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株式会社インフラコモンズ代表取締役の今泉大輔が、現在進行形で取り組んでいるコンシューマ向けITサービス、バイオマス燃料取引の他、これまで関わってきたデータ経営、海外起業、イノベーション、再エネなどの話題について書いて行きます。

分散型のYouTubuを合法的に実現できたら楽しかろ

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例によって、ふと思ってしまいました。
DLNAの適用領域を”家庭”から”世界”に広げてみた方がいいんではないか。具体的な利用形態としては、個人々々が蓄積した様々なコンテンツを開放しあって分散型のYouTubuのようなものを実現し、著作権者にきちんと視聴料が還流できる仕組みを整備すればいいのではないかと。

少し噛み砕いて説明してみます。

▼家にあるコンテンツはつまらなくはないか?
DLNA(Digital Living Network Alliance)は、音声や動画のコンテンツがすべてデジタル化されるなかにあって、PC、TV、情報家電、携帯電話、ゲーム機などに蓄積されているデジタルコンテンツを相互にやりとりできるようにすることを狙っています。その名が示す通り、家庭に置かれた機器、家族が使う機器(屋外で使う携帯なども含む)を適用範囲にしています。

2-3年後にほとんどの薄型画面TV、録画機、PC、ケータイ、ゲーム機などがDLNA対応になったとして、例えば、家の録画機にある動画コンテンツを、屋外にいる自分が手持ちのディスプレイに映し出してみて、それがおもしろいだろうか?ということを素朴に考えてしまいます。
想像をたくましくして、紙のように薄くて丸めたり折り曲げたりできるディスプレイを携帯している状況で、家にあるコンテンツを4Gの携帯データサービス経由で引き出すとか、自分の行く先々どこでもディスプレイが確保できるような状況(どの部屋にもディスプレイになる壁がある等)が訪れたとして、それに自宅にある何かのファイルを再生してみたりするとかいうことを考えてみても、あまりおもしろい気がしません。

それはたぶん、自分ないし自分の家族が蓄積しているコンテンツだからだと思うのです。
例えば、自宅に動画コンテンツが1000時間分あったとして、うち200時間は自分の娘が録画したもの、うち300時間はカミさんが自前のビデオカメラで撮った映像、残り500時間は自分が撮った歴史モノみたいな状況だったとして、それが家庭内の色んな部屋で、あるいは屋外にいる時に、とりあえず手持ちの端末で見られるというのは、便利と言えば便利だけれども、あまりわくわく感のある体験ではなかろうと思います。

率直に言ってしまえば、自分ないし自分の家族が蓄積したコンテンツの大部分は死蔵されており、時々気が向いた際に、1本を取り出して再生してみるという風ではないでしょうか?これには可処分時間の多寡などもからみ、一概に言えませんが、おそらく、自分ないしそれに準じる人が持っているコンテンツは相対的に価値が低いということが言えると思います。
「今見なくてもよい」「いつでも見れる」「見る時間がない」…。だから見ないという風になっているのではないでしょうか?
その”見ないコンテンツ”を機器Aから機器Bに移す(正確に言えばサーバーから受信する)機能がどれだけ精緻になったとしても、あまりありがたくない気がします。

▼ヒトがおもしろいと言うコンテンツを見たくなる
YouTubuが出現して理解できたのは、われわれはヒトがおもしろがっているコンテンツを見たくなる生き物であるということです。
自分が日頃読んでいるブログの筆者が「これはおもしろい」と絶賛しているコンテンツがあれば、やはり見たくなります。5分程度のファイルなら、すぐにクリックして見るでしょう。長尺ものなら、とりあえず「あとで見る」というタグをつけるかも知れません。
はてなブックマークのトップページに行くと、はてブがたくさんついたYouTubuコンテンツ「注目の動画」がいくつか表示されています。これもサムネイルの画像がおもしろそうならすぐにクリックしてしまいます。
YouTubeの本体のサイトに行っても、タグや検索でもって視聴回数の多いビデオが見つかったなら、やはりクリックするでしょう。
人がおもしろいと言っているコンテンツはどうしたって見たい。それがわれわれの基本的な思いです。そのような「どうしても見たい感」が自宅に蓄積されている動画のコンテンツに「あるか」と言われれば、「あまりない」と言わざるを得ません。(音楽は別です。音楽コンテンツは人がどう言おうが言うまいが無性に聴きたくなるタイミングがあるので)

