オルタナティブ・ブログ > 経営者が読むNVIDIAのフィジカルAI / ADAS業界日報 by 今泉大輔 >

20年以上断続的にこのブログを書き継いできたインフラコモンズ代表の今泉大輔です。NVIDIAのフィジカルAIの世界が日本の上場企業多数に時価総額増大の事業機会を1つだけではなく複数与えることを確信してこの名前にしました。ネタは無限にあります。何卒よろしくお願い申し上げます。

BM-0003:事業モジュール#3 KAIZENエンジンの背景

»

日本の力の源泉は製造業にある。これは間違いないと思います。先日記した以下の記述もそれを念頭に置いていました。日本の生命線はものづくりです。

「日本語という器の中に盛られた製品やサービス」で海外に提供される限りは、多数の顧客を勝ち得ないわけで

日本の製造業は米国のそれとも中国のそれともおそらくは何かが本質的に違っているのではなかろうかと、ぼんやり考えています。それは現在、ある外資の企業をクライアントとして仕事をさせているなかでも日々感じていることです。

藤本隆宏氏は、そのへんを「擦り合わせ」というキーワードで括って一連の論考を展開しておられます。

日本の自動車産業の強さの秘密は、「擦り合わせ」を綿密に行うことにあると。「擦り合わせ」の概念は経済産業省の「ものづくり白書2004年版」でも基軸に据えられています。

この「擦り合わせ」を可能ならしめているものが、ひょっとすると日本語という言語を操る力にあるのではないかとひそかににらんでいます。

日本人は細かいことに非常によく気がつきます。

海外旅行をしてみると誰もが体験することだと思いますが、飲食店のテーブルが少しだけ汚れていたり、そこそこ安くはないホテルの部屋の清掃に少しの落ち度があったりすると、「おや?これは日本ではあり得ない」と感じます。同じように、国外製の工業製品で本質的な機能には何ら影響しないごく小さなデコやボコがあったとしても、「おや?こんなのが市場に出るなんてあり得ない」と思ってしまいます。

清潔さや製品の完全さや気が行き届いていることに関して、日本人が一般的に持っているスタンダードは、おそらく国際的に見れば非常に高いところにあるように思います。

この非常に高いスタンダードが日本語でモノを考え、感じ、それを他者(顧客)に有形無形のアウトプットとして出す行為のどこか、あるいは全体にひそんでいるのではないかというのが、私のごくぼんやりとした直感です。

このスタンダードは日本人一般が持っている暗黙知と呼べるかも知れません。これは絶対に人種が優れているなどという話ではなく、日本語という言語にひそんでいる特性からくるものではないかと思います。

とすると、「擦り合わせ」は、日本語を操る人しかできない技なのではないか。デジカメやケータイや最盛期のSONYの製品が小さくて優れていて高品質だったのも、そうした日本語を操ることで可能になる“微細な、高品位に関する譲れない一線への執着”があったからなのではないか、と思うわけです。

こういう日本語を使う人一般が持っているスタンダード、言い換えれば、“微細な、高品位に関する譲れない一線への執着”は、消費者一般も持っていると考えます。

以前にも少し書きましたが、価格コムの電子機器関連の書き込みをみると、製品の瑕疵、実現されている機能、使いにくい機能、カタログ上では存在が記載されているが実際に使ってみるとかなりな程度不具合が見られる機能などに関するユーザーの評価は、ものすごく厳しいです。

個人的に中古オーディオに興味を持って種々のウェブページを巡り歩いていた際にも、なぜにかくもわれわれは品質や音質や操作性の微細な点にこだわるのか、ということを常々感じていました。

中古オーディオに限りません。このITMediaさんのサイトにも頻繁に掲げられる自作PCのパーツ新製品に関するレビュー、iPodの新機種、携帯電話の新機種などに関するレビューなどにもそうした志向性がはっきりと表れます。そうした機器系に留まらず、雑誌以外にネットのメディアでも流通するようになった飲食店のレビュー、宿泊施設のレビュー、新車のレビュー等々においてもそうです。

おそらくは日本的なるもののすべてにそれが関係している可能性がありますが、話をそこまで広げてしまうつもりはありません。

こうした“微細な、高品位に関する譲れない一線への執着”は、おそらく、日本で生産され日本市場に流通する工業製品の品質向上に著しく貢献していると考えています。生産し設計する側もそうしたスタンダードで臨み、それを受容する消費者の側もそれを持っている。

ただ、最近では図式がやや変わってきていて、それについては「情報の非対称性のもんだいを特許で打ち破るのか?でも少し書きましたが、“微細な、高品位に関する譲れない一線への執着”を消費者の側が価格コムのような掲示板式情報共有やブログでもって、率先して書くスタイルが浸透するなかで、消費者の側が生産者側に対して優位を持ちつつあるように思えます。

そこなわけです。私が起業家的に着目するのは。

企業の側から見れば、現時点における、消費者による“微細な、高品位に関する譲れない一線への執着”をウェブで書く行為は、かなりアナーキーな状況にある。企業としてはほとんど利用できない。しかも、そうした情報の流通が、最近たびたび報道される過去にはあり得なかった速度で進むデジタル製品の価格下落とプロダクトライフサイクルの短命化に、かなりは影響を与えている風がある。企業の視点から見たら、よくないことばかりではないか…。

そうした企業にとってのデメリットを、メリットに変える事業があってもよいと思うわけです。

日本語を操る消費者による、“微細な、高品位に関する譲れない一線への執着”をインターネット上で書く行為を、日本のメーカーの「擦り合わせ」に活用する。

これでもって、日本のメーカーの国際競争力はさらに増して、むこう30年ぐらいは日本の国力の衰退を心配しなくともいいようになるのではないか、というのが、不肖わたくしの考えるところであるわけです。

Comment(2)