一条ゆかり、もりたじゅん、弓月光『同期生』
一条ゆかり、もりたじゅん、弓月光『同期生』(集英社新書)は、1967年の集英社「りぼん」第一回新人漫画賞に入選した強力な三人の作家(もりたじゅん=佳作、弓月光、一条ゆかり=準入選)の自伝的回想(おそらく語り下ろしだと思う)と、彼らに大きな影響を与えた当時の編集者・石原富夫のあとがき「証言 もう一人の同期生 〈七〇年代、あの頃の「りぼん」〉、及び作品年表で構成された新書で、大変に面白い。マンガ研究的にも興味深いポイントが山ほどあって、あっという間にフセンの林ができてしまった。それぞれの人生や性格の違いも面白く、作品にも反映していて、しかもそれが「りぼん」を幼少向けから脱皮させる編集部の戦略だったこともわかり、時代を感じさせる。彼らは、ほとんど編集から作品内容について介入されず、自由に描けたという。結果的に、この戦略は大成功した。
もりたじゅん『ミセスとユーレイ』(71年)、弓月光『にくいあんちきしょう』(70年)『ボクの初体験』(75年)『エリート狂走曲』(77年)、一条ゆかり『こいきな奴ら』(74~77年)『デザイナー』(74年)『砂の城』(77~80年)といった「りぼん」や「週刊マーガレット」の作品群は、その当時同棲~結婚した彼女が愛読していたので、僕も当然のように愛読していた。48~49年生まれの彼らは、50年生まれの僕とほぼ同世代であり、時代を共有しているという共感もあった。
もりたじゅんの描くふっくらと厚みのある女性造形は、針金のような少女が一般的だった少女マンガの中で、僕には読みやすく、可愛く見えた。もりたは、映画や美大でのデッサン経験もあるが、少女マンガの類型に対し「なんでこんなにやせっぽちを描くんだろう?」と疑問に思っていたという(p110)。もりたの回想には夫・本宮ひろ志の話もふんだんに出てきて面白い。
弓月光は、SF風味のどたばたコメディが大好きな僕には、ほとんど同志的な共感があって、青年誌に行ってからもよく読んでいた。担当だった石原を笑わせたい一心で描いていたというあたりは、僕が週刊朝日でカット描きをしていた頃(77~80年頃)、編集部内で「天才」と呼ばれていたA氏を笑わせることを目標にしていたことを思い出させてくれた。相性のいい編集者との出会いは、新人作家にとって生死を分けるといってもいいほど重要なものだった。
一条ゆかりは、娯楽作品の完成度を上げようとする意志の強さを感じ、たんに好きで描いているわけではない、緊張感を感じていた。個人的にはコメディ物が好きだったが、『デザイナー』はやはりカツモクすべきものがあった。アシスタントを選んで、少女マンガとしてはリアリティのある背景や車、銃などを登場させていて、コマ割りも僕のような読者には読みやすかった。この三人の中では、もっともハリウッド的な娯楽志向を感じさせた。
それぞれの自伝的な語りは、ほかでも過去に読んだ気がするが、こうして一堂に会するとまた格別の印象がある。それぞれが、ほかの二人について言及していて、そのニュアンスの違い、編集者の目からみた石原の三人への評も面白い。また、彼らの時代が「りぼん」の中で過ぎてゆき、ロマコメの時代になってゆく頃の率直な印象もそれぞれ語っていて、興味深い。軽い新書だが、マンガ研究者にはありがたい本である。