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株式会社インフラコモンズ代表取締役の今泉大輔が、現在進行形で取り組んでいるコンシューマ向けITサービス、バイオマス燃料取引の他、これまで関わってきたデータ経営、海外起業、イノベーション、再エネなどの話題について書いて行きます。

単一のスケールフリーネットワークだけがそこにあると考えるのではなく

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最近、土日だけのヒトになりつつあるので、他の曜日にも少し上げたく思い。とは言えみっちり書くこともできないので、以下のメモ書きをば。

・単一の巨大なスケールフリーネットワーク(現象としてはグローバリゼーションが好例)がそこにあると考え、1人ひとりの人間はそれから搾取される存在である。現在言われている格差社会はその1つの結果である。そう考えた方がたぶんラク。
・けれども現実は、"そのスケールフリーネットワーク"も日々変化していて、影響力が急速に強まることもあれば、予想もしない時に縮退することもあるというような、ひどく不安定なものとして存在しているはず。(なぜなら、インターネット の上で/の中で/によって 成立している"そのスケールフリーネットワーク"は、人々の関心の反映に他ならないから。人びとの関心は、別な強烈な価値観が発生すると大きく動く。人による優先的選択とは、そういうもの)
・また、"そのスケールフリーネットワーク"は内部に子や孫のスケールフリーネットワークを無数に含んでいるし、メタで何かが存在している可能性もある。不可視ゆえに、実のところ何が起こっているのかよくわからない。
・1つの企業が、そして1人の個人が(それから1つの国家が)、1つのスケールフリーネットワークから「搾取される」と捉えるのではなく、むしろ規模も存在領域も異なる無数の"別なスケールフリーネットワーク"が存立できる余地が生まれており、企業や個人が十分に差異化できるチャンスがほぼ無限に広がっていると捉える方が賢くないか?
・例えば、オーディエンスが100名ぐらいしかいないようなごく特殊なトピックについて、ものすごく一生懸命勉強して、非常に誠実に情報発信を行うなら、そこにおいて"よい働きをするスケールフリーネットワーク"を生成することが可能ではないか?
・ネットワークが自分の外にあって、自分に何かを脅かす存在として捉えるのではなく、自分はすでにネットワークの中にいるのであり、それを所与として、能動的にリンクを張り巡らせる形で価値を増すように動いた方がよくはないか?

てなことを考えていますが。実際のところどうなんでしょう?

追記。

公文俊平先生の「情報社会学序説」にそれに近い考えが出ていそうな…。

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