金水準の低さはあくまでも日本から見た場合に感じられることであって、上海で元を使ってみるとかなり使いでがある。
 タクシーの初乗りは10元(150円)、地下鉄の最低区間は2元(30円)、マクドナルドの普通のハンバーガーが4.5元(67.5円)である。ビール大瓶が2.5(37.5円)元、カラーの月刊誌が5元(75円)、最低価格帯の昼食弁当も5元。
 中クラスのレストランでは1品10~20元(150~300円)程度。上クラスのレストランで二人で4~5品頼み、ビールを3本ぐらい空けたとすると200~250元(3,000円~3,750円)。ワインを追加したり、時価の生鮮魚などを調理してもらうと300~400元(4,500~6,000円)ぐらいになる。
 1,000元(1.5万円)あれば単身者用の都心からやや離れたマンション(1K)が借りられ、4,000~5,000元(6万~7.5万円)あれば都心の広めのマンション(3LDK)を借りることができる。
 こうした物価水準から元の使いでを推計すると、1元が60~90円に相当する感じだ。つまり、為替レート換算の4~6倍の使いでがある。これを拡大解釈すれば、日本円で見た場合の収入がたとえ日本の1/4~1/6程度であっても、日本と同程度の暮らしができるということになる。
 冒頭で上海に暮らす人たちを文革世代、中間世代、一人っ子世代の3つに分けたが、30~40歳の中間世代の生活ぶりを直接、間接的に窺ってみると、けっして貧しいという感じがしない。むしろ、日本の首都圏で暮らす標準的な世帯よりも裕福な印象すら受ける。
 勤務先まで30~40分程度の都心エリアに住み、一家三人がゆったり暮らせるスペースがあり、内装はかなり凝っていて、家具や家電もしっかりとしたものを揃えている。分譲を購入した場合でも住宅ローンできつそうな風はなく、ある程度の貯金はあり、子供きちんと大学にやる。
 そうした生活が日本円では100万円以下の年収で送れることを、どのように捉えるべきだろうか?

■上海の購買力は日本とあまり変わらない

 もう少しきちんとしたデータで確かめてみよう。JETROは対外投資の参考資料として、世界主要都市の標準的な賃金を公開している。これによると、上海の賃金水準はワーカークラスで月額126~272ドル、エンジニアクラスで181~544ドル、中間管理職クラスで290~906ドルとなっている(2000年12月)。比較用に横浜の水準も公開されており、それぞれ、3,288ドル、4,234~5,001ドル、5,246~6,222ドルである。中間値をとって比較すれば上海の賃金水準はワーカーで横浜の約1/16、エンジニアクラスで約1/12、中間管理職で約1/9となる。
 直近の2001年12月のデータでは、上海の賃金水準が若干上がっており、同時期の横浜のデータは得られないが、2000年12月と同じ水準だと仮定すると、ワーカーで横浜の約1/12、エンジニアクラスで約1/9、中間管理職で約1/7と差は縮まる。
 だが、どうも腑に落ちない。上海で実感した彼らの豊かさが、こうした数字からは伝わってこないからだ。これはつまり為替ベースで日本の何分の一と比較するからだろう。元で稼いで元で暮らす際の生活水準を把握するには、やはり購買力平価を見ないといけない。
 何か適当なデータはないか探してみたところ、世界銀行がウェブサイトで種々の統計を発表していた。
 まず、国全体のGDPを確認すると、2000年の日本が4兆6,771億ドルであるのに対し、中国は1兆800億ドル。日本の経済大国ぶりは依然として揺るがないという感じである。だが、世界銀行が発表していている購買力平価ベースのGDPを見ると様相がまったく異なってくる。(注:購買力平価とは、通貨の異なる複数の国の経済水準を正しく比較できるよう、購買力を元に調整したレートのこと。世界銀行では、米国におけるドルの購買力と同等の購買力を持つ“国際ドル”を1つの尺度とし、各国の通貨レート を“国際ドル”に調整した上で、購買力平価ベースのGDPなどを発表している。)
 1980年から2000年まで5年ごとの値をとってみると、すでに95年の時点で中国の購買力平価ベースGDPは日本を上回っており、2000年になると日本を50%以上も上回っている。購買力平価で見る限り、中国全体の経済規模は日本を追い抜いているのである。

