Twitterの本質は同期にある(1)
景気先行指標としてのバルチック海運指数が復調していますね。経済全般の光景が今年1~3月頃とはずいぶん変わってきたように思います。
今日もTwitter関連の話題。少し前にセールスフォース・ドットコムのCRMにTwitterを組み込んだ機能のデモを見せてもらう機会がありました。端的には、自社製品に関するTwitter上の発言が気になる企業ユーザーが、セールスフォースの中からTwitterに検索をかけて(言うまでもなくTwitterのAPIが公開されているのでこれが可能になるわけです)、自社製品に関する発言を拾い、それを担当者間で共有して、必要な対応を検討するというものです。
ネット上の発言を”監視する”というよりは、顧客との関係づくりのファーストステップとして応用するというところにアクセントがあります。
例えば、自社製品に関連して「XXXがわからない。困ったなぁ」という発言があれば、その人に対して何ができるかを担当者同士で検討し、Twitterの自社アカウントを使って直にメッセージを投げることが有効であると判断されればそれを行う…といった使い方が想定されています。
Twitterの内外で提供されている検索機能がよくわかっている方であれば、ほぼ同じことをセールスフォースなしでできるということに気づくと思います。まず、自社製品に関して検索をかけ、それについて「XXXがわからない。困ったなぁ」と発言している人を見つけ、必要な方策を検討するということはすぐにもできます。
セールスフォースの場合、それが他のチャネルを介した顧客対応と統合されているところにポイントがあります。コールセンターやウェブチャネルを通じて発生する顧客対応と、Twitterから始まった顧客対応とがある意味等価になっているわけですね。その発想はかなり斬新です。
で、ここからが本題。
Twitterの特徴はさまざまに語られてきましたが、そのもっとも強力な効用が「同期」であることに気づいている方も少なくないと思います。その同期も、リアルタイムできっちり時計のように同期するのではなく、多少の遅延を含みながら、「あえて同期しないという選択肢」も取り込みながら展開する、拘束性のゆるい同期、誤解を恐れずに言えばややいい加減な同期になっています。松村太郎氏はこれを「微同期」とおっしゃっています。この「微同期」は言うまでもなく、少し前に濱野智史氏がニコ動の特徴を表す際に使った「擬似同期」を踏まえています。
31日日曜日の夜、なにげなくTwitterのタイムラインを眺めていたら、「コミュニケーションデザインの未来」というトークイベントのリアルタイムテキスト実況が行われているのをRTで二次配信している人がいて、中に濱野氏の発言が含まれていたので、大元のTwitterアカウントをfollowして少し追ってみました。
中で濱野智史氏が非常に興味深いことを言っていました。引用します。
濱野:共通知識について。メディアがなぜ強いか?それは、テレビCMなどが皆が見たことになっている。皆が知っていることが重要。近代以前では呪術的儀式がそういう役割を果たしていた。国民全体の一体感を醸成。 (via @commudeture)
濱野:バナー広告がいまいちなのはこのため。誰が見ているかわからないから、「昨日見たバナー広告がすごくてさー」と話しにくい。それが魅力を奪っている。 (via @commudeture)
濱野:ニコ動は、ネットの非同期的なところとお茶の間的同期性を良いとこどり。同期性は稀少な資源だが、それを擬制できる。いつ行っても同期感がある。それが大流行りしているところをみると… (via @commudeture)
行間を補足すると…。
・昔のテレビは国民全員が見ていたので共通知識の源泉となることができ、前日のテレビで流れていた内容を話題にすることで、相手と同期することができた。
・現在ではテレビのような大多数が共有している共通知識の源泉がないため、同期がやや起こりにくくなっている。
・ニコ動では、ある話題になっている動画を見ている人同士で共通知識があることを前提にできるため、同期しやすい。しかもそれは、厳密な時計のような同期というよりは、擬せられた同期である。
となります。
濱野氏の考えをぎゅっと短く言ってしまうと、同期には共通知識が必要だが、現在では共通知識を提供する場が希少になっている、ということになります。
そしてその先でTwitterの特徴を捉えると、共通知識の「場」としての性格が浮かび上がってくるわけですね。共通知識が共有される小さな場が常時無数に生まれていて同期が生じやすい。それも、既存の場では提供できない拘束性のゆるい同期である。これが非常に興味深いと思います。
時間切れなので(書くのが遅い…)、別投稿で後日上げます。