災害支援8日目あるいは自分にとってどうだった?
★津波は予測できていた
この写真は南三陸町の国道沿いに立っている、「津波浸水想定区域」の道路標識だ。驚くのは、この浸水予測が1mもはずれていないこと。ぴったり、標識の根本まで津波が押し寄せ、標識より標高が高いところには津波は来ていない。
何度もここを通るうち、僕は深く考え込んでしまった。
そう、予想は出来ていたのだ。津波が来ること。どの程度まで浸水すること。ものすごく正確に。
それでもこれほどの被害が出てしまったのは、なぜなのだろうか・・。唯一欠けていたのは「いつ来るか」「本当に、あなたが生きているうちに来るか」という予想。せっぱ詰まった確実で正確な予測でなければ、人間はリスクに対処できないものなのだろう。
普段、プロジェクトワークで僕らがなかなかリスクに対処した行動がとれないことが可愛く思えてくる。ましてや科学者が悲観的な予測モデルを作ったくらいで、地球温暖化に対処するためにクーラー使わない決心するなんて無理だよなぁ。
★被災地でファシリテーションは役に立ったか?
間違いなく言えるのは「ファシリテーター・マインド」は大変役に立った。
被災者とボランティア、というはっきり立場が違う間でも、まずはみんなの話に耳を傾ける。支援のニーズから愚痴まで、意見や思いを引き出す。被災者同士で意見が食い違う場合でも、両者の意見を聞いた上で間を取り持つ。
こういったことは、僕はファシリテーションを通じて学んだし、今回の住み込みボランティアでは大変役に立った。
逆に言うと「ファシリテーター・マインド」を超えて、バリバリのファシリテーターとして振る舞えたか、というと、1週間では僕には出来なかった。前に書いたように、本当は情報不足から来るストレスを軽減したり、要望を的確に引き出すための会議体を立ち上げるべきだったが、出来なかった(やろうと考えていた矢先に避難所が閉鎖されることが決まった)。
このあたりは心残りがあるし、もっとうまくできた気もする。
★今、自分に何が出来るだろうか
東京に帰ってきた今、再び仕事に追われながら、ゆっくりと自分に何が出来るかを考えている。
とりあえず、仲良くなった地元の方が仕事を始めるために直近必要なモノをピンポイントで送ることや、被災者と支援者を顔と顔が見える形で結べないかな、と考えたり。
また、ファシリテーション協会では、ファシリテーションを使って何か役に立てないかを議論する場を持とうと計画している。少なくとも、1週間といえども住んでいたのだから、情報提供くらいは出来るだろうし。
★行って良かったか?
「貢献したぜ」とか「仕事をやりきった」という充実感はない。前に書いたように、被害が大きすぎてそういった実感を持つのは難しかった。被災者の方々の生活は大変なままだし。
それでも「行って良かった。」とは強く思う。理由はまだうまく言語化できない。月並みだが、地元の人やボランティア仲間との出会いなのかもしれない。震災に対してちょっとでも何か出来た、という自己満足なのかもしれない。単純に、地元の人と話したり、仕事をしたり、道具を準備するのが楽しかったのかもしれない。
そして、少しはタフになれた気がする。途中で寝込んだので、身体的にタフでないことを実証したのは我ながらとても情けないが、精神的には自分の持っている力を非日常の中でもキッチリと出せたように思う。
皆さんもまだ遅くはありません。ゴールデンウィーク中の報道などで、一部には誤解もあるようですが、まだまだ現地では人手を必要としています。行けば、なんらか役に立てると思います。
自分が何かを得るためにも(何を得られるかは、僕には言えませんが)、まずは行ってみると良いと思います。