山谷剛史さんの「僕が中国ライターとして生きていける理由」でジーン
山谷剛史さんの「僕が中国ライターとして生きていける理由」を読んで端的にジーンときました。
一時期、上海に部屋を借りて書き物をしようとしていたことがあって(「インターネットマガジン」のここにその痕跡が。p168~)、山谷さんの書くものを以前から興味深く読んでおりました。
私の場合、中国語ができず、英語と通訳を使って行う取材が非常に効率が悪いという事情があって、上海から東京に舞い戻ってきました。山谷さんは中国語が堪能のようで、中国で普通に暮らす人たちの中に深く入り込んで、非常にリアリティのあるネタを拾って書いていらっしゃいます。下川裕治氏の旅行記が好きな方なら山谷さんの書くものはどれもおもしろく読めると思います。
一部では、渡辺千賀さんの投稿「海外で勉強して働こう」以来、オルタナティブな食い方に関する議論が活発になっています。
私はこれについては割と冷めた視点で見ていて、トラディショナルな食い方であれ、オルタナティブな食い方であれ、その人の価値観に合っていて、かつ維持可能性があるならば、それでいいのではないか(この維持可能性には、無理して病気になったりしないということも含みます)。
オルタナティブな食い方は往々にして隣の芝生のように見えることがあるので、トラディショナル→オルタナティブに移行する際にはそこそこ慎重にならなければならない。それから、トラディショナル→オルタナティブは一方通行とは言わないけれども、いったん移行した後でオルタナティブ→トラディショナルの道をたどろうとすると、かなり苦労するのでそこらへんも注意する必要がある。最終的には「自分に合っている感」があることが重要であって、それが現状できているなら無理してオルタナティブに移行する必要はない…。といったところです。
そんななかで、山谷さんの「僕が中国ライターとして生きていける理由」は、オルタナティブを検討している人の背中をぐいと押すようなところがありますね。本音で書いているのがはっきりとわかるので、かなり胸にきます。
だから飯が食えているのだと思う。そんなスキマ産業はまだある。
オルタナティブな方面で食うには、市場があること、ないしは、顧客がいることが大前提です。この場合市場と言っても、当初からばかでかいということはあり得ないので、結局、マーケティングで言うニッチ戦略にならざるを得ず、上記の「自分に合っている感」があるドメインでもって、市場・顧客が存在しているニッチを探して、うまくはまりこんだらグー、という感じになるわけですね。フリーランスでものを書いて食っている人はみんな骨身に染みて理解していることだと思います。
ここで重要なのは、彼が「そんなスキマ産業はまだある。」と肯定的に断言しているところで、ここに未来があり、希望があるわけですね。
個人的には、今後、そういう”スキマ産業”だらけになるのが21世紀半ばに向けた正しい経済のあり方だと思っております。