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3.11とIT(4)震災直後の地元メディアのソーシャルメディアから発信される被災現場の情報

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今回の震災から地元のテレビ、ラジオ、そして新聞社各社がツイッターを活用し、被災現場から情報を発信し続けた。地元のメディアから発信されるソーシャルメディアの情報は、自治体から発信される情報を補完し、被災現場の情報の信頼度の向上に貢献した。

宮城県河北新報社

宮城県仙台市に本社をおく河北新報社では、新聞の紙面と併せ、新聞の紙面だけでは伝えられない現場のより細かな情報を、リアルタイムかつ双方向で伝えられるツイッターにメディアとして新たな可能性を感じ河北新報の公式アカウント(@kahoku_shimpo)「夕刊編集部」(@yukan_kahoku)、地域SNS「ふらっと」(@flat_kahoku)、の複数のアカウントを使い積極的に情報発信を続けた。

仙台の街では、電気、水道、都市ガスなどのライフラインが断たれ、公共機関も止まり、仙台に住んでいても仙台の街の状況がどうなっているのか、その様子がわからない状況だった。仙台の街で何がおきていて、市民が何を知りたいのか、その状況をリアルタイムで市民に伝えていきたいという思い持ちから、河北新報社では夕刊編集部記者とネット事業部員が、震災直後から実際に街に足を運び、ツイッターやSNSやブログなどのソーシャルメディアを積極的に活用し、被災地現場や街でおきている出来事や人の姿など市民生活などを取材しリアルタイムに情報発信を続けた。

震災発生後4日後の2011年3月15日、夕刊編集部は、

朝から曇り空だった仙台は、細かい雨が降り始めました。今日もダイエーを目指す列は、定禅寺通りまで続いています。 #senndai

と、震災発生後の最初のツイート。その後も、

河原町商店街の精肉店が開いています

など、街のお店の営業情報や人々の姿など、市民目線で、歩きながら目にした情報を、時には写真も付けながら、次々と携帯端末から情報を発信し続けた。

市民参加型のコミュニティの地域SNS「ふらっと」は、安否確認の掲示板や、生活情報に関する伝言板などを設置。ツイッターでは「被災地はじめ地域の方々が元気になれるツイート」を目指し、生活情報など様々な情報を発信。

地域SNS「ふらっと」内のブログでは、2011年3月14日に夕刊編集部の公式ブログを開設。ブログを使い仙台の市民と街の姿の情報をほぼ毎日更新し続けた。最初に投稿されたタイトルは「助け合う仙台の街」で、市民が食事や物資など支えながら生活している様子が伝えられた。

地域SNS「ふらっと」内のブログには「気仙沼を元気に ブロガー発信」というブログサイトが震災前に開設され、気仙沼・南三陸地域在住の8人がブロガーとして地域情報を発信していた。震災発生後に投稿されたのは3月14日、「生きていますか?」というタイトルで、被災現場の街が壊滅的となっている写真と短いコメントが投稿された。

地域SNS「ふらっと」内のブログには、「3.11大震災 ボランティア活動報告 『絆』 手を携え、前に!」というタイトルで、「ボランティア情報ステーションin仙台・宮城」や「みやぎ連携復興センター」や「災害者コミニティ仙台」そして、「宮城復興支援センター」や「東北関東大震災・共同支援ネットワーク」などの各団体がブログを開設し、支援、復興に向けた取り組みを報告している。

また、河北新報社の公式サイトには、震災の特集ページを立ち上げ、被災地へ震災情報を提供する一つの手段として、ホームページに紙面イメージの一部を掲載。特集ページには、「避難所いま」などの現場の悲痛な状況や、応援メッセージの募集などの記事や情報が掲載された。

