「よきもの」の中身は事前に予測できない(ベキ法則下の企業活動-その4)
先週末に「The World Is Flat」の後半を読み進めていて、この本は間違いなく、インターネットのスケールフリーネットワーク性に直接的間接的に影響を受けざるを得ない主体であるところの私たち、企業、そしてそれらを包含する”社会”を論じたものである、という確信を強くしました。お断りしておきますが、スケールフリーネットワークという言葉はどこにも出てきません。
この本は、その”社会”の延長線で”国家”をも論じており、そこに非常に冷静な歴史家の視点があることが興味深いです。必要以上に何かを煽らない。何とかのひとつ覚えのように悲観主義に淫することがない。かといって楽観のユーフォリアに溺れることもない。多様な領域から事実を集めてきて、「世界はいま現在こんな風である」「目に見えない変化が進行している」「2025年の視点で見ればこんなだろ」といった具合に、ひとつひとつが具体性を持った素材を読者の前に並べてみせる、という記述の仕方をしています。
いわば年表作成のための素材を集めているという感じです。喜ぶべき素材もある。けれども悲しむべき素材もある。どちらも同じように現実に存在しており、その両方を見なければならない。そんなことを言っているようです。
公文俊平氏の「情報社会学序説」に戻ります。ベキ法則に触れている第五章の記述の中心は個人がこうむる変化とその可能性ということであり、企業活動についてはあまり筆が割かれていません。しかし公文氏が、自己組織化、優先的選択、ベキ法則といった特徴を持つスケールフリーネットワークに、好むと好まざるとにかかわらず接続せざるを得ない主体のひとつとして”企業”を見ていることは明らかです。
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自動車産業の研究家として世界的にも有名な経営学者の藤本隆宏は、日本の自動車産業が二十世紀後半に示した「もの造り能力」や「改善能力」のような企業の組織能力も、事前に合理的に計画されたものではなく、事後的に合理的と判断された「創発的なプロセス、つまり、当事者が必ずしも事前に意図していなかった径路で、徐々に、累積的に形成された。したがって、他の企業がこれを事前に察知することはきわめて困難だったし、競争力格差に気づいた後も、その組織能力の総体を把握することは難しかった」と述べている。藤本のいうように、一個の経営体の生み出した強い競争力さえ事後的な「創発」の産物だとすれば、産業全体、さらには一国の経済全体の「競争力」なるものの消長は、さらにより創発性の強いもの、人知を超えたものではないだろうか。
--「情報社会学序説 5.1.1. 創発(イマージェンス)」
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ここで読み込むべきは、スケールフリーネットワークから何かよきものが生まれてくるとすれば、それは『事前に合理的に計画されたものではな』いであろうということが示唆されている点です。個人レベルで何らかの創発が起こることを想像するのはたやすいですが、企業と企業が複合的な関係を取り結ぶなかで事前に予測しがたい何らかの創発が起こるかも知れない、と考えてみることは、なかなかファンタスティックなことではあります。
実は「The World Is Flat」にも、それを示唆させるようなくだりがありますが、それは後ということにして。
公文氏は同書の第五章において、ネットワークで接続された、スマートモブスとしての特性を示す個人の間からどのような創発が起こりえるかということを、自己組織化を本格的に研究している人たちの論考をふんだんに引用して、「あぁそのようでありうることよ」と思わせてくれます。例えば、以下なども非常におもしろいです。
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そして今日、コンピューターのソフトウエアが、ウェブでの人びとのオンライン活動のパターンを解析することで、何千万、何億という人びとの心、つまりわれわれ自身の心を読み、しかるべき対応――たとえばある人が興味を持ちそうな新刊書の推薦――をすることが可能になりつつある。つまり現在進化しつつあるソフトウエアは、人間精神の読み取り機になる方向に向かっているというのである。いいかえればここに、ソフトウエアの力を借りて、人びとがお互いの心を読み取り、コミュニケーションとコラボレーションを、さらには相互の奉仕を、より高度なレベルで展開していく可能性が生まれつつある。ジョンソンの言葉で言えば、われわれはいまようやく、「創発」のなんたるかを理解し、それを単に事後的に観察・分析したり、模倣的に再発・創出させたりしようとしていた段階から、新たな創発現象そのものを意図的・人為的に生み出す段階に入ったのだ。恐らく、情報社会での監視と協力の問題も、そういった観点から捉えなおしてみることが必要だろう。
--「情報社会学序説 5.1.1. 創発(イマージェンス)」
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ここの「心を読むソフトウエア」で想定されているのは、直接的には、インターネットマーケティング的な文脈で行われるテキストマイニング的なものですが、特定のユーザーが操作する一個のソフトウェアという把握を離れて、多数のユーザーが利用できるある種の環境という風に読み替えると、ブログやSNSなどのConsumer Generated Media全般がすっぽり収まる、非常に示唆的な記述という風に読めます。
Mixiの笠原氏のようにSNSのシステムを開発し、そこにユーザーを招待し、個々のユーザーがネットワークを形成していく環境を用意するということは、まさに「われわれはいまようやく、『創発』のなんたるかを理解し、それを単に事後的に観察・分析したり、模倣的に再発・創出させたりしようとしていた段階から、新たな創発現象そのものを意図的・人為的に生み出す段階に入ったのだ」ということを地で行く実例なわけです。
非常におもしろい時代になってきたと思います。
(気長に続く)