| « 2010年3月9日 | 2010年3月12日の投稿 |
2010年3月13日 » |
1)
2010年3月3日(水) 午後6~8時 学習院大学 夏目房之介ゼミ主催
ジャン=マリ・ブイスー氏講演「日本の歴史的トラウマとSFマンガ(終末、メカ、サイバーパンク、サイボーグ) -ガイジンの視線からー」(逐次通訳)
A gaijin view about how the traumas resulting from Japanese history since 1853 reflect in several manga genres (postapocalyptic, mecha, cyberpunk, cyborg).
講師:ジャン=マリ・ブイスー(パリ政治学院、国際問題研究センター 研究ディレクター)
私は、最初は歴史家としてスタートし、それから政治学、日本学に移りました。国際問題研究センターでは私は日本の専門家ということになっています。専門領域は戦後の日本で、4年前から日本マンガの研究を始め、「マンガ・ネットワーク」という研究グループを立ち上げました[註1]。
最初はソフトパワーという観点からマンガ研究を始めました。欧州の若者がなぜ日本マンガを好きなのか、ということです。
次に政治マンガに着目し、国際政治学会で2回発表しました[註2]
三番目に、日本社会の変化、価値観の変化を研究する手段としてマンガを研究しました。例をあげると『GTO』や『花より男子』などです。
四番目に、歴史です。フランスでは、日本の歴史的記憶というものが重要視されています。たとえば日本帝国主義の崩壊後、その変化がいかにマンガに反映されているか、ということです。
» 続きを読む
2)
歴史的記憶の痕跡は、マンガのみならず、あらゆる文化的商品の中に見出されます。マンガはそのもっとも優れた事例です。セルジュ・ティスロン(Serge Tisseron)は「バンドデシネの精神分析 Psychanalyse de la bande dessinée」の中でこういっています。
〈絵を描くことは、言語を使えないようなこと、言語を絶することを表現するのに、もっとも優れたメディアである〉
〈言語を絶すること〉とは、抑圧されたトラウマのようなもので、絵を描くことでそれを表に出すことができます。なせなら、絵を描くとき「手」は熟考していないからです。言葉で表現しようとすれば、言葉以前に必ず熟考の段階が存在します。たとえば小学校で先生が「君は今幸せか不幸か」と聞いたとして、不幸な生徒は自分が不幸だとは答えません。母親が「私が好き? 嫌い?」と子に聞いても「嫌い」とは答えられない。でも、その子は母の絵を小さく描くことができる。
ティスロンは「BDは自分が消化しきれないものを吐き出す」と書いています。BDは、集団的記憶の中で表現することができないことを表現できるメディアなのです。彼はまた、BDは残虐な記憶を絵で表現するといいます。そのとき、BDは仕切られた箱(紙面)で絵を限定する。つまり管理しつつ、恐ろしい話を描き、シークエンスごとにそれらは閉じられている。抑圧された恐怖は管理されて表現されるのです。
» 続きを読む
3)
集団的なトラウマを表現した日本マンガに、終末後の世界とメカというジャンルがあります。
なぜこれらのジャンルはBDにないのでしょうか。フランスのBDはなぜ、それらが苦手なのでしょう。
BDは長いこと検閲によって無菌状態におかれ、暴力的なこと、劇的なことを描けなかったのです。早稲田のセミナーでも話したようにBDには厳しい検閲があり、暴力や死が禁じられていましたが、これらなくしてトラウマの表現は難しかったのです。対して日本マンガはほとんど検閲を受けませんでした。
トラウマの直接的表現はしかし読者の目をそらしてしまいます。抑圧されたトラウマは直接にではなく、別の形で表現する必要があります。『マウス』でいえば、登場人物の擬人化がそれにあたります。ユダヤ人はネズミで、ナチスは猫というように。おそらく人間で描かれたら読者の反応は異なり、激しいショックを受けたでしょう。擬人化は物語の中に距離を置く方法のひとつです。
話を別の世界に置き換えるというのはSFもそうです。フランス人にとってもっとも大きいトラウマは第一次大戦ですが、ジャーク・タルディ『何という戦争!(PUTAIN DE GUERRE!)』というBD[図像映写]は、距離を導入するという手法を使わないで、第一大戦の死を忠実に描き、史実をそのまま直接描く方法をとりました。これは読者に大きなショックを与え、商業的にはあまり成功しませんでした。
» 続きを読む
4)
夏目「ありがとうございました。大変刺激的で興味深い発表だったと思います。こうした話を考えるとき、僕は海外や外国の人たちと話していていつも感じることを思い出します。それぞれの言説空間の違い、知的文脈の違いを考えなければいけないという、とても難しい問題についてです。ともあれ、時間の許すかぎり質問を受け付けてみたいと思います」
» 続きを読む
五十嵐大介『SARU』上(小学館)。
面白いです。期待。
何か、『西遊妖猿伝』の冒頭を『コンスタンティン』仕上げにしたみたいな話ですが、世界をまきこんだ伝奇物で、読ませます。うまいなー。
今日、僕の恩人のひとりが一昨日亡くなっていたのを知った。
出版の世界に足がかりを作ったときの恩人であった。
才人であった。多くのことを教わった。
遺言で家族以外にほとんど知らせないままの逝去であったようだ。
昔の仲間と酒を飲んで、ひそやかに通夜をした。
合掌。
| « 2010年3月9日 | 2010年3月12日の投稿 |
2010年3月13日 » |

顧客に“ワォ!”という体験を提供――ザッポスに学ぶ企業文化の確立
ちょっとした対話が成長を助ける――上司と部下が話すとき互いに学び合う
悩んだときの、自己啓発書の触れ方
考えるべきは得意なものは何かではなく、お客さまが高く評価するものは何か
なんて素敵にフェイスブック
部下を叱る2つのポイント
第6回 幸せの創造こそ、ビジネスの使命