2001年の「上海経済ツアー」:第五章 彼と彼女は日本が好き?
中間層が育ってくるとメディア消費が活発になるのはどこの国でも見られる現象だと思います。2001年の終わり頃から2002年初頭にかけて上海を取材していて、そのへんも気になりました。
日経ビジネスオンラインで連載されている「中国”動漫”新人類」を非常に興味深く読んでいます。
このトレンドをもっとも早期に担った層は、90年代前半に小学校低学年の年齢で日本の漫画を読んでいたようです。
例によって以下は2001年から2002年にかけての執筆であり、その後の変化は反映させていません。
参考リンク:
2001年の「上海経済ツアー」:プロローグ
2001年の「上海経済ツアー」:第一章 上海で誰に会うか
2001年の「上海経済ツアー」:第二章 都市計画が作り上げる街”上海”
2001年の「上海経済ツアー」:第三章 上海で暮らす
2001年の「上海経済ツアー」:第四章 上海B株企業を取材してみた
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■■第五章 彼と彼女は日本が好き?
■未来の消費文化は彼らが決める
日本から中国に対して何が売れるかということを真剣に考える場合、若年層に関して相応のイメージを持つことが不可欠だと思う。
製造拠点を中国に移した企業はすでにたくさんある。これからは、日本ないし中国で生産した消費財、電子機器、クルマなどを中国国内で売る企業がかなり出てくるだろう。今この時点からそうしたシナリオを考えるとして、準備と基盤づくりに3~4年。そこから向こう二十年程度の消費の鍵をティーンエイジャーと学生たちが握っている。
筆者はマーケティングに関しては素人だが、消費のスタイルは若い時で決まると考えている。70年代後半からバブル崩壊までの間に10代後半~20代前半だった層は、親からもらう小遣い、仕送り、バイトで稼いだお金をフルに注ぎ込んで、奢侈系の消費を一生懸命に身に付けようとした。クリスマスにフレンチを食べてシティホテルに泊まるといった、今から考えれば気恥ずかしくなるようなパターンが20代前半で見られたわけである。そしてその余波が今も続いている。良くも悪くも、「Brutus」的な消費こそが王道という観念が30代前半~40代後半の層から消えてしまうことなど考えられない。
■メディアコンシャスな上海ユース
中国都市部の若年層の典型を上海に求めるとすれば、彼らを大きく括ることのできるキーワードは「メディア」だと思う。日本にいて考えるよりも、若年層のメディア受容は相当に成熟している。彼らは本書冒頭で述べたように一人っ子として育っている。お父さんお母さんからは溺愛に近い愛情を注がれ、さらに父方・母方双方の祖父母からも非常にかわいがられる。「欲しい」と言えば、まず何でも買ってもらえる状況にあり、メディア消費に必要な機器やパソコンがそれなりに揃ってしまう。
原鳴魅さんから聞いた話を元に、彼女のメディア受容スタイルをスケッチしてみよう。
彼女は、一人っ子政策が正式に始まった1979年生まれの22歳。中国の都市部では文化大革命が終了して数年経った80年代前半からテレビが普及し始め、彼女が物心ついた時には、ごく当たり前のように家の中にテレビがあった。
80年代前半に日本のドラマ「赤い衝撃」(宇津井健・山口百恵主演)が放映され、わかりやすいストーリーが受けると同時に、西洋の物質文明を確実に吸収した日本の家庭の姿が視聴者全員の脳裏に焼き付いた。大型冷蔵庫が出てくる60年代の米国ホームドラマが日本人の“家庭”のイメージを作ったのと同様である。鳴魅さんの場合、「赤い衝撃」はまだ小さすぎて印象に残っていないが、「山口百恵」はもちろん知っている。
