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白川克さんのブログ記事の題名に必ず「あるいは」が入っているのは何故か? - Allegro maestoso・編

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前回のあらすじ

ITmediaオルタナティブブログでご一緒の白川さんのご好意により、白川さんの記事について考察させていただきました。ご快諾をしてくださった白川さん、ありがとうございました。

前回「白川克さんのブログ記事の題名に「あるいは」が入っているのは何故か? - THEME・編」でオルタナブロガー・白川克さんの記事の題名に「あるいは」が必ず入っているのはなぜか? について問題提起をしました。

そして「メンツなんでどうでも良くない?あるいは品質を上げることを第一に考えよう」の場合は、頓呼法(呼びかけ)を意図的に使うことで思いの強さを表現しようとしたのかもしれないと考察しました。

題名だけでも奥が深い

白川さんが記事の題名に「あるいは」を使い始めたのはいつからかと疑問に思い、検証するため白川さんのブログが開設された時の記事、つまり第一回の記事から題名を確認しました。

一回目は「プロジェクトを成功させる魔法?あるいはブレようのない要件定義」(2011年1月26日)。一回目から題名に「あるいは」が使用されています。

二回目の題名は「意思決定の1000本ノック。あるいは決めることがやたらにある理由」(2011年1月27)。

三回目の題名は「脱線は続くよどこまでも。あるいは脱線の2軸対処法」(2011年2月3日)。

四回目は「 「君、才能ある?」あるいは、伸二と啓太とプロジェクトワーカー」(2011月2月10日 )。

※題名の「伸二」はサッカーの小野伸二 選手(現・清水エスパルス)。 「啓太」は鈴木啓太 選手(浦和レッドダイヤモンズ所属)のこと。

四回目は疑問形(「君、才能ある? 」)でカギカッコがついています。

  • 「」が付かず疑問符がついているもの(例:プロジェクトを成功させる魔法?
    は白川さんの内的言語(心の中の言葉、頭の中の小人さんが話している? )、
  • 「」がついているものは白川さん自身が言いたい/言った、
    または第三者が「発話」した言葉

という共通性が見出せます。

カギカッコの有無は、

  • 心中語(内的言語)か
  • 発話したもの・言いたい事

の区別を読者に伝えています。

白川さんはいつから「あるいは」を題名に入れていたのか?

白川さんのすべての題名を一覧にすると膨大な量になるので、月1本に端折って一覧にしました。

白川さんがブログを開始された2011年1月から月1本抜粋で箇条書きにしました。見落としがあるかもしれないという前提で仮説。

初期の記事には「あるいは」の前に句点(。)を入れていたことが伺えます。「あるいは」の前後をスペースで区切っているものは目視で見た範囲だと無い。「あるいは」の前後に句読点がなく前後がつながっているものもありました。(例:自転車ロードレースあるいは僕の理想のチーム)

箇条書きや新着記事で題名を目視した限りでは、最近の題名では読点(、)や疑問符(?)でつなぐ手法が多いかもしれません。「A! あるいは B」という感嘆符(!)とか三点リーダー(...)で「A ... あるいは B」とかのバージョンは見当たりませんでした。※あくまでも目視での仮説

「あるいは」からわかる事

第一回目の時点ですでに題名に「あるいは」が入っています。その後も「あるいは」が題名に入っています。

仮説ですが、白川さんがITmediaオルタナティブ・ブログで第一回目の記事が正式公開される前(ブログを開始する前)に、強い意志を持って題名に必ず「あるいは」を入れようと決められていた事が伺えます。

ブログ執筆プロジェクトを開始される前に、全体の構造を考えた上で構想されていたのでしょうか。三島由紀夫の「豊穣の海」みたいに、白川さんも書き始める前から大きな構想を持っていらしたのでしょうか?

※ここで 三島由紀夫の「豊穣の海」と書いたものは、『春の雪』、『奔馬』、『暁の寺』、『天人五衰』の全4巻からなる長編作品です。原作から一部分を抜き出して恋愛物語にアレンジした妻夫木聡さん・竹内結子さん主演の映画版『春の雪』をご存知のかたは多いかも。

参考:春の雪 [DVD]
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白川さんはどうして記事の題名に「あるいは」を入れたかったのか。白川さんご自身にTwitterで確認した所、「あるいは」の元ネタは塩野七生『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』とのこと。文学的な理由でした。

参考:塩野 七生・著
チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷 (新潮文庫)
4101181020

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チェーザレ・ボルジアをご存じない方のためにステレオタイプかつ簡単な補足を致します。彼はマキアヴェリの『君主論』の中で「指導者とはこうあるべきだ」と讃えられた男性です。

オレンジ色の髪の毛で非常な美男子だったとか。レオナルド・ダビンチのパトロン、メディチ家のみなさんと同時代のイタリア・ルネサンス期の人です。

※Wikipediaより引用

チェーザレ・ボルジアは教皇アレクサンドル6世(第214代ローマ法王)の息子、かつ枢機卿でした。政治家であり軍人。「ボルジア家秘伝の毒」で敵対する人たちを粛清したとも言われているし、マキアヴェリは有能な政治家で兵士から人望があったと記しているし、塩野七生さんの「優雅なる冷酷」という表現は言い得て妙。

※お父さんの教皇アレクサンドル6世はスペインのバレンシア出身。お父さんはミケランジェロやブラマンテ、ラファエロなどの芸術家のパトロンでもあったそうです。

「チェーザレ・ボルジアは枢機卿の身分を捨てて小国乱立だったイタリアを統一しようとした雄々しい人らしい」「妹のルクレツィア・ボルジアはたいそうな美人」という事は存じ上げていました。

白川さんは塩野七生さんがお好きとのことですので、塩野さんの作品へのオマージュとして「あるいは」を使われたようです。

それでは、塩野七生さんは『チェーザレ・ボルジア あるいは 華麗なる冷酷』の題名に「あるいは」を入れたのは何故か。考察は続編に続きます。

>>「「あるいは」の文学 -白川克さんのブログ記事の題名に必ず「あるいは」が入っているのは何故か? - Andante cantabile con espressione・編」に続く

参考文献

ニッコロ マキアヴェリ Machiavelli ・著
新訳 君主論 (中公文庫BIBLIO)
4122040124

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姉妹記事


追記
2012.7.31 14:00ごろ、冒頭に白川さんへのお礼を追加しました。

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