Telexistence社の戦略:日本スタートアップ大賞2025にみる日本のロボティクスのフロンティア

はじめに:日本ロボティクス界の新たな旗手、Telexistence

日本ロボティクス業界が注目すべき新星、Telexistence株式会社が「日本スタートアップ大賞2025」で内閣総理大臣賞を受賞しました。これは、同社の革新的な技術力と、それを社会実装へと結びつける確固たるビジョンが高く評価された証です。本報告書は、この画期的な受賞を機に、同社が提唱する「ハイブリッド・インテリジェンス」のロボット工学的詳細、その技術的優位性の源泉、そして、この技術が日本の外、さらには工場の外へと展開していく将来戦略について、専門的な観点から深く掘り下げて分析するものです。

同社の核となる思想は、1980年に東京大学名誉教授であり、現Telexistence社会長である舘暲博士によって提唱された「テレイグジスタンス(遠隔存在感)」の概念に遡ります。これは、遠隔にあるロボットをあたかも自身の身体であるかのように操作する技術システムを指します。Telexistence社は、この独創的な概念を現代の人工知能(AI)技術と融合させ、特定の作業をAIが自律的に実行し、予測不能な状況のみを人間が遠隔操作で補完する「ハイブリッド・インテリジェンス」という独自のアプローチを確立しました。このアプローチは、ロボティクスの社会実装における長年の課題に対する、極めて現実的で実用的な解決策を提示しています。本報告書では、このハイブリッド戦略がどのように機能し、いかにして同社の競争優位性を構築しているかを詳細に解説します。

上は2023年のプレスリリース [Telexistence] シリーズBでソフトバンクグループ、Foxconn、Globis Capital Partnersなどから総額約230億円を調達 に添付されていた同社の事業/サービスコンセプトを表現する動画。同社が目指しているものがよくわかる優れた作り。

第1章:Telexistenceのロボティクス技術:現場への最適解

1.1. 特定用途最適化ロボット:TX SCARAとGHOSTシステム

Telexistence社の主力製品は、ファミリーマートの店舗に導入された人工知能ロボット「TX SCARA」です。このロボットは、コンビニエンスストアのバックヤードという特定の、制約された環境下での飲料補充業務に特化して設計されました。そのハードウェア構成は、既存店舗のレイアウトを大幅に変更することなく導入できるよう、関節軸構成やリンク長が最適化されています。胴体とアームには合計22自由度(DOF)が実装されており、これは人間のような柔軟かつ器用な作業を可能にすることを意図しています。

このロボットは、単体の機器としてではなく、遠隔操作用のコックピット、そしてロボットとコックピットを中継するクラウドシステムと一体となった「GHOST」というサービスアーキテクチャの一部として機能します。GHOSTシステムでは、ロボットとコックピットが有線LAN、Wi-Fi、5G/4G/LTEネットワークといった標準的なインターネット回線を介して接続されるため、導入場所や作業者の地理的制約を大幅に軽減することが可能です。このシステムの最大の技術的優位性は、従来の産業用ロボットが必須とする安全柵やアンカー固定を必要としない点にあります。これは、協働ロボットの安全設計思想と遠隔操作による人間中心の制御を組み合わせることで実現されており、結果として現場への導入コストと時間を大幅に削減し、迅速な社会実装を可能にしています。

1.2. 汎用化へのアプローチ:多関節ロボットと物理世界AI

TX SCARAによって特定のユースケースでの技術とビジネスモデルを確立した後、Telexistence社は、その技術をより汎用的な物理作業に対応させる戦略へと舵を切っています。日本スタートアップ大賞の受賞理由として、コンビニでのAIロボット「GHOST」の導入や、物流企業でのケースのデパレタイジング(荷下ろし)を行うロボットの提供といった、小売業や物流業における具体的な成果が挙げられています。これは、同社が特定のドメインのソリューションプロバイダーから、物理世界の汎用AIプラットフォームの構築者へと変貌を遂げようとする、明確な戦略的意図を示しています

同社は、物理世界で機能するAI、すなわち知覚、判断、そして身体的な行動が一体となった「フィジカルAI」製品のリーダーシップを確立するため、米国Physical Intelligence社(PI)との戦略的パートナーシップを構築しています。この提携は、TX社がコンビニでの運用を通じて蓄積した膨大な「身体性」を伴う遠隔操作データを活用することで、PI社が開発するVLA(Vision-Language-Action)モデルを訓練し、アノマリー(予期せぬ事象)からの自律的な復帰を可能にすることを目指しています。