30代以上なら、当時の日本映画として、誰もが「君よ憤怒の河を渡れ」(高倉健・中野良子主演)を挙げる。これもテレビ放映された。中野良子演じる「真由美」は、彼らの間で日本女性の代名詞になった。NHKの朝ドラ「おしん」が熱心に観られていたのは、年代がやや下って80年代後半である。
このように日本製のドラマや映画がぽつりぽつりと放映されるなかで、日本のコミックも巷間に出回るようになった。90年代前半から半ばにかけて親しんだコミックとして、鳴魅さんはざっと、「ドラえもん」(藤子不二夫)、「双星記」(成田美名子、邦題「CIPHER」)、「輝夜姫」(清水玲子)、「幽遊白書」(冨樫義博)、「聖闘士星矢」(車田正美)、「X」(CLAMP)を挙げた。
90年代半ばからは家庭にビデオが普及し始め、90年代後半にはそれがビデオコンパクトディスクプレイヤー(VCD)にとって代わる。日本ではVCDがほとんど普及しなかったが、中国では一家に一台という感じで普及した。後に記す事情でソフトが潤沢に供給されたからである。
VCDで観たアニメ作品として彼女が挙げたのが、「花仙子」、「乱馬1/2」、「不思議遊戯」。それぞれ「花の魔法使い・マリーベル」(オリジナルアニメ)、「らんま1/2」(高橋留美子)、「ふしぎ遊戯」(渡瀬悠宇)である。こうして見ると、コミケ系な人のようにも思えるが、実際は相応にファッション感度のいい上海の普通のお嬢さんである。数年前には、多くの上海人と同様にドラマ「東京ラブストーリー」をVCDで楽しんだ。
最近はKinki Kidsの堂本剛のファンで、J-POPではGLAY、浜崎あゆみ、椎名林檎、CHARA。それ以外では韓国のビジュアル系ロックバンド、米韓中のラップをよく聞く。ラジカセは当然、携帯CDプレイヤーも持っている。
彼女によれば、日本のコミック、アニメ、J-POPを楽しむのはごく当たり前のことだと言う。台湾で熱狂的に日本カルチャーを支持する「哈日族」のような動きは上海にはなく、彼らは日本のサブカルチャーに対していたってクールである。コンテンツの供給元がアメリカでも香港でも台湾でもなく、たまたま日本だったというだけだ。上海人は本来的にコスモポリタンである。島国が“外”に対して持つような憧れはあまりない。
ただ、彼女の場合は、日本のコミックやアニメで育つなかで日本語に興味を持った。独学で勉強して、文部省が世界各国で実施している日本語検定試験の1級に合格。現在では淀みなく日本語を話す。イントネーションにおかしなところはまずなく、かなり口語的な表現も駆使する。
従来型メディアに加えて、現在ではインターネットがある。前述したように鳴魅さんは日本語でホームページを作っているぐらいだから、中国語と日本語の双方でサーチして、興味のある情報は何でも入手できる状況にある。堂本剛の誕生日には、日本のファンサイトにアクセスしてリアルタイムチャットを楽しんだり、エイベックスのサイトで浜崎あゆみの新曲情報をチェックしたりもする。
このようにして彼らが得ているのは、“時代の気分”なのではないかと思う。従来型メディアしかなかった当時は、若干のタイムラグがあったが、今ではインターネットがあるため完璧にリアルタイムでそれをキャッチできる。
この気分はライフスタイルにも関わるし、消費行為にもつながる。将来的な自分のキャリアイメージを規定するだろうし、パートナー選びや結婚後の生活空間を思い描く際にも素材を提供するはずだ。消費者としてのプロフィールをそれっぽく記せば、urban-educated-middle and rich-media conscious。上海に留まらず、どの国の大都市にも存在している層だ。
■村上春樹をどう読んでいる?
