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仕事が嫌になった時、病気で仕事を休む時。

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『仕事が嫌になった時、どう立ち直ったのですか?』という話題に寄せられたオルタナブロガーの皆さんのご意見を興味深く拝見しております。

「仕事が嫌になったら」という前提からするに、一般的には仕事が嫌ではないことが望まれますね。しかしながら皆さん本音では仕事を嫌と思うのは恥ずかしいこととか、良くないことと考えているのではないでしょうか。

ナウルの例は極端かもしれませんが、仕事というのはそもそも本質的に嫌なものだと考えてみるのはどうでしょう?嫌なんだけれども、生きるためには働かなくてはいけない。どうせ働くなら自分がおもしろいとか、他人のためになるとか、そういった働き方のほうがまだましであると。そのように考えると気持ちが楽になるのではないかと思います。

誰に強制するものでもありませんが、特に心のバランスを崩してしまったことにより働きたいのに働けない人というのは自分が働けないことを強く責めることがあります。それは周りの皆が働いていることが普通で、働いていないことが異常であるかのように扱うからではないでしょうか。

おりしも自民党の元総理である安倍総裁が一部の方から持病を理由に批判されたことがネット上で話題になっています。実は私も持病があって定期的に慶應義塾大学病院に通っているのですが、安倍総裁と同じ診療科なのですね。私の病気はまったく違う種類なのですが。同じ診療科ということで安倍総裁と同じ病気の患者さんと同じ待合室になることが多く、闘病に関する会話が聞こえてくることもありますので本当に大変な病気なんだなということは知っていました。いわゆる特疾(とくしつ)、特定疾患という指定を受けることができる国が認めた難病ですね。それなのに「仕事を投げ出した」というように評価するのは病人にとって死人に鞭打つようなものでなんとも気分の良くないものであるように感じます。

ちょっと話が横道にそれましたが、仕事を嫌になることや、病気を理由に仕事から離れざるを得なくなることが「悪いこと」として定着しているのは、経済を良くすることで幸福を大きくするという観点に立てばその通りなのかもしれませんが、メンタルが不安定な人や体調の悪い人を過度に追い込むも側面もあるように思います。

このような問題は簡単に解決できるものではありませんが、仕事が嫌だった時期もあったけど乗り切った話や、病気で仕事を離れていたけど克服したという話を周りの人に出でき人が増えれば、それに勇気づけられる人も増えるのではないかと思います。そういった意味では安倍総裁にはぜひとも病気を克服した様子で周囲を励ましてもらいたいと思います。

その一方で、安倍総裁の復活が過度に強調された場合にはその眩しさがどうしても治らない病気の人に対して一層の喪失感を強調してしまうかもしれません。患者として、政治家として、いろいろな面で患者の希望となってほしいものです。

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