この戦略は、同社が多関節ロボットを「物理世界AI」製品として、小売業や物流業など多様な環境へと展開していくための基盤を固めるものです。TX SCARAは、この戦略の第一歩であり、その技術が物流施設や製造現場などでの物体移動や操作へと横展開していくことが計画されています

第2章:ハイブリッド・インテリジェンスの核心:AIと人間の共生

2.1. 遠隔操作のブレークスルー:超低遅延映像伝送

Telexistence社のハイブリッド・インテリジェンス戦略の根幹を支えるのが、卓越した遠隔操作技術です。遠隔操作ロボットの実用化における最大の技術的障壁は、映像伝送の遅延です。映像がロボット側のカメラに入力されてから操作者のディスプレイに表示されるまでのエンドツーエンド遅延が100ミリ秒を超えると、操作者は視覚情報と自身の身体感覚との間に大きなズレを感じ始め、精密な操作が困難になるだけでなく、VR酔いの原因となります

この課題に対し、TelexistenceはKDDI総合研究所との共同研究開発により、このエンドツーエンド遅延を業界最高水準の50ミリ秒にまで短縮することに成功しました。この超低遅延技術は、ネットワーク遅延を含む全てのプロセスにおける徹底的な最適化によって実現されました。これにより、視覚と操作のズレをほとんど感じることなく、直感的でスムーズな長時間にわたる遠隔操作が可能になりました。この技術は、AIの不完全性を人間が効率的に補完するための、不可欠なインフラストラクチャを構築しています。

2.2. 「フレーム問題」への解法としてのハイブリッド戦略

多くのロボット開発者が直面する根本的な問題の一つに、AIの「フレーム問題」があります。これは、AIが定型的な作業を高い精度でこなせる一方で、予期せぬ事象や未知の環境変化、すなわち「アノマリー」に柔軟に対応することが困難であるという問題です。例えば、飲料補充作業において、AIは通常の商品を正確に認識して陳列できますが、商品が倒れたり、異常な位置に置かれたりすると、そのタスクを完了することができなくなります。

Telexistence社のハイブリッド・インテリジェンス戦略は、このフレーム問題を真正面から捉え、それを解決するビジネスモデルに昇華させています。同社のロボットに搭載されたAIシステム「Gordon」は、飲料補充業務において98%以上の認識精度と自動化率を実現しています。そして、残りの約2%で予期せぬ事象が発生しAIがタスクに失敗した場合、システムは自動的に遠隔操作モード(Telexistenceモード)にシームレスに移行します。この移行により、遠隔地のオペレーターがインターネットを通じてロボットを直接操作し、問題を迅速に解決します。

このハイブリッド制御は、単なるAIの自動化範囲を補うための一時的な解決策ではありません。これは、AIが最も苦手とする「アノマリー対応」に関する極めて価値の高い教師データを現場から継続的に生成するための、緻密に設計された「学習ループ」そのものです。人間が遠隔操作で失敗をリカバリーするプロセスを通じて得られる、関節角、トルク、カメラ映像、手の動きといった「身体性」を伴う膨大なデータは、AIモデルにフィードバックされ、その自律性の範囲を段階的に拡大するために活用されます。これにより、同社のロボットは現場で稼働すればするほど、より多くのタスクを自律的にこなせるように進化していく、自己改善型のシステムが構築されています

第3章:戦略的事業展開:日本の外、工場の外へ

3.1. 三つの柱からなる成長戦略:国内・グローバル・産業横断

Telexistenceの事業拡大戦略は、明確な3つの柱から成り立っています。第一に、国内小売市場におけるプレゼンスの強化です。ファミリーマートへのTX SCARAの全国規模での導入を足がかりに、より多くのコンビニエンスストアや小売店舗へのロボット展開を目指しています

第二の柱は、日本国外、特に北米市場への進出です。北米市場も日本と同様に労働力不足が深刻な課題となっており、同社のロボットソリューションは大きな需要が見込まれます。ただし、日本のコンビニとは店舗規模や物流の仕組みが異なるため、新たな市場に最適化されたロボット開発が必要となることが認識されています