世界銀行発表による購買力平価ベースのGDP推移

Shanghai_2

 では、1人当たりではどうか。2000年の1人当たり購買力平価ベースGDPは中国が3,983ドルであるのに対し、日本は26,172ドル。6.6倍の差がある。だがこれは、13億という中国全体の人口を母数にしたものなので、上海など都市部の生活水準を示さない。
 2001末に上海市が発表した上海の1人当たりGDPは4,493ドル。これを購買力平価ベースに直してみると、21,701ドルという値が得られる。何と日本の26,172ドルの8割強。大ざっぱに言えば、日本とほぼ変わらない水準と見なすことができる。(注:2001年の世界銀行のデータはまだ出ていないので、2000年における中国の1人当たりGDPに対する1人当たり購買力平価ベースGDPの倍率4.83をそのまま使って算出。)
 おそらく、この数字がもっともよく上海の経済状況を表している。購買力で見る限り、上海市民の生活水準は日本のそれとほとんど変わらないのである。
 この認識を元にすれば、以降で記述する上海の経済関連の現象、事実をすんなり納得していくことができると思う。

■ 土地勘付き上海ホテルガイド

 仕事を念頭に置いて上海と行き来を始めるようになると、まず、ホテルの確保が問題になる。
 往時の外灘をしのばせる和平飯店から、完璧な五つ星サービスが期待できるリッツカールトンまで、上海のホテルには無数の選択肢がある。これから足を踏み入れようと考える方のために、場所と価格でざっと整理しておこう。
 まず、上海の中心を浦西の人民広場<れんみんぐぁんじゃん>に定める。ここは地鉄1号線と2号線が交差しており、地鉄で2~3駅、タクシーで10分程度も移動すれば、黄陂南路<ふぁんぴーなんるー>、陜西南路<ちゃんしーなんるー>、静安寺<じんあんし>など、浦西の主だったエリアに行ける。
 1990年代前半に拠点を構えた日本企業の多くが集まっている虹橋<ほんちゃお>はやや遠く、上海の西のはずれに位置している。人民広場からはタクシーで30分程度。地鉄では行き来しにくい場所だ。
 ヒルトン、フォーシーズンス、リッツカールトン、オークラといった名の通った五つ星ホテルのほとんどは人民広場と虹橋の間に散らばっている。このクラスの宿泊料は米国大都市の五つ星とあまり変わらず、200米ドル前後。界隈には無論、四つ星以下がいくつもある。このへんで宿を取ると、市の中心部に行くにも虹橋に行くにも都合がよい。ただ、浦東へ行くには黄浦江を渡らなければならず、やや遠く感じる。
 虹橋にもウェスティンを初めとした小規模なホテルの集積がある。虹橋空港で発着する日系航空会社の便を利用し、虹橋の日系企業だけで用が足りるなら虹橋で投宿すればよい。ウェスティン以外なら100~150米ドル程度で泊まれる。ただ、ここを拠点に浦東へ移動するのは非現実的だ。タクシーで1時間以上の移動が必要になる。
 人民広場から南西に地鉄で5駅、タクシーで20分程度下ると東京渋谷に相当する徐家匯<しゅーじゃーふい>がある。ここを貫く漕渓路<ちゃおしーるー>に沿って華亭賓館、建国賓館などの四~五つ星がいくつかあり、これらは100ドル以下と安い。経済的に活気のあるエリアなので歩いていて楽しく、ご飯を食べるにも困らない。浦西中心部や虹橋にも近い。
 問題は浦東だ。浦東には前述したようにマンハッタンにも似た高層ビルの集積が生まれつつあり、五つ星ではセントレジスやインターコンチネンタル、四つ星ではホリディインや日航系の中油日航大酒店などがある。宿泊料も100~150米ドルと浦西中心部より安い。
 浦東西端、黄浦江に面した陸家嘴<りゅーじゃーじゅい>には邦銀、商社などの日系企業が多数入居する旧・森ビル(森茂大厦)現・匯豊大厦があり、これらの企業とのやりとりだけで済むなら浦東で宿を取ればよい。
 しかし、いったん浦西側で用が生じるとおそろしく不便だ。タクシーなら最低で1時間を見なければならない。浦西から浦東のクルマの移動は、黄浦江の下をくぐる延安東路隧道を通るのが距離的にはもっとも近いが、ここが常に渋滞している。あとはぐっと南に下って南浦大橋を経由するしかなく、これはひどい大回りになって、いずれにしても川を越える移動に1時間近くかかる。ただ、地鉄を使えば人民広場まで3駅程度だ。
 それと浦東は夜がさみしい。陸家嘴にちょっとしたレストランの集積があるが、それを除けば歩いて楽しい街路がないに等しく、ホテル内の施設に頼らざるを得ない。
 そのへんを総合すると、人民広場に近い浦西中心部か徐家匯が便利だ。

