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株式会社インフラコモンズ代表取締役の今泉大輔が、現在進行形で取り組んでいるコンシューマ向けITサービス、バイオマス燃料取引の他、これまで関わってきたデータ経営、海外起業、イノベーション、再エネなどの話題について書いて行きます。

”永遠にβ”的存在としての人間、その記録媒体としてのブログ

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オライリーがWeb2.0の概念セットとして提示したもののなかには、他の領域にも転用できるものがいくつかあるように思います。
”永遠にβ”もそのひとつです。

このようにネットワークで様々な主体が接続されてしまった現在では、それがそうでなかった昔と比べて、個人の知的な様態が、著しく変化していることは確かです。
相対的に情報量が少なく、相対的に知的な刺激を受ける機会が少なく、相対的に同じ問題意識を持つ人と意見交換をする機会が多くはなく、さらには、同じ平面にて別な問題意識を持つ人とも意見の交流を行う機会に恵まれなかった時代においては、ある人がとる知的な態度は相対的に安定し、相対的に完結した言説が可能でした。例えば、ある雑誌に集う言論人たちの状況がそうでした。この状況は、丸山真男によって「たこつぼ」と呼ばれたこともあります。

β版的な言説ではなく、ほぼ完成された言説を打ち出すことが、当たり前のこととして想定されていました。一番わかりやすい例が、活字媒体に掲載された何らかの文章です。
そこには、それ以上手直しする必要がない、という前提に立った文章が掲載されていました。そしていったん掲載された以上は、その文章が証するのは、その人が、「当面はその平面でそのような状態で固定的に存在していくはずのところのものである」ということだったと思います。
ほぼ完成版としての言説を、ほぼ完成版という特性のある活字媒体に掲載することにより、その人自身の知的立場もほぼ完成版というものとして取り扱われていました。

活字媒体の制作に携わる人たちが長年慣行としてきた「誤りの排除」(それが記載されている事実関係であれ、誤字脱字の類であれ)は、そのような背景を想定することによってよく理解できます。

けれども現在は常に手直しが効くウェブの時代。さらには、知的主体は、日々変化する様をブログという形式で書き継いで行くことができます。

この立場を主体的に自覚すると、旧来のほぼ完璧版としてリリースされてきたソフトウェアに対して、永遠にβ版としてリリースされるソフトウェアがどちらかと言えば優位であることに類似した、”永遠にβ”であることによる知的な強みというものが措定できると思います。例えば柔軟性であったり、例えば強靭さであったり、例えば”逃げの早さ”であったり。。。その強みの根幹には「変化できること」があります。

このようにして、”永遠にβ”的な知のあり方は、旧来の知のあり方を相対化します。ただ、そこから生まれる相対的ではない価値、絶対と言えそうな価値については、どちらの方が優位なのか、まだまだ答えは出ないと思います。

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