そして第三の柱は、小売業で培った技術とノウハウを、物流、製造業、その他のサービス産業へと横展開することです。同社はすでに物流施設や製造現場での実証実験を通じてその可能性を検証しています。この多角的な戦略は、同社が特定のユースケースのソリューションプロバイダーから、物理世界における汎用的な労働力プラットフォームの構築者へと進化していく過程を示しています。

3.2. スケールアップを支える戦略的パートナーシップ

Telexistenceの事業は、単独の技術力だけに依存しているわけではありません。同社の成長は、緻密に計画された戦略的パートナーシップによって支えられています。

特に重要なのは、シリーズBラウンドでソフトバンクグループとFoxconnから総額約230億円を調達したことです。この資金調達に合わせ、ソフトバンクロボティクスグループとは北米およびその他地域でのロボティクス事業推進を目的とした戦略的事業提携に合意し、Foxconnとは次期モデル「GHOST」の生産技術確立と量産における連携を進めることを発表しました。これは、同社が小規模な研究開発・実証実験の段階から、数百台規模のロボットを大規模に商業運用するフェーズへと移行するために不可欠な、市場開拓と量産体制という二つの大きな課題を解決する、極めて重要な提携です。

また、同社のロボット制御とデータ分析のクラウド基盤には、Microsoft Azureが採用されています。これにより、大規模なデータ保管や分析のコストを最適化し、高い柔軟性と拡張性を確保しています。さらに、通信技術の側面ではKDDIとの共同研究開発を通じて、遠隔操作の超低遅延化を実現するなど、継続的な技術支援を受けています。これらのパートナーシップは、技術開発から市場投入、そしてグローバルなスケールアップに至るまで、それぞれの専門分野における世界最高のプレーヤーの強みを活用することで、同社の成長速度と確実性を飛躍的に高める、綿密に計画されたエコシステムを形成しています。

表1: Telexistenceの主要パートナーシップと戦略的役割

パートナー名 提携目的と戦略的役割
ソフトバンクロボティクスグループ

北米およびその他地域でのロボティクス事業推進。市場開拓と事業スケールアップの加速

Foxconn 次期モデル「GHOST」の生産技術確立と量産における連携。研究開発から大規模生産への移行を実現。
Physical Intelligence フィジカルAI、特にVLAモデルの開発。実運用データと汎用モーションデータを供給し、モデルの自律化を推進。
Microsoft Azure ロボット制御とデータ分析のためのクラウド基盤。コスト効率、柔軟性、拡張性を確保し、国内外への事業展開を加速。
KDDI

遠隔操作の超低遅延映像伝送技術開発。製品開発における通信技術の側面から支援

GLP/モノフル 物流業界における戦略的パートナーシップ。物流施設へのロボット導入と市場開拓。

第4章:戦略的中核:「モーションデータ工場」と「フィジカルAI」の統合

4.1. データ供給のボトルネックと「モーションデータ工場」の意義

AI、特に近年のロボット知能開発において最も重要なボトルネックの一つは、現実世界における多様なロボット動作や環境に関する大規模なデータセットの不足です。VLA(Vision-Language-Action)モデルのような高度なAIモデルを訓練するためには、膨大な量の実世界データが不可欠ですが、その取得には莫大なコストと労力がかかります。

この業界全体の課題に対し、Telexistenceは極めて独創的な解決策を提示しました。それが、新サービス「モーションデータ工場」です。同社は、自社が開発した多関節ロボットを「工場」として稼働させ、姿勢、関節角、トルク、センサー情報など、AIの学習や制御アルゴリズムの検証に必要なモーションデータを大量かつ安定的に生成し、外部のロボット企業や研究機関に提供します。

このサービスは、単なるデータの販売事業ではありません。同社はこれを「電力や通信のように、ロボットの知能開発に必要なデータを安定的に供給する、新しいインフラ」として位置づけています。これは、個々の企業や研究機関が直面するデータ取得の負担を軽減し、アルゴリズムの改良やPoCから実装までの期間を短縮することを目的としています。

