OS-0001:起業と経営の分離、起業と所有の分離(再掲出)
10月6日23時頃に一度掲出したのですが、フォント設定の不具合が多々発生し、修正しようがなかったので一度削除しました。フォント設定の方法が判明したので、再度掲出します。
考えたことをブログで書いていると、いろいろな方が親切に教えてくれるのがありがたいです。先日、Wikipediaの日本における書き手のことを、
やや粗雑ですが、「百科事典的なコンテンツに興味があり、しかも、百科事典的なコンテンツの制作に参加できる資質を持った人たち」ぐらいに母集団を絞ると、その母集団における2.5%程度の人たちが現在のWikipediaを書いているのではないかなぁ、
と書きましたが、これについてWikipediaの編集に精力的に関わっていらっしゃる方が答えてくれました。
月ベースで常時3,000~5,000名とはすごいです。月100以上編集するコアなWikipedianも600名であるとのこと。執筆を活発化させるためにインセンティブを設定する試みも行われているそうです。非常に興味深いです。
さて。新規事業「KAIZENエンジン」(仮称)の実現・展開に不可欠な諸事項の記述を続けます。
今日は、本事業の実現にあたって非常に重要な事項、すなわち、私本人・今泉大輔が本事業においてどのような位置づけで関わるのかについて記します。タイトルの「OS」はOrganization Structureの略。
起業と経営の分離、起業と所有の分離
本事業人が実現・展開する事業の構想・考案・設計・計画は、当面の間、メディアプラネッツ有限会社代表取締役・今泉大輔がこれを行う。
ただし、経営については、しかるべき時期に自薦・他薦による候補者の中からもっとも適当な者を選出し、最高経営責任者の任を委譲する。
これと並行して、単独の最高経営責任者の経営による基本理念からの逸脱等を避ける目的で、できるだけ迅速に複数名から成る経営チームを組成し、最高経営責任者に対して助言し補佐するものとする。将来において作成される本事業人運営の規約に基づいて、最高経営責任者は経営チームによって罷免されることもあるものとする。
本事業人の所有形態については、株式およびそれに準じる本事業人所有権と本事業人に対する利益請求権をある一定の単位に分割しうる何らかの契約的枠組みを用いて、今泉大輔のみならず、最初期の経営チーム、および、事業実現に当って尽力した創業チーム全員の間で、もっとも妥当と思われる分配比率を検討し、それに合意することによって決定する。
なお、本事業人は、将来において作成される本事業人運営の規約に基づいて、これを分割的に所有する経営チーム、創業チーム、今泉大輔などの所定の割合の賛成があった場合には、第三者的な立場にある法人に売却あるいは吸収されることもありうるものとする。
その際においても、本事業人の基本理念は最大限に尊重されなければならない。
以上です。
付記。
以前、「IPOという選択」(翔泳社) という本を書いた時、私の中に素朴な疑問としてあったのは、株式公開しちゃった後で得られる莫大な個人資産(ただし公開後当面の間は売れない株なわけですが)について、創業者はどう考えているのかということでした。「それだけお金を得てどうするの?」と。
その素朴な好奇心を満たすためだけに本書の取材を始めたような経緯があります。
現実に取材時点で公開が済んでいたのは、サイバーエージェントの藤田晋氏と現ライブドアの堀江貴文氏の二人でした。話を聞いてみると驚くほど淡々としています。二人とも公開後の時価で数十~100億円単位の株式を保有していたはずですが、「カネが入ったけんガハハハ」というそぶりは微塵も感じられませんでした。
お金について凡人であった私にその理由は最後までよくわかりませんでしたが、最近、本新規事業を構想するなかで、多少は理解できそうな雰囲気がしてきました。
起業家が事業のゴールをかなり高い地点に設定している場合、株式公開後の100億~200億円という資金は、事業拡大のために残しておかなければならない資金であって、たとえそれが名目的に自分のものであるとしても、「大金持ちになったガハハハ」という気持ちには、ほぼ間違いなく絶対に結びつかない、ということだと思います。
現行の事業のキャッシュフローだけで事業拡大のための投資がまかなえるのならいいですが、株式公開後数年の間は、市場での地位を安定させ、新規・既存の競合企業に対抗するために、ありとあらゆるオプションを講じられるようにしておかないといけません。これを考えると資金は50億円単位で温存しておきたいわけで、IPOによって仮に100億円単位の株式資産が自分名義のものになったとしても、まったく安心はできないわけです。
