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グローバル化する中で日本人はどのようにサバイバルすればよいのか。子ども×ICT教育×発達心理をキーワードに考えます。

白川克さんのブログ記事の題名に「あるいは」が入っているのは何故か? - THEME・編

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「あるいは」の文学を取り上げたい理由

以前、私はこんな記事を書きました。 「[パクリ? の日本文学] 第1章 片岡麻実の「ネットと村上総裁とわたくし」」です。村上総裁の文学性について私なりの真面目さで考察を試みました。文体解析ロゴーンで総裁の文体を数値化させていただきました。

参考:文体診断λόγων(ロゴーン)
http://logoon.org/

同時にオルタナブロガー 白川さんのブログの文学性が気になっておりました。しかし第三者のことを解析させていただくのは、お願いしたとしても不躾かもれない......。

村上総裁のように「いいよ」といってくださる方のほうが少ないのでは? と思いつつ、白川さんにご確認したところ「なんでもOKです」とご快諾をいただけました。 白川さん、ありがとうございました。

白川さんのご好意に甘えて、まずは前から気になっていた題名に「あるいは」が入っている謎を考察させていただきます。

「あるいは」がお好き?

白川さんのブログで特に目を引くのはここです。(2011年7月29日現在)

最近のエントリー

新着記事一覧に表示されている題名には必ず「あるいは」という接続詞が入っています。日本語ならば「A あるいは B」とか「A または B」とかの使い方でしょうか。英語ならば「A or B」。

白川さんの最近の新着一覧には「あるいは」の前は読点(、)または疑問符(? )がおかれています。体言止め「あるいは」体言止め、疑問形「あるいは」体言止め など、バリエーションを増やそうとされているご様子です。

最新作の 呼びかけ「あるいは」終止形(動詞で終わり) は新作パターンかもしれません。

私は最新作の題名の「メンツなんてどうでも良くない?」 を疑問形ではなく「呼びかけ」として捉えました。「呼びかけ」についてはWikipediaからの引用で恐縮ですが以下のような解説があります。

頓呼法(とんこほう、または呼びかけ(法)Apostrophe)とは、語り手または作者が語りを休めて、そこに存在しない人物または抽象的な属性や概念に直接語りかける、感嘆の修辞技法のこと。戯曲や詩の中では、「O」という言葉(感嘆詞の「Oh」とは混同しないこと)とともに始まることが多い。語源はギリシャ語の「ἀποστροφή, apostrophé」(背を向ける)。

頓呼法は擬人化と関連があるが、頓呼法の中では、目の前に人がいるように語り手が話しかけることで、目的語と抽象名辞に、はっきりした人間の特質(たとえば思いやりのような)がほのめかされている。

ウィリアム・シェイクスピアハムレット』第3幕第3場のクローディアスの熱烈な語りのように、極度の感情を伝えるのに使われることが多い。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%93%E5%91%BC%E6%B3%95 から引用

白川さんが読者に対して感情を伝えるために「どうでも良くない?」という書き方を意図的に選択していた可能性を感じます。今回は書き手が目の前には存在しない読者に呼びかけていると私が解釈しました。

ですが白川さんが読者に対して「どうでも良くありませんか? 」と質問している意図でかかれているかもしれません。もしくは両方の意味で受け取る事ができるように書いた可能性も感じます。あるいは深い意味が無いかもしれません。

記事の内容からすると白川さんが「同僚のメンツを大事にする」<「ベストな品質を追求する」という想いを強く持たれているようには見えます。

熱い思いを伝えるために「呼びかけ」(頓呼法)を使われたのかどうなのか。白川さん、実際はいかがなのでしょうか?

>>「白川克さんのブログ記事の題名に「あるいは」が入っているのは何故か? - Allegro maestoso・編」に続く


追記
2012.7.31 14:00ごろ、冒頭に白川さんへのお礼を追加しました。

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