なぜ”同士”として結束できるのか?
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非常に大切なことなので、もう1本掲げます。
”同士”的に結束する従業員は、なぜ、”同士”のような熱くて共感しあった関係を構築できるのか?
なぜ、熱くなれるのか?
それは「自分たちでなければ解決できない課題があるからだ」と認識するからではないでしょうか?
そこに課題がある。みんなが困っている。でもあまり不平を言わずに我慢して使っている。でもなんかヘンだ。何とかならないものか?
よし、自分たちで何とかしてやろう。この課題はオレらのものだ。オレらが解決してやる。やると言ったら絶対やってやる。他社なんかの出る幕はない。これはオレらのドメインなのだ。
こういう課題の認識があり、それを解決する主体としての認識があるからこそ、”同士”として結束するのではないでしょうか?
するとそこで経営者の役割は?司馬遼太郎の作品にモデルがあったりする予感が。
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