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夏目房之介の「で?」

ごく個人的な村上春樹の小説についての感想

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これは、ごく個人的な話で、村上春樹の小説についての批評とか分析ではない。なので、村上春樹の小説のファンや、その批評に興味のある人は読んでも意味がない。村上春樹の小説を僕が読んできて、やがて読まなくなり、最近また読み始めた、ただそういう話なので、一般的にも、別に面白い話ではないだろう。

要するに、個人的な記録のようなものだ。

村上春樹が文芸新人賞をとって最初の単行本が出たとき、初めて彼の小説を読んだ。まだ僕は20代の終わり頃だった。それはとても僕を惹きつけた。何となく自分や自分の同世代にぴったりくるものがあるように感じた。
しばらく追い続けるうちに、その感覚は深まってゆき、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の頃には、そのラスト部分を読むために、わざわざ明治神宮に行って池の前のベンチで読むようになっていた。

彼の初期の本の装丁には佐々木マキが使われていて、彼はその理由を短いエッセイで書いている。そこに書かれていたことは、まるっきり僕も佐々木マキのマンガを通じて経験したことだった。僕は、あることでマンガが、というより絵そのものが描けなくなっていた。一種、絵の失語症のようなものだった。佐々木マキは、その壁をとっぱらってくれた。村上春樹はマキに感じたことを、こんなふうに書いていた。
「人が何も書くべきことがないときに、どうやって書くべきか」
その通りだった。そこには、同時代性と、どこかで似通った人格的な問題があるような気がした。

そうしてずっと僕は彼の小説やエッセイを読み、どこかでそれを同伴者のように思っていた。87年に出た『ノルウェイの森』は、もうほとんど自分のことが書かれているような、あるいは僕が知らないうちに書いてしまった小説のように感じながら読んだ。最後の、泥に足をとられて一歩も前に進めない1969年の状態についての記述は、もうまったく僕のその頃と同じだった。

それほど寄り添った感じで読んでいた彼の小説に、次第に「何か違ってきたな」という感じを持ち始めた。多分、89年に出た『ダンス・ダンス・ダンス』が最初だったと思う。その違う感じは、92年の『ねじまき鳥クロニクル』で決定的な印象になった。それで僕は読むのをやめた。昔の小説を読み直そうとしたが、読めなかった。文体そのものを受け付けなくなっていた。

僕には、読めない文体、というものがある。フランス現代思想などの翻訳ものやその系列は、ほとんど読めないし、無理に読んでも意味がわからない。三島由紀夫も全然読めない。若い頃読めない文体で、その後読めるようになるものもあるが、逆のパターンはおそらく初めてだと思う。

おぼえているのは、彼が社会への「コミットメント」を言い始めた頃のことだ。彼のいいたいことはよくわかったのだが、僕はすでに自分なりにコミットメントをしているな、と思った。ああ、どこかで彼とは違う道を歩いているんだな、と感じた。でも、それが彼の小説を読めなくなった原因とは思えない。それもむしろ結果の一つだったかもしれない。

最近になって、うちの学生が彼の短編を取り上げて発表をし、そのとき久しぶりに村上春樹を読んだ。読めはしたが、あまりうまくいっている小説とは思えなかった。そのあとで、村上春樹についてもう少し考えてみたくて『海辺のカフカ』(2002年)を読んでみた。途中まではそれなりに面白く読めた。昔のようにはまりこむ感覚はなかったが、つまらなくて投げ出すことはなかった。でも、最後のほうになって、何も変わっていない気がして、読後感ははかばかしいものではなかった。釈然としない終わり方だと思った。

なんでこんなことを書く気になったかというと、つい最近、ふと書店で『神の子どもたちはみな踊る』(2000年)の文庫を買い、読んでみたからだ。そこには、昔感じた彼の小説の「不思議な向こう側」が感じられた。あっという間に読んでしまった。そう、たしかに昔、こんな感じの不思議感をもらったなと思った。再会したような気分だった。

だからといって、別にこれから村上春樹を昔のように読んでいこうと思っているわけではない。もちろん、さらに読むかもしれないし、読まないかもしれない。それはどちらでもいいのだが、ただ村上春樹を読めた自分が一度終わって、再び読めるようになったということに、ひょっとしたら何かが一巡りしたことを示す何かがあるのかもしれない。なくてもいいのだが、何となく記録として書いておきたい気分になったのだ。つまらない話で申し訳ないけれども。

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