発想としてはこうです。自分のために事業があって、その事業のために得られた資金のうち自己保有株式分は自分に属するものである、と考えるのではなく、事業のために自分があって、その事業のために得られた資金のうち自己保有株式分も、結局のところは事業に属するものである、と考えるわけです。
このような考えに立つと、たとえ自己保有分の株式が時価で数百億円になろうが数千億円になろうが、まったく「金持ちじゃけんガハハ」とはならない。
むしろ、もっと事業拡大の夢が大きくなって、資金をどう振り向ければ事業が最適化・最大化するかを考える。2000年後半の株式公開後の藤田晋氏と堀江貴文氏は、そういう発想に立っていたのだと思います。もちろん今でもそうだと思います。
現在の私も本事業によって得られる可能性のある資金(そのうち、純粋に事業人に属する部分は言うまでもなく、自己保有株式分に相当するものであっても)について、同じ考えを持つことができるようになりました。
従って、金額の多寡に関わらず、これは事業のために使うお金であると、そう考えると多寡は問う必要はなく、多ければそれをそのように活用すればよいし、少なければそれをそのように活用すればよいと。そう考えると、非常に気がラクですし、たとえン百億ン千億のお金になるようなことがあってもまったくビビらずに済むわけです。
個人的に(バカかと言われるのは承知の上で)、本事業がうまく展開でき、「ビジョナリー・カンパニー」で言うところの「時計」がしっかり動作するようになったら、Personal Flying Vehicleが誰でも買えて乗れる社会のための産業基盤づくり、社会基盤づくりに積極的に関わってみたいと考えています。それを考えると別段数千億円であったとしても足りないということにはなりません(バカかと言われるのは承知の上で)。
起業と経営の分離について簡単に補足すると、いま手元にないので正確に引用できませんが、ドラッカー大先生の「イノベーションと起業家精神」の下巻の前半分あたりで、起業家が事業を拡大していく過程で必ず、経営能力に限界が見え始める局面が来るので、それが来る前にチームで経営する体制をしっかりと準備しておくように、というアドバイスがあるのを読みました。
ここを読んだ時には「ガーン!」。そういうことか、そういう筋道があったのかと目からウロコが落ちました。これで本事業の実現と成功は堅くなったと確信した次第です。
一般常識として、何らかの事業を始めると、その創業者自身が経営をずっと行って、事業拡大の道を進んでいったり、株式公開に至ったりするのが当然であると考えられていますが、それは、そうではないということなのです。
ドラッカー大先生は、「まず事業が躍進するためには何をすればいいかを考えろ」、「自分(創業者)はそのなかで、どういう役回りをするのがベストかよくよく考えろ」という意味のことをおっしゃっています。
そして、創業して後、比較的早期に経営の第一線から退いてしまったマクドナルド創業者の例や他の説得力ある例を出しておられます。
まさにその通りなのです。創業のアイディアがあったり、技術があったり、特許を持っていたりするから、創業後ずっと経営者の位置に留まっていなければならないというものではなく、例えば、従業員数が100人を超えたら、あるいは年間売上が50億円を超えたら、といった外形的な面で経営者の負担が重くなる前に、そういう経営をヘとも思わない人たち、あるいは1000人規模の企業で経営者に近い職務をこなしてきた人たちに経営は任せるべきなのです。
(ただ「ビジョナリー・カンパニー」では経営者をスイッチするだけでは物事がうまく行かない事例をいくつか述べていますが、まったくそのことも考慮すべきです。折衷案は、比較的創業直後に近い時期からしかるべき経営者にびしっと立っていただくということでしょうか)
その路線で考えると今泉大輔の経営能力が仮におぼつかないとしても、あまり意に介さず、本事業の実現と展開に集中できるわけです。すばらしい。
起業と所有の分離について補足すると、「儲けは独り占めしない」、ただそれだけです。やった人同士で公平に分ける。その原理原則をどこまでも貫く。
これは、後日掲出する本事業の一方の当事者であるところの企業顧客、そしてもう一方の当事者であるところの消費者顧客との間でも貫かれなければならない原理原則です。儲けはシェアする。
これを忘れない限り、本事業はかなり遠くまで行けると考えています。