4.2. 「フィジカルAI」製品への戦略的データ・パイプライン

ユーザーからの質問の核心である「モーションデータ工場」と「フィジカルAI製品」の関係は、単純なデータ供給にとどまらない、多層的な戦略にあります。ここでいう「フィジカルAI」とは、物理世界で機能するAI、すなわち知覚、判断、そして身体的な行動が一体となったロボット知能のことです。

この「フィジカルAI」のリーダーシップを確立するため、Telexistenceは米国Physical Intelligence社(PI)との戦略的パートナーシップを構築しています。この連携の核心は、データ駆動型の開発パイプラインにあります。Telexistenceは、ファミリーマートでの運用を通じて蓄積された、AIが失敗した際に人間が遠隔操作で解決した際の「身体性」を伴う膨大なデータを提供します。このデータは、特定のユースケースにおけるアノマリー対応という、極めて希少価値の高い情報を含んでいます。一方、モーションデータ工場では、より多様で汎用的な動作データセットを大量に生成します。

この二つのデータ収集経路が、Telexistenceの「フィジカルAI」製品の進化を駆動させる戦略的データ・パイプラインとして機能します。PIは、このTelexistenceが持つ独自の現場データ(特定性)と、モーションデータ工場で生成される汎用データ(多様性)を組み合わせることで、高次元な自動化を実現するためのVLA基盤モデルを訓練します。これは、特定のユースケースにおける自動化の深化と、未踏の領域への汎用的な展開を同時に実現しようとする、極めて洗練された戦略です。

したがって、モーションデータ工場は、単にマネタイズを目的とした新規事業ではなく、同社のAI製品の進化を加速させるための基盤であり、さらにそのデータを業界全体に提供することで、ロボティクスエコシステムにおけるTelexistenceの地位を強化する、極めて巧妙な戦略的立ち位置を占めていると分析されます。

第5章:総合評価と将来展望

5.1. Telexistenceの強みと競争優位性

Telexistence社のロボティクス分野における競争優位性は、以下の3つの要素に集約されます。

  1. 創業者概念の具現化: 1980年に提唱されたテレイグジスタンスの概念を、現代の技術で社会実装した独自のアプローチ。これは、他の多くのロボットスタートアップが直面する、技術の源泉となる哲学やビジョンの欠如に対する、明確な差別化要因となっています。

  2. 垂直統合型開発体制: ハードウェア(TX SCARA)、ソフトウェア(Gordon)、AI、そして遠隔操作技術を一貫して自社で開発する体制。これにより、各技術要素間の高い整合性を確保し、迅速な製品開発とイノベーションを可能にしています。

  3. データ・エコシステムの構築: 現場での運用を通じてAIを自己改善させる「学習ループ」と、外部にデータを提供することで業界全体のデータ不足を解決する「モーションデータ工場」という二つの経路を確立しています。これにより、同社は他社にはない圧倒的な「身体性」を伴うデータ基盤を構築し、フィジカルAI開発における決定的な競争優位性を確立しています。

5.2. 日本のロボティクス界とTelexistenceの未来

Telexistence社の取り組みは、日本の社会が直面する深刻な課題、特に少子高齢化による労働力不足に対し、直接的な解決策を提示するものです。同社のロボットは、労働集約的な単純作業を代替することで、店舗従業員が付加価値の高い接客業務や創造的な売り場づくりに集中できる環境を提供します。また、インターネットを介した遠隔からの労働参加を可能にし、働き方の多様性を創出します。

今後の課題としては、ロボットの商業化に向けた価格競争力の確保、大規模な量産体制の構築、そして多様な物理環境への適応があります。しかし、同社はすでにFoxconnとの量産提携、Physical Intelligence社とのAIモデル開発、ソフトバンクロボティクスグループとの北米市場展開といった、これらの課題を克服するための戦略的なパートナーシップを確立しています。

最終的に、同社の使命は「人間の身体性を伴う全ての継続反復的な労働を知能化されたロボットで代替し、人間や社会に追加的な時間や所得的な余剰を創出すること」です。この野心的な目標は、コンビニのバックヤードから始まった同社の挑戦が、いずれは物流、製造、そして家庭へと、ロボットの活躍の場を工場の外へと広げ、労働と社会のあり方そのものを変革していく未来を示唆しています。Telexistenceは、まさに物理世界におけるAIのフロンティアを切り拓く、日本のロボティクス界における新たな旗手であると結論づけられます。