■日航浦東で高速回線を使う

 筆者が初めて上海を訪れた際は無論、こういった知識は皆無。パックツアーであてがわれた上海駅前の華東大飯店にそのまま入っただけである。上海駅界隈はあまりお勧めできる場所ではない。上海の北端と言ってよく、うら淋しい感じがある。
 4泊した華東大飯店で最悪だったのは通信環境である。モデム接続の速度がどうやっても14.4kbpsしか出ない。
 14.4kbpsと言えば、インターネットが普及し始めた1994年半ばの速度。かろうじてテキストベースのメールが送受信できるに過ぎず、添付ファイルがあると絶望的である。画像が多い昨今のウェブページなど表示すべくもない。市内の電話回線がダメというより、ホテルの構内電話の回線品質がよくないのだろう。バリ島でも似た経験をしたことがある。
 筆者はこういう仕事をしているので、海外に行く際には必ずノートパソコン一式を持っていく。プライベートの旅行でも持っていくのが習い性になってしまって、同行者には嫌われるが、成田空港に行き着くまでに原稿書きが終わらないのだからしょうがない。
 現地ではネットにつないでメールをチェックするだけでなく、いつも通り各所のウェブサイトを資料代わりに使って原稿の類を書き、できたものは添付ファイルにして東京に送る。これまでにサンフランシスコ、ニューヨーク、シアトル、ボストン、カンザスシティなどの米本土9都市、ホノルル、香港、パリ、プーケット、サムイ島、デンパサールの各都市でそんな風に仕事をしてきた。あまり褒められたものではない。米国ではどの都市のどのホテルでアクセスしても58.8kbpsの速度が出るから、ウェブで調べものをするのに苦はない。これが14.4kbpsだとお手上げである。
 華東大酒店では大いに懲りたので、二回目の訪問の時は予め通信環境のよいホテルをネットで調べた。1週間丸々滞在するので、回線事情が悪いとひどい仕事のロスになる。
 三~四つ星クラスだと、華東大酒店と同等の旧式電話設備を使っている可能性が大いにあるから油断できない。米系の五つ星だとそのへんの心配はないが、高い宿泊料を払って得られるのがモデム接続では情けない。
 ADSLか専用線で常時接続ができるところがないか探してみると、2つ見つかった。浦西の新錦江大酒店と浦東の中油日航大酒店(日航浦東)である。このうち新錦江大酒店は「アテにして宿泊したが故障していた」という報告が見つかったのでパスした。日航浦東は100Mbpsで外に出て行ける館内LANが敷設されているという。これに決めた。正規料金がスタンダードルームで170米ドル。ネットのディスカウント予約サービスを使うとこれが80米ドルまで下がる。
 日航系のホテルは一度、サンフランシスコで泊まった経験があるが、日本食がおいしいのと、部屋のすみずみにまで気がつかってあるのとで好感を持った。紛れもなく日本人のオペレーションである(米国では五つ星ホテルでも部屋のちょっとした部分に手抜かりがあって、日本では当たり前のしゃきっとした清潔感に欠けるケースが多い)。
 日航浦東の部屋はまったく悪くなかった。しかもスタンダードルームが満室だと言うので、2ランク上の部屋に入れてくれた。
 フロントの女性に常時接続はどうやるのかと聞いたが要領を得ない。部屋に入って確かめてみると、パソコンのLANケーブルをつなぐためのジャックが見当たらない。2台の電話から延びているコードが太く、これがどうもLANケーブルらしい。壁面のジャックを引っこ抜いてパソコンから伸ばしたLANケーブルを差すと、難なく外部のインターネットにつながった。企業でよく使っている、DHCPで自動的にIPアドレスを割り当ててくれる仕組みが背後で動いている。これで二度目の滞在は大いに助かった。
 この時はまだ、浦東と浦西の距離感がよくつかめていなかった。誰と会う約束をしても浦西に行く必要があり、移動におそろしく時間がかかる。東京で言えば、新宿で用事があるのにお台場のホテルに宿泊している感覚だ。実際「浦東の日航ホテルに泊まってるんです」と言うと、みんな目を丸くした。浦西側で日常を送っている人間からすると、浦東はそれほど遠い。
 日航浦東内の飲食施設はあまりお勧めできないが、向かい側に海鮮素材を好みの調理法で食べさせてくれる店があり、試してみるとよい。水槽で泳いでいる魚やざるに載った貝・イカなどを指差して「炒」とか「蒸」とか伝えればよい。よほど珍しい魚を指定しない限り、100元程度でおいしく食べられる。