現在のインターネットでは好むと好まざるとに拘らず、Web2.0の参加型アーキテクチャのメカニズムが働いています。参加型アーキテクチャを反映させたメカニズムが日々生み出す「おもしろいコンテンツ」と、自宅にしこしこ蓄積されたコンテンツとを比べると、どうしたって前者が見たいに決まっています。

それを考えると、DLNAが目指している家庭内および家族間における複数の機器の間のデジタルコンテンツのやりとりというものを、もっと広げてもいいのではないかと思うわけです。
私がそのことに思い至った時、まず「10人までならコンテンツの共有を可にしてみてはどうか?」、続いて「50人ならどうか?」と適用範囲を拡大していったのですが、面倒になっていっそ世界規模でやってみたらどうかと考えてみると、それはほとんどYouTubuを細かく分散させたような状態であることに気づきました(言うまでもなくP2Pネットワークそのまんまということでもあります)。

▼個人レベルで分散したYouTubuがあると何がうれしいのか?
2011年頃の状況を想定してみます。全国3000万世帯に光ブロードバンドが浸透し、家には50~100インチの薄型大画面テレビがあります。それが光ブロードバンドにつながっています。
DLNAの拡張版、Digital Human Network Allianceの規格に沿って、他人が所有するPCや情報家電に蓄積されたデジタルコンテンツを自由に”引っぱってくる”ことができるようになっています。無論、著作権法上の問題もクリアし、著作権者に適正な対価が還流する仕組みができあがっています。
そのような環境において、
 ①デジタルコンテンツをブログ、SNS、ソーシャルブックマークなどで”引用”することができる
 ②引用のリンクをたどれば即座にコンテンツの現物にアクセスすることができ、再生が始まる
 ③コンテンツ現物は引用者自身の機器上にあるかも知れないし、別な第三者の機器上にあるかも知れない。それを問わずに引用や再生ができる
といったメカニズムが動いているとします。

するとおそらく、非常に影響力の高い人が推奨したコンテンツや、創発的にたくさんのブックマークがついたコンテンツは非常によく視聴され、そうでないコンテンツはそれなりに視聴されるという状況が出現します。ロングテールそのまんまです。
この時、テールになってしまったコンテンツに価値がないかと言うとそんなことはなく、テールのコンテンツの1つひとつも、かなりの確度で、そのコンテンツに興味を持っている潜在的な顧客とめぐり合います。
これが重要です。テールのコンテンツも見られる可能性が出てくるというところが非常に重要です。

現状では、個人の家に蓄積されているコンテンツのほとんどは、他者にとっては死蔵状態です。アクセスするすべがありません。
1953年にチャーリー・パーカーが吹いているビデオの画像がどうしても見たい、といった非常に特殊な欲求を抱えている人が、そうした動画にめぐり合うチャンスは皆無です(誰かの家にあるコンテンツのこと)。
けれども、上記の"DHNA"ができあがり、著作権的な問題も解決されたとして、チャーリー・パーカー好きのブロガーがたまたま自宅にあるデジタル動画の「たまたま入手できた1953年のチャーリー・パーカーのプレイ」をブログで引用し、コンテンツ現物にリンクを張ったとします。
すると死ぬほどその動画を見たかった人が、それを検索か何かで見つけて、見るわけです。場合によっては2回も3回も見るかも知れません。また、そのコンテンツを所有したいと思い始めるかも知れません。

すなわち、個人が収蔵しているデジタルコンテンツを、第三者が再生できるようにし、場合によってはそれを購入することもできるようにすれば、死蔵されているコンテンツに流動性が生じるのです。言うまでもなく、流動性は市場メカニズムの根本。そして新たな富の源泉でもあります。
そこでわずかのお金が動くことにより、それを業としてサービスしている企業のところに使用料が入り、元の著作権者に著作権料が入り、そして関連の機器メーカーには膨大な需要が発生します。
ネットワークも太くなければなりません。NGNが想定している非常に太い回線の容量も難なく埋まるようになるでしょう。

想像してみてください。ひと世帯ひと世帯が非常に小規模な有料コンテンツの配信事業者であるという状況を。
この時のコンテンツは、前日のTV番組を録画したもの(無論、著作権の問題や対価の問題は解決されているという前提です)や映画のようなコンテンツパッケージだけでなく、自分が撮って編集したショートムービーのようなものであっても構わないわけです。
漬物の漬け方なんてのを動画にして、興味のある人の配信したっていいわけです。