マーケティング的に見て非常に興味深いと思える現象が、村上春樹作品のヒットである。
「卒論で村上春樹を取り上げるので、論文が載った雑誌などがあったら譲って下さい」という書き込みをある掲示板で見つけ、李栄歓君にアクセスした。華東師範大学日本語学部の四年生、21歳だった。
上海で村上春樹を読んでいる学生がいると知った時は、かなりびっくりした。筆者は実際、村上春樹が好きである。大学の頃から読み始め、強烈にあこがれもしたし、3~4回読んだ作品も少なくない。初期三部作の主人公は確か東京・千駄ヶ谷に事務所を構えて翻訳か何かをやっていたが、筆者が実際に千駄ヶ谷に事務所を持てた時には小躍りして喜んだ。ミーハーと言っていい。
李栄歓君が村上春樹をどう読んでいるのか非常に興味があった。海の向こうの高度成長を遂げた特殊な国の小説として読んでいるのか、それとも自分たちの皮膚感覚に近い題材を扱う作家として読んでいるのかという興味だ。
彼の“前史”をまず記す。福建省の州都、福州市に育った。福建省は上海に隣接する浙江省のさらに南にあり、上海広域経済圏と広州広域経済圏(香港含む)の両方に属する。州都の人口は562万。父は会計士、母は会社員。彼自身は中流と言っているが、都会のやや裕福な家庭に思える。
小学生の頃、ファミコンを買ってもらった。ソフトは香港経由で潤沢に入手できる。シューティングやアクションゲームはあまり好きではなく、RPGを好んだ。彼が初めて覚えた日本語が、RPGの選択画面で出てくる「ハイ」と「イイエ」だったと言う。小学生の頃の彼が、一生懸命カタカナと漢字の入り混じる日本文を読み解こうとしていた姿が思い浮かぶ。
その後の彼はゲーム少年として育つ。ファミコン、スーファミ、セガサターン、プレイステーション。プレイした作品は「ドラゴンクエスト」、「バーチャファイター」、「ファイナルファンタジー」、「三国志」などなど。日本で発売される作品のうち、多少でも人気の高いものは、何らかのチャネルを通じて入手できるのだと言う。
高校生になり、大学を決める時期になって、日本語をやろうと決めた。文系の大学生である。当然のごとく小説も読む。村上春樹の翻訳本を手にとるまでに時間はかからなかった。
中国語圏では、台湾の翻訳家・頼明珠が訳した村上春樹の小説が80年代前半から流通し始めている。80年代半ばになると、中国本土の日本語学者・林少華の翻訳が出始め、これが中国で広く読まれるようになった。「ノルウェイの森」は翻訳書としては異例のベストセラーになっている。
李君によれば、翻訳のレベルは林少華の方が数段上で、感情表現が細やかだと言う。村上春樹作品によく登場するミュージシャンなどの固有名詞も、頼明珠は単なるカタカナの音訳で通しているところ、林少華は原語を踏まえたもっと妥当な訳にしている。例えば、「ビーチボーイズ」にそのまま音を当てるよりは、「砂浜の少年たち」と意訳した方が読者にとっては理解が深まる。中国語圏で表記が確定しているミュージシャンの場合は無論、そちらを使う。
■アップスケール消費のテキスト
この村上春樹を、彼はわが事のように読んでいる。日本にいて普通に考えると、経済環境のギャップに距離を感じるところもあるのではないかと思えるが、実際はそうではない。まったく普通の小説として、自己移入しながら、楽しみながら読んでいる。筆者にとっては、このことが今後の消費を捉える上で非常に興味深く感じられた。
80年代初頭に戻って、われわれが村上春樹をどう読んでいたかを考えてみよう。当時は高度成長が終わったかどうかという時期。バブルをまだ経験しておらず、日本は70年代の“背伸びした豊かさ“を引きずっていた。端的に言えば、ちょっとだけ貧しかった。
今でもはっきりと覚えているが、当時の「Brutus」で村上春樹初期作品を評したコラムを読んだことがある。その中で「読後、缶ビールが無性に飲みたくなる小説だ」という記述があった。
今では、缶ビールなど何でもない。コンビニでもディスカウント販売している。だが当時は違った。アルミ缶でパッケージングされたビールは瓶詰のビールよりもやや割高で、ちょっとだけ向こうにあるちょっとだけ贅沢な商品というポジションにあった。そのちょっとだけ贅沢な缶ビールを、初期村上春樹作品では主人公が事あるごとに飲む。冷蔵庫にも缶ビールがぎっしり詰まっていたりする。これがちょっとした羨望を誘う。「缶に入ったビール」にあえて言及した書評が、消費啓蒙誌とも言うべき「Brutus」に載った背景にはそうしたことがあった。
最近の村上春樹作品では、アップスケール消費を意識した小道具や空間をそれとなく使うことはまれだが、初期から中期にかけての作品は、主人公が体現しているちょっとだけ贅沢な生活が1つの魅力になっている。東京の港区か渋谷区に部屋がある。ジャケットは青山のブルックスブラザースで買う。ハワイでコンドミニアムを借りて2~3週間住む、といったあたりである。