■ビルのてっぺんと巨大なジオラマ

 上海の中心部を歩いていると、とにかくビルのてっぺんが気になる。非常に造形的で、モダンアートに匹敵する迫力がある。てっぺんだけでなく、ビル全体の外形も非常にモダンだ。ただ、抑制がなさすぎという印象を持つ人もいるかも知れない。いずれにしても見ていて楽しい。ある日など、ビルのてっぺんの写真ばかりを写して歩いた。
 関連の事情に詳しい上海在住日本人によると、1990年代半ばの高層ビル着工ラッシュは過ぎたものの、上海は依然として世界の大都市のなかではもっとも高層ビル建築が盛んな都市の1つで、世界中の建築事務所が競って有力案件を奪い合っており、その結果として、採用される設計案の水準が上がり、それがために、特に外資系企業をターゲットにしたオフィスビルではデザインのレベルが賃料に反映されるのだという。資本主義的な競争のたまものである。上海のビルを見てしまうと、東京代々木にある某携帯電話会社のビルなど貧相に思えて仕方がない。

 上海は都市計画が非常に効いている街だ。そもそも改革開放が始まった1979年までは、都市インフラ、住宅、交通網、大規模なビルや施設などのすべてが五ヵ年計画の下で建設されてきた都市である。鄧小平による92年の南方講和(注:1989年の天安門事件の影響で外資流入が衰え、華南の経済特区(深圳・珠海<ちゅーはい>)の存続そのものが懸念されていたなかで、鄧小平が華南を訪れて視察を行って、経済開発最優先の方針を改めて確認するコメントを発表した。これが外資流入を再び呼び起こし、現在の発展につながる。)以来、海外資本がビル建設などに参画するようになったが、それも一部に過ぎない。上海市内で目につく建造物のほとんどは、上海市政府、有力な国営企業、有力な国営企業と海外資本の合弁企業のいずれかが主体となって作られている。そしてそのいずれもが、上海市政府が策定した中長期的な都市計画の枠に収まっているのである。
 中国では土地そのものが国のものだ。正確に言えば、すべての土地は全人民のものであり、それを国や地方政府が管理している。だから、都市の発展のために高速道路やビルの集積が必要だと判断されれば、そこに以前から居を構えていた個人や事業者などは立ち退きを命じられ、代替の土地や建物に移らなければならない。つまり、都市計画がもっとも効率的に実現できる社会制度が根底にある。
 その都市計画を具体化するための実行力も、1949年の建国以来、連綿と実施されてきた五カ年計画によって鍛えぬかれている。ちなみに現在は第十次五ヵ年計画が進展中だ。
 上海の場合、そうした都市計画の枠組みのなかで建設された20階以上の高層ビル(住居用含む)は、なんと1,500棟にも上る。
 きっちりとした計画を立て、それを着実に実行に移すという都市建設は、単に五ヵ年計画の枠内だけで進められているのではなく、もっと長期の展望が持たれている。
 それを具体的に示しているのが、浦西中心部の上海規劃展示館に設置されているジオラマだ。ここでは2020年までに実施予定の都市計画の全貌が、600平方メートルもある巨大な模型として示されている。噂を聞いて見に行ったが、あまりの迫力に息を呑むばかりだった。東京が負けるどころではなく、おそらく、ニューヨークをも凌ぐ超近代的な都市が、非常なリアリティをもってそこに横たわっていた。
 これまでの五カ年計画遂行の経験と、現在も衰えることを知らない上海への外資流入とを考慮すれば、ほぼ、このジオラマが示す通りの都市ができあがっていくのだろう。戦慄すら覚える。

