社会ネットワークとしての「会社」
例の「新ネットワーク思考」(バラバシ)を読んでからというもの、一事が万事すべてをネットワークに絡めて考えるクセがつくようになりました。発想は単純に。世界の見方はシンプルに。なんちて。
しばらく手がつかなかった「会社はこれからどうなるのか」(岩井克人著、平凡社)ですが、読み進めるうちに、会社はネットワークであると明確に言い切っているくだりにでくわし、おぉと歓声を上げてしまいました。
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そして、そのようなプロセスのなかで、企業の中核をなすアイデアやタレントは、創業者個人の頭脳や肉体を離れ、経営者や技術者や労働者によって構成される組織全体の知識や能力に転化していくことになります。多少トートロジカルに言えば、企業組織とは、それに参加する経営者の企画力や技術者の開発力や労働者のノウハウといった、組織特殊的な人的資産のネットワークに他ならないのです。(p296)
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岩井氏によると、日本の会社は、組織特殊的な人的資産を”養成”することに長けており、企業人の側もまた、自らが組織特殊的な人的資産になるべく長い時間をかけて”投資”を行っていく、という図式があるそうです。
これはこのままで行くと、その会社を辞めて他の会社へ行くと、あまり能力が発揮できない人材を養成しているということになり、会社にとっては従業員の隷属化、従業員にとっては他に応用の効かない能力の蓄積ということになってしまいますが、彼の認識では、それを逆手にとって、会社にとってもハッピー、社員にとってもハッピーという道があるとのことです。
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ところで、企業の中で、このような組織特殊的な人的投資が積極的になされればなされるほど、その収益性が高まっていきます。だが、それと同時に、そのような組織特殊的な人的投資によって編み上げられていく企業組織は、「文化(CULTURE)」としか言いようのない個性をもつようになります。
中略
そして、今度はこの企業文化が、企業組織の中での人間活動のあり方を構造的に規定するようになります。ひとびとは、その文化に適合するための人的投資をしなければ、企業組織の一員として活動することが出来なくなってしまうのです。(p297)
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企業人の側による投資が、企業人をその会社から離れにくくさせる紐帯の役割を果すという認識です。現在の企業の利潤は、人による知的な生産によって得られるわけですが(設計や開発やマーケティングやブランディング等々。営業も知的生産の最たるものです)、その生産のポテンシャルは、人を外から“買って”しまえば、原理的には他に移転することが可能です。そういう事態を防ぐために、組織特殊的な人的資産として、いわば染め上げる、そして働く側の方もそのような投資をする…。
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そして、最終的に、企業情報のすべてを共有するようになった時には、その従業員はもうすっかり企業文化に染め上げられており、別の企業に移籍したり、新たな企業をおこしたりするよりは、これまで働いてきた企業が生み出す利潤の分け前にあずかったほうが有利になってしまうというわけです。企業文化こそ、企業の機密情報を囲い込む、もっとも有効な垣根であるというわけです。(p298)
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すごくおもしろいですね。
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いずれにせよ、ここで、ポスト産業資本主義的な企業にとって何よりも大切なことは、企業組織、いや企業文化を出来る限り個性的なものにすることであるという教訓が得られたのです。
中略
いや、さらに言えば、ここには一種の好循環がはたらく可能性があります。差異性のあるモノやサービスを作り続ける能力を持った個性的な組織を築き上げるのに成功した企業は、まさにその個性によって従業員が企業内部の情報を外部にもちだすインセンティブを低め、それが作る者やサービスの再生をより長く維持できるようになるという可能性です。成功した企業がますます成功していくわけです。(p298)
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これらをごく簡略化して述べれば、他者から指呼できるような企業文化を備えるほどに濃密な社会ネットワークとして自己組織化できた会社は、堅牢であるし、収益性も高そうだ、ということですね。(裏を返せば、収益性の高い会社を作り上げるには、濃密な社会ネットワークを組成するためのコツのようなものを、社会ネットワーク分析の知見から借用してくればよいのでは?ということです。仮説レベル→→→信長の「人は城、人は石垣」という言葉も案外とそのへんを指している模様です)
たとえば、ものすごくユニークな製品を矢継ぎ早に市場に送り出している企業(小林製薬なんかが頭に思い浮かびます)は、そのような組織になっているのではないでしょうか。
そして、ここに、あの「空気」がはたまた関係してくるように思うのです。社会ネットワークが醸成されている場には、必ず、「空気」があるように思います。ここでは、悪さをするのではない、成員に利益をもたらす方の「空気」です。