このようなちょっとした贅沢は、80年代初頭の読者にとっては、「もうちょいで手が届く」ようにも思えるし、「ひょっとしたらちょっと無理かも」と思える世界である。だから、少しだけ羨望を誘う。
おそらく、李栄歓君を初め、上海や北京などの大都市で村上春樹を読んでいる読者たちは、80年代初頭のわれわれとほぼ同じように読んでいるのではないかと思える。実際に李君は「ホワイトカラーは一種のファッションとして村上春樹を読んでいる」と言った。都市生活、飲食、海外旅行などについて、「もうちょっとで手が届きそう」な消費行為のテキストとして読んでいるわけである。
そのへんが納得できた時、正直言って驚いた。その後、第二章冒頭で述べた上海における購買力平価ベースの消費力が明らかになってきて腑に落ちたわけだが。
筆者のこうした理解が正しいとすれば、少なくとも上海においては、これからアップスケール消費が本格化する可能性が大いにある。その消費も、上海に備わっている “感度”を考えるなら、かなり洗練されたものになっていく気がする。日本企業が何かを始める余地があるとしたら、そこかも知れない。消費の洗練にかけては、日本企業の右に出る存在はまずない。
■ネットとファッション消費
上海では、インターネットはもはや普通の環境である。様々な情報を総合すると、中国の他の大都市でも同じ状況にあるようだ。原鳴魅さんも、李栄歓君も、日常的にインターネットを使っている。米ニールセン・ネットレーティングスの2002年4月の発表によれば、家庭からインターネットを使うユーザーは5,660万人に達した。日本の5,130万人を抜いて世界第二位である。
Macintoshはデザイン事務所などを除けばほとんど普及していないようだが、Windows機は深圳の製造集積を控えているから完成品、組み立てタイプのいずれも難なく手に入る。ノーブランド品の価格は秋葉原よりやや安いといった程度。回線については、筆者の部屋にADSLが通ったぐらいだから、常時接続もそこそこ普及し始めているわけである。
一人っ子世代ではもう一人、周玫さんの話を伺うことができた。彼女もインターネットでリアルタイムチャットを楽しんだりする。日本のようにオンラインだけの知り合いとやりとりするのではなく、リアルな友人だけが入ってこられるチャットルームを決めて会話するのだと言う。多人数の長電話である。
周さんは上海のごく標準的なOL。実は、お世話になった正詢諮詢公司に務めている。21歳。家族構成は父、母、兄の四人。一人っ子政策の環境で二人目の子どもを持つとペナルティが課せられるが、それは彼女の両親の問題。質問は差し控えた。
PCは自分の給料で買った。給料の額は明かしてもらえなかったが、高卒・専門学校卒のOLの標準的な水準が1,000~1,500元程度と聞くから、おおよそその範囲だろう。
田村正和の大ファンである。ドラマ「古畑任三郎」のVCDが一時期大いに流行り、それで楽しんだ。
ファッション関連の情報をどこで得ているのか興味があった。上海市内のキオスクなどで目にする女性誌は20誌は下らないが、その中でも「ELLE」、「時尚」、「瑞麗」をよく読む。その他、上海で受信できるテレビ局の1つにファッション専門の「時尚チャンネル」があり、これもよくチェックする。
そうした情報を元にアイテムを買うのが、陜西南路駅近くの襄陽路服装市場と人民広場駅近くの地下モール迪美広場だ。いずれも東京で言えば裏原宿に相当する、値の張らないファッションアイテムを扱う店舗集積である。
迪美広場でいくつかの店舗をそれとなくチェックしたが、デザインに古めかしさを感じさせるものはほとんどなく、品質はかなりよい。日本の女の子がチェックすると「趣味がね」と言いそうな商品もかなりあるが、即買い意欲をそそるものも少なくないように思った。値段は、日本のわれわれからすればおそろしく安い。
おそらく、周さんに代表される上海の普通の女の子たちは、次のようにしてファッションを固めていると思われる。
最新のファッショントレンドは雑誌やテレビでチェックする。そして頭にインプットする。
中国各地のアパレル生産拠点では、上海茉織華のように欧米ブランドのOEM生産をしているところが多数ある。生産されている個々の品は各ブランドが指示した最新のデザインである。これによって、それらの生産拠点に最新のデザインが定着する。
コピー品とは言わないまでも、そうしたデザインを参考にした製品がそうした製造拠点から国内向けに生産される。そして上海のようなファッション感度の高い都市に、そのうちのもっともよい品々が流入する。上海の女の子たちは、頭にインプットしたトレンドにマッチしたアイテムを1つずつ丹念に探して歩き、非常に値ごろ感のある値段で買ってコーディネートするわけである。