■陸家嘴金融貿易区の民間資本活用

 現在では、こうした計画遂行に民間資本を活用する手法が確立している。その典型例を浦東の陸家嘴<りゅーじゃーじゅい>金融貿易開発区に見ることができる。
 浦東には計6つの経済開発区がある。経済開発区とは、地方政府が土地を供出し、整地や電気、通信回線などのインフラ整備を行って、税などの優遇策を付けて民間企業を誘致する区域である。
 陸家嘴金融貿易開発区は大手外国資本に開かれた姿勢を示す象徴的な存在で、すでに、88階の高さを持つ金茂大厦をはじめ、上海証券取引所、匯豊大厦(旧森ビル)、国際金融大厦、中銀大厦、招商局大厦、華能大厦、新上海国際大厦、船舶大厦など20あまりの高層ビルが林立しており、欧米日の大手銀行、証券、保険などが多数入居している。
 また、非常にモニュメンタルな建造物として高さ468mの東方明珠テレビタワーがそびえ立ち、そばには2001年の上海APECが開催された4,000人を収容できる国際会議センターもある。ここに日本の森ビルが建設している94階の超高層ビル、ワールドファイナンスセンターが加わると、世界でも有数の金融街が完成する。
 陸家嘴は、黄浦江が描くS字カーブで浦東が浦西に食い込む突端にあり、これを西側上空から俯瞰するとちょうどニューヨーク・マンハッタン金融地区の俯瞰ショットにかなり似た光景となる。
 また、黄浦江の対岸にある外灘<わいたん>は、戦前まで国際金融センターとしての役割を果たしていたと言い、川をはさんで新旧の金融街が相まみえる設計になっている。
 この陸家嘴の開発を企業として受け持ってきたのが上海陸家嘴金融貿易区開発股份有限公司である(“股份”は株式の意)。現在では上海B株市場にも上場しており、日本からでも株が買える(証券コード:900932)。「日本の個人投資家が興味を持っている」ということを強調して、同社を取材することができた。
 
 同社は1990年に上海市営の陸家嘴金融貿易区開発公司を株式会社化して設立され、97年に外部資本を入れて現在の法人格ができた。中国に“社会主義市場経済”が根付くのに呼応して、組織形態を変えてきたわけである。現在は上海証券取引所上場企業中トップ20に入る有力企業だ。土地の開発とリース、自ら建設したビル・住宅の販売、区内のビル管理、区内ビルに入居した外国企業や子会社に対する投資の4つが業務の柱である。傘下に22のグループ企業があり、うち1社は伊藤忠との合弁会社だ。ちなみに同社が入っているビルの中に伊藤忠上海事務所があった。
 同社が開発する土地はすべて上海市政府から譲り受けたものである。上述のように、すべての土地が人民のものであるため、正確に言えば土地使用権を譲り受けた。使用権の対価はかなり安いとは言っていたが、数字としては確認できなかった。
 設立当時、中国共産党中央からは「上海浦東地区を長江における改革開放の龍頭と位置付け、可能な限り早期に上海を国際経済、金融、貿易の中心とならしめて、長江流域諸都市の牽引役とする」という基本方針が出されていた。それに基づいて、同社は陸家嘴金融街のグランドデザイン作成に着手した。中国、イギリス、フランス、日本、イタリアなどの著名な設計事務所に基本案を提示してコンペを行い、最終的に複数案を折衷して現在のデザインが決まった。黄浦江対岸から見てスカイラインが美しくなるように、手前から奥に向けてビルが高くなるよう配慮されている。
 同社は陸家嘴金融貿易開発区以外に、同じ浦東にある竹園商貿区、龍陽居住区などの開発も受け持っており、これらの土地を68区画に整備、うち46区画の販売が終了した。ビル単位では、24m以上の高層ビル約400棟の建設を計画、うち229棟はすでに完工、113棟に外国企業が入居している。非常に高級な高層マンションも数棟あり、系列会社が販売している。

 ここに見られるビジネスモデルは、同社のものであると同時に上海市政府のものでもある。上海市は陸家嘴を発展させたいと願っている。そこで市営企業に土地を供出し、株式会社化した上で、外部資本を招き入れる。株式公開を行ってさらに資金調達力を高め、計画の完遂を目指す。同社が開発計画の資金調達装置として機能している。
 企業の独立性ということで見ればどうかとも思うが、中国の関連制度をきちんとクリアした株式公開企業であることに変わりはない。株式を買う立場としては、フェアな会計基準で発表される業績と将来性で判断するしかない。
 将来性についてはやや気になる点がある。陸家嘴の開発・販売はほぼ終盤に差し掛かり、竹園商貿区、龍陽居住区なども開発が終わりつつある。今後は何をやるのかというということだ。
 同社広報担当の成川<ちぇんちゅあん>氏によると、上海市近郊の都市に“衛星開発区”が作られつつあり、そうした土地の開発権利を同社が優先的にもらえることになっているのだと言う。この“優先的”というところに同社の強みがあるわけだが、10年先20年先に有望な新規開発区が出現しているのかどうかはわからない。
 同社の売上高は2000年までの過去3年を見ると数%ずつ延びてきており、売上高純利益率は99年を例外として50%以上とおそろしく高い。ただ、上海の取材を終えて帰ってくる途中の機内でたまたま目にした英字経済紙に利益減少を警告する公告が出ていた。それによると、2001年度の決算では、土地リース事業の回収の遅れと外国企業投資で生じた損失により、前年度より50%以上の減益になるという。この公告は上海証券取引所の規則に基づいて、英字紙にも載せられたものだ。
 また、その後インターネットで確認したところによれば、2002年3月29日に発表予定となっていた2001年度決算は、同社が投資した企業の会計監査でトラブルがあり、約1ヶ月延期されることになった。エンロンに端を発する米大手企業の会計見直しの騒ぎに巻き込まれているのかも知れない。

