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夏目房之介の「で?」

ブイスー氏学習院講演2

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 歴史的記憶の痕跡は、マンガのみならず、あらゆる文化的商品の中に見出されます。マンガはそのもっとも優れた事例です。セルジュ・ティスロン(Serge Tisseron)は「バンドデシネの精神分析 Psychanalyse de la bande dessinée」の中でこういっています。
 〈絵を描くことは、言語を使えないようなこと、言語を絶することを表現するのに、もっとも優れたメディアである〉

 〈言語を絶すること〉とは、抑圧されたトラウマのようなもので、絵を描くことでそれを表に出すことができます。なせなら、絵を描くとき「手」は熟考していないからです。言葉で表現しようとすれば、言葉以前に必ず熟考の段階が存在します。たとえば小学校で先生が「君は今幸せか不幸か」と聞いたとして、不幸な生徒は自分が不幸だとは答えません。母親が「私が好き? 嫌い?」と子に聞いても「嫌い」とは答えられない。でも、その子は母の絵を小さく描くことができる。

 ティスロンは「BDは自分が消化しきれないものを吐き出す」と書いています。BDは、集団的記憶の中で表現することができないことを表現できるメディアなのです。彼はまた、BDは残虐な記憶を絵で表現するといいます。そのとき、BDは仕切られた箱(紙面)で絵を限定する。つまり管理しつつ、恐ろしい話を描き、シークエンスごとにそれらは閉じられている。抑圧された恐怖は管理されて表現されるのです。

 例としてアート・スピーゲルマン『マウス』をあげましょう[図版映写]

作者にとってこのマンガを描くことは、精神分析の治療そのものです。スピーゲルマンはユダヤ系アメリカ人ですが、彼の家族はナチスの収容所経験がありました。彼と父親とは複雑な関係にあり、父親は収容所でのことを話すことができませんでした。作者のトラウマは、まずユダヤ人としての記憶であり、次に父との関係、父と話せないことです。話すことができず消化できないことを吐き出すことで作者は楽になることができます。精神分析で夢の話をしたのと同じ効果があるのです。

 さて日本の歴史的トラウマとは何でしょう。1945年の敗戦と原爆の記憶です。日本人の集団意識のトラウマとユダヤ人のホロコーストの記憶は、置き換えて考えることが可能です。

 戦争に行った父親と敗戦について自由に話すことができなかった世代、それがたとえば手塚治虫を読んだ世代です。戦争に負けた父と戦争の話をするのは困難なのです。マンガ家のインスピレーションとは、このトラウマをいかに表現するかということだったのです。

 BDにはなくて日本マンガにあったテーマ、ジャンルというのがあります。ひとつは終末後の世界(ポスト・アポカリプス)、もうひとつがメカです。これらは敗戦のトラウマとむすびついています。日本とフランスでは集団的記憶が異なっていたからでしょう。

 いくつかのマンガは集団的な精神分析を行う、ちゃんとした素材となりえます。

 精神分析において患者は自分の夢を語り、医者はその「物語」のトラウマを語る。トラウマの発見が治癒することになります。では集団的トラウマをマンガで表現することは読者の治癒となるのでしょうか?

 アメリカのブルーノ・ベッテルハイム(Bruno Bettelheim)は『昔話の精神分析』の中で、西洋の昔話は恐ろしくて残酷なものだと書いています。たとえば白雪姫は継母によって家族から追放されます。これは子供にとって根源的な恐怖です。「親指小僧」では、貧しい家族の七人の兄弟が家から追放されますが、末弟の機転で小石を捨てておくことで家に戻ることができる。が、二回目は帰れずに鬼の家に至ります。ここでも末弟の機転で、鬼は自分の子供たちを食べてしまいます。

 こうした恐ろしい話は子供たちに人気があります。残虐な話を子供が好む理由を、ベッテルハイムは、子供が心の中で思っていて言えないことが表現されているからだといいます。それは、まず親から見捨てられること、次に暴力や死への恐怖です。昔話は、子供が思っていても表現できないことを見出せると同時に、「心配ないよ、最後はハッピーエンドだから」と伝えてくれます。

 少年マンガ、少女マンガなど、多くのマンガ作品は、昔話のような役割を果たしています。『GTO』や『花より男子』には、思春期の子のトラウマがすべて描かれています。

 『GTO』には、親の不仲や離婚など、家族崩壊が描かれます(これは『花より男子』も同様です)。次にセックス、とくに望まないセックスやレイプへの恐怖、あるいは望まないセックスをされたい女性の話も描かれます。『花より男子』でも主人公の少女は望まないセックスを迫られます。『GTO』のおもな登場人物たちは死を目前にする経験をし、じっさい主人公鬼塚は死にます。『花より男子』でも、主人公の少女は一度死にかける目にあっています。

 思春期のトラウマとは、両親に捨てられること、女の子の場合望まないセックスの恐怖、男の子なら強者から男性機能を奪われることです。しかし、最後はうまくハッピーエンドに終わります。『花より男子』の主人公は御曹司と結婚しますし、『GTO』の鬼塚の担当クラスは暴力的だったが仲のよさを取り戻します。これは『GTO』『花より男子』が世界的な人気を獲得したことの説明にもなります。じっさい、これらはフランスでもベストセラーのひとつです。世界中で思春期のトラウマは共通しているからです。

 少年・少女マンガは現代版昔話であり、世界中で共感を得て通じるものです。これらは個人的なトラウマの表現です。

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