河北新報社では、被災にあった街々には新聞社の支局があり、その記者の多くは被災の当事者となった。ネットでメディアを提供するインターネットサイト「現代ビジネス」には、『余震の中で新聞を作る河北新報編集委員が記録する「被災地のジャーナリズム」』という特集が組まれ、記者と当事者の視点での実体験に基づく取材模様が詳細に記録された。

こういったソーシャルメディアなどによるネットでの情報発信により、ツイッターなどで拡散され、河北新報社には市民からの声や激励や応援メッセージなど様々な声が届けられた。

市民からは、被災からの時間の経過とともに、求める声も変化していった、食料の供給が安定してくると、ガソリンスタンドや銭湯の営業、そして墓園などの情報を求めるツイートが多くなり、墓園の様子を問い合わせられる番号をツイートするなど、市民感覚、市民目線にたって、情報のやりとりがされていた。

PCも携帯も持っていない仙台の両親に伝えます

といったように、県外の人がツイートを見て、仙台の家族や知人・友人に情報を伝えるといったケースも見られた。

また、全国から、

頑張れ!仙台駅

昔お世話になった店が元気で安心しました

街に明るさが戻ってきました

などのコメントが寄せられ、さらには、

3/11以降、こういう記事を読むたびにおろおろと涙を流し、何万人もの犠牲者の一人ずつに全て違うエピソードがあることを体感する。その記憶を根っこに持ちながら、毎日を精一杯暮らしていくことが、残された我々の努めなんだろうと。

など、河北新報社がツイッターなどネットなどで発信する情報を見て、激励や感謝などのメッセージが編集部に届けられた。

河北新報社は、震災発生後から1ヶ月後の4月11日、公式のニューサイトで震災後のツイッターやブログなどのソーシャルメディアの取り組みを紹介するとともに、

ツイッターユーザーの皆さまからいただいた激励や感謝の言葉が、どれほどわたしたちの励みになっていることか。この場を借りてお礼申し上げます。

というコメントを残した。

福島県ラジオ福島

ラジオ福島では、受信状態悪い避難所などに配慮し、USTEREAM上で音声放送を同時中継した。海外のUSTREAMの視聴者からは、

私は今、カナダからこのラジオを聴いています。私の実家はいわき市にあり、この一週間いろいろな思いでニュースを見たり聴いたりしています。このラジオを聴くと、遠い福島の地が近く感じられます。福島は負けない!日本は負けない!

と、ツイッターからの応援メッセージが届けられた。

ツイッターで発信される情報は、安否情報、避難所、原発、ライフライン、お店の営業情報、医療情報など多岐にわたった。USTREAMなどとの連携で相乗効果を出した。

地元メディアとツイッター

東北地方などでそのほか、多くのメディアがソーシャルメディアを活用していた。青森県では、東奥日報、デーリー東北新聞社、BeFM(八戸市のコミュニティラジオ局)。岩手県では、IBC岩手放送のほか、エフエム岩手、ラヂオもりおか。宮城県では、河北新報ニュースのほか、朝日新聞福島総局、東北放送ラジオ、仙台シティエフエム。茨城県では、茨城新聞社、茨城放送など多くの地元メディアがアカウントを開設し、地元の震災関連の情報を発信し続けた。

震災発生後、ライフラインが断たれた状況下で情報が混乱する中、多くの人々がリアルタイムで流れる地域の「生活情報」を強く求めていた。地元メディアは現地の取材網を生かし、現場に足を運び、実際に記者が自分たちで見た街の様子を伝えた。多くの地元メディアはツイッターを通じて、これまで一辺倒な情報提供からより双方向のコミュニケーションを実現し、刻々と変化していく要望に迅速に答えていくことができた。

全国の放送局では、4月以降は通常の番組編成に戻り、震災関連でも全国的に関心の高い福島第一原発など放射線に関する情報が中心になり、被災地の現場の様子が放送される回数も減少していった。

そういった中で、ソーシャルメディアなどを利用し、地域から発信される地域情報のメディアの有効性が再評価されていった。

 

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