うがち過ぎかも知れないが、ひょっとしたら、上海の普通の女の子のワードローブの方が、日本の標準的な女の子のワードローブよりも充実している可能性がある。それほどまでに新し目のデザインを反映したアイテムが非常に安い価格で潤沢に供給されている。先入観から「品質は悪かろう」と思ってはいけない。世界各国への輸出を可能にした生産技術が中国に定着して、すでに10年は経っている。
なお、鳴魅さんによれば、日本の「ViVi」、「With」、「プチセブン」、「NONNO」、「Ray」の中国語版が出版されており、有力なファッション情報としてチェックされている。
彼女の周囲の20代独身女性に「今一番欲しいモノ」を聞いてもらったところ、MDプレイヤー、デジタルカメラ、ノートパソコン、コスメ、ウールのコート、NYのブランドNine Westの靴が挙がった。携帯はすでに持っているし、デスクトップパソコンもある。妥当なところだと思う。
■正規版のプライシングは非現実的
若年層のメディア受容について語る際に、海賊版の存在を無視することはできない。上海の街角では、夜になると、どこからともなくDVDやVCDを売る露天が出現する。すべて海賊版である。
値段を確かめてみると、日本でもよく知られている米国映画作品のDVDが10~15元(150~225円)。確かに安い。VCD盤もDVD盤も値段はさほど変わらない。製造コストが似たようなものだからだろう。日本のアニメやドラマの多くも、過去にこうしたルートで流通したようだ。
書店のAVコーナーやレコード店に行けば、楽曲、映画、ドラマのいずれも、正規版をきちんと売っている。価格水準は、国際的に流通しているメディアであるCDとDVDについては、米ドル建ての価格をそのまま元に直したもの。他国ではあまり見かけないメディアのカセットテープやVCDの方は、CDやDVDの半額ぐらいである。それでも、米国映画1本を収めたVCDが40~50元(600~750円)はする。
消費者を親がかりの学生と想定してプライシングを考えてみたい。父親の職業が地元資本の中間管理職だとすると、月給は4,000元程度。このうち、教育費もろもろを含めて子どもにかかる全養育費を1,000元とする。中国では養育費をケチらない。大切な一人っ子だ。
養育費1,000元のうち、お小遣いとして子どもに支給できるのは最大で200元だろう。為替レート換算では3,000円だが、前述の購買力平価で見れば1万8,000円~2万1,000円程度の価値を持つ。中国では学生のアルバイトは認められておらず、何かをやっているとすれば、すべて“隠れて”である。アルバイトをしないケースで考えなければならない。
ブリトニースピアーズから宇田多ヒカルまで、CDの国際価格が2,000円とすると、元では約130元。「グラディエーター」級の比較的新しい映画のDVDの国際価格が3,000円とすると、元では200元。購買力を勘案した実質的な価格水準は、安めに見積もってもそれぞれ7,800円、1万2,000円となる。これはもちろん、毎月のお小遣いで買える水準ではない。
日本のコミックの海賊版については、出版社が丹念に交渉したのだろう、上海市内ではどこを見回しても買えない状況になっている。外国書籍を扱う上海中心部の書店で、日本語書籍コーナーの一角に集英社や白泉社の正規版コミックが揃っているのを見つけたが、立ち読みしている女の子が少しいたものの、まったく売れていないように見えた。新書版1冊600円という日本の価格が、実質的には3,600円程度になってしまう。
家庭用ゲーム機ソフトなども、まったく同じ状況にある。ハードはおねだりなどで買ってもらうとしても、正規版ソフトはとても手が出せない水準だ。消費者向けパソコンソフトも同様である。
だから海賊版が認められるべきだと言う気は毛頭ない。
楽曲CDにしろ映画DVDにしろ、個々のコンテンツに付いた価格は、国際価格としてどの国でも同じ水準になる傾向がある。1国で安い価格を付けてしまうと、国境を越えさせるのが容易な商品だけに価格のサヤ寄せが起こるからだ。
ただ、それは生産者の論理であって、消費者の存在が一向に考慮されていない。企業の定義が「良質の商品を、顧客が受容可能な価格で提供する事業体」であるとするなら、中国において音楽・映画・ゲームコンテンツを提供する企業はないに等しい。マーケティングの定義が、「すぐれた商品をもっとも適正な価格で市場に供給すること」であるとするなら、中国では、音楽・映画・ゲームコンテンツのマーケティングはなされていない。
どこかの国の電力業界のように、規制で守られてコスト積上方式で付けた価格を、「われわれは間違っていない」と固守しているようなものである。
CD1枚買うのに7,000~8,000円以上の価値を持つお金を誰が払うだろうか?親がかりの学生どころか、給与生活者だって無理がある。