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大学をdisるな、あるいは「若者よ学問せよ」

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Twitterではもちろん、そのとき思いついたことをダラダラと書いている訳だが、大学、大学教育について触れる頻度が多い方かもしれない。社会人になって10年ほどは大学について全く意識しなかったのだが、ここ5年くらいで大学について考えることが少し増えた気がする。
大学についてTwitterに思わず書いてしまうのは、世間で語られるのが相変わらず「大学disり」(大学、大学教育をおとしめる発言)ばっかりだからだ。
それで何となくバランスを取るために言いたくなってしまう。

・大学ではまじめに学問した方が良い。面白いし、10年後にそのことの意味が分かる。
・簡単に因果関係が証明出来ないだけで、大学教育は極めて有用。
・産業界が求める「即戦力の育成」「グローバル人材の育成」などいったん忘れてしまえ。

中学、高校時代に読んだ文章では、それが週刊誌のコラムだろうが小説だろうが、大学について触れるときは全て「いかに大学の授業がつまらないか」「大学教育に意味がないか」「授業に出ないで他のもっと有意義な事をしたか」といった文脈だった。
例えば「ノルウェイの森」では「大学の授業には退屈に耐える訓練という以上の意味はない、という結論に達した」みたいな事を主人公が言っている。

そんな訳で、いざ入学するときにはすっかり「大学の授業はたいそう面白くないらしい」と思いこんでいたし、「意外と授業つまんないね」と言う級友に対して「そんなこと知らなかったの?」と思っていた。イヤなヤツですね。さすがに口には出さなかったけれども。

その一方で僕自身は、斜めに構えて出席した大学の授業が意外と面白くてびっくりしていた。マクロ経済の授業とか、鮮やかだなぁと思いましたね。何もせずに単位をくれるという事で有名な先生の授業に最後だけ出てみたら、面白くて今まで出なかったことを後悔したり。

そのころだったと思う。
「大学では勉強を極力せずに、学問をなるべくやろう」
という方針を立てたのは。

一般的にどうなのかは知らないが、この二つの言葉についての僕の勝手定義は以下のとおり。

勉強:「問題があって、答えがあること」を学ぶこと
学問:「問題があって答えがないこと」または「問題すらないこと」を学ぶこと

もうね、誰かが出してくれた問題をいかに効率よく解法を当てはめるとか、受験で散々やって飽き飽きしていたわけですよ。
そして、「勉強しない方針」を採用した結果は鮮やかだった。英語やらドイツ語の単位をたくさん落として留年したのだ。まあ、その話はいいや。

「学問をやる」方面でもけっこう頑張った。
1年の時から違う学部のゼミに参加して文献の読み方のイロハを習ったり、ゼミ仲間と国際関係について議論したりした(卒業までに4学部、5つのゼミを履修した)。
3年生からは本格的なゼミで師匠に出会い、課題を毎週こなした。履修していない授業に潜りで参加して、一番発言したりもした。
昔は就活がおおらかだったから、4年生になっても就活用の企業訪問は数えるほどしかしなかった。代わりに卒論を書くための企業インタビューをたくさんさせてもらった。夏以降の4ヶ月ほどはバイトも授業も出ずにずっと卒論にあてた。今の事情は知らないが、16年前の大学で「卒論を一生懸命書く」というのは全くファッショナブルではななかったし、僕の周りにもあまり熱心に書いているヤツはいなかった。
(ちなみにセブンイレブンの焼きたてパンビジネスをケーススタディにして、企業間ネットワークによるイノベーションがテーマだった)

2月には卒論を書き上げ、再び単位が足らなくなりそうでヒヤヒヤしながらも卒業し、適当な就活の末に選んだ小さな会社に入ってしばらく一生懸命システムを作っていた。

そして10年ほど経ったときに「今、楽しく仕事が出来ているのは大学でまじめに学問したからだろうなぁ」とふと思うに至ったのだ。
大学で学んだことの何がどう今の仕事につながっているのかを理路整然と説明することは、今の僕には出来ない。
強いてあげるならば「混沌とした状況で、いま答えを出すべき問いは何か?」を考えることだったり、意見の違う人と議論することだったり、自分の頭の中をのぞき込む技術だったりするのだが、どれだけ言葉を尽くしても充分には説明出来ない気がする。

10年たたないと良さが分からない贈り物は、急に欲しいと思ったときには手に入れるのは難しい。自己啓発本をいくら読んでも同じモノは手に入らない。

もう一度書く。
いま大学に行っている人は、一生懸命学問した方が良い。たとえ現時点で、必要性が分からなくても。
そして「何か社会人になったときに役に立つ知識を身につけよう」とか思わない方が良い。知識は後でどうとでもなる。
大学でしか得られないものは「学ぶ力」「考える力」なのだ。たぶん。

【蛇足】
現在でも「大学で学んだ事は役に立たない」ということは色々な角度から、繰り返し書かれているように思う。もちろん中には役に立たなかった人もいるだろう。そういう人が自分の経験を書くのは良いのだが「だから一般論として大学はクソだ」というのは言い過ぎなのではないだろうか。
僕は「役に立ったと感謝している人も中にはいるよ」という一つのケースを提供しようと思ってこの記事を書いた。一般論ではない、一つのサンプルとして。
あと、僕は文系ですが、理系の人はちょっと違うかもしれない。

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