■“申”の字型の首都高はタダ

 上海の都市計画と言えば、高架路のことを記さないわけにはいかない。上海市内でタクシーを拾い、20分以上の移動をする場面になると、だいたいは高架路を使う。位置付けとしては東京の首都高だが、上海の高架路は無料である。なお、中国では主要都市を核に放射線状の高速道路が延びており、これが各所で連結されてネットワーク化しつつある。こちらは有料だ。
 浦西旧市街をぐるっと囲んで浦東をめぐる内環道は総延長約50km。内環道の東西南北4ポイントから延びて浦西中心部で交差する十字型の路線もある。これらはほぼ完成している。これとは別に上海外延を一周する総延長約100kmの外環道も建設中で、これは浦西側の約半分が完成したところ。
 上海は歴史的に“申”と呼ばれていた時期があり、これにちなんで、内環道と外環道を十字型の路線で結ぶかたちが“申”と認識されている。
 東京の首都高を見慣れた目には、車線の多さと、これが無料であるということに感激する。だいたいが4車線、場所によっては5~6車線ある。3週間の取材を終えて成田に戻ってきた時、千駄ヶ谷に帰るのにリムジンバスを使ったが、新宿までの湾岸線と首都高とを改めて見て思ったのが、「年々膨大な資金を投じてきて、こんな狭い道路しかできなかったのか」ということだった。土地の私有制度がない中国と、土地こそすべてという風土がある日本を比較するのははなから無理なのかも知れないが、やはり考え込んでしまう。
 
 その他の都市交通についてもここでまとめておこう。地鉄1号線が浦西旧市街の北端、国鉄上海駅から南端の国鉄上海南駅まで、地鉄2号線が浦西西端の中山公園から黄浦江の下を潜って浦東の端まで延びている。あとは明珠線(地鉄3号線)が浦西の西半分をぐるっと囲むように営業しており、これが将来的には浦東の東半分を囲んで環状線となる。
 なお、浦東はその昔、浦西との行き来が非常に不便で、“上海”とは見なされていなかったほどの土地だが、橋2本、自動車用トンネル1本、地鉄1本がすでに完成。さらに自動車用トンネル2本、浦東国際空港を起点とするリニアモーターカーで浦西と結ばれる予定になっている。これらができれば、浦西と浦東をクルマで行き来する不便さは解消されるだろう。

 こうして見ると交通網整備は非常にしっかりしているように思えるが、これからやってくる本格的なモータリゼーションにこれで間に合うのかという気もする。上海市内の一般道の幹線は、現在でもほぼ日常的に半ば渋滞している。
 現在、上海市内を走っているのは、乗用車の7割程度がタクシー、あとは路線バス、資材などを運搬する大型~小型のトラック。あきらかに個人が乗っていると判断できるクルマはまだまだ少ない。
 輸入車にはこれまで80~100%の関税がかかっていたが、WTO加盟により、2006年までに25%に下げることが決まっている。今回の取材で通訳をしてくれた劉柏林さんによれば、「多くの中国人は、関税が下がるまでクルマを買うのを待っている」のだと言う。上海の現在の景況ぶりから言えば、2010年あたりまでにどっとカーオーナーが増えそうな気配だ。関税が下がるのと呼応して、中国国内で外資との合弁で生産される車体の価格が下がるからである。上海市内の交通渋滞がバンコク並みにならないことを願うばかりだ。
 地鉄が3本営業しているとは言え、通勤者の多くは路線バスを使っている。運賃がぐっと安い上に、上海の市内・郊外をくまなく走っているからだ。それがために、市内中心部にはどっとバスがあふれている。地鉄網をもっときめ細かくしてこれらの乗客を吸収するようにしないと、バンコク化は必至かも知れない。

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