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株式会社インフラコモンズ代表取締役の今泉大輔が、現在進行形で取り組んでいるコンシューマ向けITサービス、バイオマス燃料取引の他、これまで関わってきたデータ経営、海外起業、イノベーション、再エネなどの話題について書いて行きます。

「空気が読めない」という時の「空気」の研究

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山本七平が「『空気』の研究」(文春文庫)という本を書いているのを知り、ひょっとして「空気が読めない」という時の「空気」かと思って取り寄せてみたら、まじめにその「空気」を論じている本でした。
日本の企業における意思決定のあり方を考える際に、有用な知見が得られると思います。
山本七平。むかーしイザヤ・ベンダサン名でベストセラーになった「ユダヤ人と日本人」を読んだことがありますが、それ以降、縁はなかったですね。
彼の非常に意地が悪い論調(日本=劣等というステレオタイプ認識)がものすごく気になりますが、それをがまんして読み進めると、少し見えてくるものがあります。

まずその「空気」について。少し引用が長くなりますが。

-Quote-
 「いや、そう言われても、第一うちの編集部は、そんな話を持ち出せる空気じゃありません」
 大変に面白いと思ったのは、その時その編集員が再三口にした「空気」という言葉であった。彼は、何やらわからぬ「空気」に、自らの意志決定を拘束されている。いわば彼を支配しているのは、今までの議論の結果出てきた結論ではなく、その「空気」なるものであって、人が空気から逃れられないごとく、彼はそれから自由になれない。従って、彼が結論を採用する場合も、それは論理的結果としてでなく、「空気」に適合しているからである。採否は「空気」がきめる。従って「空気だ」といわれて拒否された場合、こちらにはもう反論の方法はない。人は、空気を相手に議論するわけにいかないからである。
-Unquote-

非常に的確にそのいわゆる「空気」であるものを記述しています。なるほど「空気」。思い当たるところは自分の周囲でも、文化的な事象でも、歴史的な経緯でも、色んなところにあります。

そうか「空気」か!これがいつも浮遊していて陰に日なたに意志決定というやつに影響を及ぼしているわけか!うんうん、さっぱりした。そういうわかり方…どうでしょうか?

しかしこの本は、われわれ日本人にとって、非常に意地悪であって、個人的には読んでいると胸○そが悪くなるほどなのですが、延々この問題を考え続けて数十年ということがよくわかるので、敬意を払って読み続けると、次のような記述に出くわします。
かなり長いですが。

-Quote-
 一方われわれの世界は、一言でいえばアニミズムの世界である(今泉注:西欧の認識の基盤にあるのが一神教(モノティズム)であることと対比)。この言葉は物神論(?)(原文ママ)と訳されていると思うが、前に記したようにアニマの意味は”空気”に近い。従ってアニミズムとは”空気”主義といえる。この世界には原則的に言えば相対化はない。ただ絶対化の対象が無数にあり、従って、ある対象を臨在感的に把握しても、その対象が次から次へと変わりうるから、絶対的対象が時間的経過によって相対化できる--ただし、うまくやれば--世界なのである(今泉注:「臨在感的把握」とは山本氏独特の語法で、平たく言えば論理によらない認識、情緒的な理解、ある種”憑依”とも言える状況認識、等々)。それが絶えず対象から対象へと目移りがして、しかも、映った一時期はこれに呪縛されたようになり、次に別の対象に移れば前の対象はケロリと忘れるという形になるから、確かに「おっちょこちょい」に見えるじょうたいでないと、大変なことになってしまうはずである。 中略 それは良くいえば、その場その場の”空気”に従っての「巧みな方向転換」ともいえ、悪くいえば「お先ばしりのおっちょこちょい」とも言えるであろうが、見方によってはフランスの新聞が日本のオイルショックへの対処を評したように「本能的」とも見えるであろう。
 だが私はこれは結局、アニミズムの社会の伝統的行き方であり、われわれがその時点その時点での”純粋な人間”と評する人びとは、結局この民族的伝統に純粋に忠実な人の意味であろうと思う。
-Unquote-

ここの部分は、ある分野において、流行が生じて、それをメディアが取り上げて、なんとなくコンセンサスのようなものができ、大多数に浸透して、やがてブームが去っていく、過去の事例でみれば「あれ」もあったし、「これ」もあったということを思い起こさせる、よい社会批評になっています。また、その状況において「彼は純粋な人間だ」と評される基準になるものも、そうした民族的伝統に忠実な人ということになるんだろうと思います。鏡を見ているようで、勉強になるわけです。ただし、総論としては、彼の立場には立てません。

山本氏は、日本人一般の認識方法が、なんでもかんでも相対化してかかる一神教の世界の認識方法とは異なり、対象を容易に絶対化してしまう、言い換えれば、論理を介さずに雰囲気でわかってしまうという性格があるとしていて、それが大問題だという立場に立っています。
自分としては、ここは日本なんだし、われわれは日本語で感じ、日本語で考え、日本語で表現するように生まれてきているわけだから(おぎゃーと)、把握が臨在感的把握(相対化しないで瞬時に了解してしまうこと)であったとしてもいいじゃん?と考えます。

むしろフラット化する世界において、日本の個人々々および日本の個々の企業がユニークであるためには、言い換えれば、コモディティ化の圧倒的な奔流に呑み込まれないためには、「空気」を醸成し、「空気」が意思決定する、一種集団的な態様を、逆手に使って、それを生かして国際企業社会に乗り出していくのがいいのではないかと考えるのですが。

Comment(2)

コメント

山さん

「空気」を醸成し「空気」が意思決定する一種集団的軍隊として、国際社会(戦争)に乗り出してゆき、完膚なきまでに壊滅した組織・・に所属していた著者の経歴についてはどうお考えでしょうか?

山さん、コメントありがとうございます。
国体が醸成されていくあの状況のなかでは、その状況から距離をとるには、山などに引っ込んで社会生活を断つぐらいしないとだめだったのではないかと思っています。
普通に生きていれば必ずあの状況に組み込まれていった。なので、甲種乙種を決める試験に受かる程度に体が健康であれば軍に配属されるしかなかっただろうし。
そういう風な全体主義のなかに絡め取られてしまっていた過去を、戦後、「あれは何だったのか?」としつこくしつこく問い直して、彼の論考ができあがっているのではないかと思います。
>完膚なきまでに壊滅した組織・・に所属していた著者の経歴
お書きになっている”経歴”は、あの時代では致し方なかったこと…。彼がいまでも影響力を持っているのは、そうした”経歴”をもたらしめた状況全体の基盤となっている精神構造(それも集合的な精神構造に=特定の個人に帰着させられない精神構造に)に、荒っぽくはあるとしても、何度も何度もしつこく言及して、だんだんとその実体をわかりやすいものにしてくれたからだと思います。社会全体を敵に回すぐらいの意地悪な視点(戦術的に意地悪な視点)をとって、それでもって初めて国民全員が国体を醸成していった状況を客観化できた。それが彼の果たしたことなんでしょうね。
あまり、関連の文献を読んでいないため、正しいコンテキストを持っていないと思います。なにとぞよろしくお願いします。

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