▼主役は行政
現在あるDLNAの規格の適用範囲を地球上のすべての個人に拡大するということは、すごく馬鹿げて思えるかも知れません。また、それを可能にするような著作権法の改正をしたり、今でさえ色々と厄介な問題が付きまとう著作権者側の許諾の問題をすっきりさせることは不可能に思えるかも知れません。けれども、これはやってみる価値があると思うのです。そして、これをやる当事者は、言うまでもなく行政です。

弊ブログでは何度か、経産省と総務省が共同で運営している「情報家電ネットワーク化に関する検討会」と、その関連で公開された政策ペーパー「情報家電産業の収益力強化に向けた道筋」について触れています。
関連の資料に、同検討会のメンバーの方々が使ったプレゼンファイルがあります。非常に興味深かったのは、何人かの方が、情報家電ネットワークを可能にする技術や標準などが整備されたとしても、消費者側に「あえてそれを活用する」理由がないのではないかと指摘していた点です。
なるほど、そうです。上で私も説明したように、家庭にあるコンテンツを複数の機器でやりとりできたり、外から見られるようにしたりしても、あまりうれしくないのです。(海外旅行中にいつも見ているドラマを見るといった使い方は例外とします)

政策ペーパー「情報家電産業の収益力強化に向けた道筋」は日本の家電業界の収益性の改善や輸出競争力の強化と真正面から取り組んでいる骨太の内容を持っているのですが、それが構想している情報家電ネットワークの世界は、残念ながら、消費者側にとっては「あえて使う理由が見つからない」ようなものなわけです。

そこで!Web2.0の時代なんだし!というわけで、参加型のアーキテクチャにあえて注目してみる次第なのです。
個人が所有しており、ブロードバンドに接続しているTV、PC、その他の情報機器、携帯などに蓄積されているコンテンツを開放しあうには、著作権法を改正し、著作権者に著作権料が還流するメカニズムを整備し、業としてそのようなサービスを行う事業者が存立できる環境を形作らなければなりません。
経産省だけでも総務省だけでもカバーしきれない、かなりスコープの大きなプロジェクトになります。
普通は無理だと考えます。馬鹿げていると考えます。
けれども、それから得られる無数の便益を考えるなら、どうでしょうか?

仮に日本の関連法規を改正し、ビジネスモデルが成立できる環境が整って本サービスが始まれば、DLNAならぬDHNA対応機器は売れるでしょうねー。また、これまでは絶対に動くことのなかったコンテンツが見られ、相応の小額の視聴料が動き、塵も積もれば山となるで相当な市場ができあがるでしょうね。NGNに流すコンテンツで悩んでいる通信会社も喜びます。
そして、まず日本だけでそんな状況ができあがると、日本の事業者の国際競争力が高まると思うのです。そしてしばらくして、他国でも法制度を改正して、同じビジネスモデルができるようになると、その市場で日本のメーカー製の機器が売れていくんでしょうね。上記ペーパーで論じられていた輸出競争力の問題も解消すると考えます。

▼DRMはどうするのか?
自分はDRMの技術ばりばりの専門家ではありません。けれども数年前に、InterTrustという米国の企業の日本展開に関係する仕事を手伝ったことがあります。コピー書きです。
この技術だけがいいというつもりはありませんが、InterTrustの技術には以下のような優れた特徴がありました(恥ずかしながら現在の状況はよく知りません。ソニー傘下の会社となっています)。
 ①ファイルを特殊なDRMでパッケージングする
 ②パッケージングされたファイルは、それがコピーされても、ネットワークを介して移動しても、元もとのライツを保持しつづける
電子貨幣で言う転々流通ができる仕組みになっているのです。再配布可能。ファイルが渡っていった先でも、それが売られたり買われたりすることができます。
こういうDRMが実装できれば、上で私が説明したビジネスモデルはおそらく実現できると思います。

細々したことはこの際、脇に置いておいて…。それなりに真剣に検討してみてもいい構想ではないかと考えています。

追記。

読み返していて、”世界規模に広げる”ためには、著作権関連の制度が世界各国で改正されなければならないのだということに気づきました。迂闊。ということで、当面は”日本全国に広げる”で行きましょう。"DHNA"対応機器にリージョンコードのようなものをかませれば可能でしょう。

追々記。

最近ずっと余裕がなくて他の方々のブログをほとんど読めていませんでした。栗原さんがP2Pの仕組みを使ってリスナーとアーティストをダイレクトに結ぶ仕組みについて投稿されていますが、すみません、未読です。あとで吟味させていただきます。今日のところは寝に帰ります…。

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