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本日、9月30日、学習院生涯学習センター講座「マンガの世界史 近代視覚文化としてのマンガ」終了しました。
以下、レジュメをアップします。
2011.9.30学習院生涯学習センター 講座【S06】マンガの世界史 近代視覚文化としてのマンガ 夏目房之介
1)マンガとは何か?
現在流通している「マンガ(漫画)」のイメージは、連続したコマでお話を語る、視覚的な説話表現で、複数のコマで割られたページ群を示す【図1】。が、これは歴史的に成立したイメージで、日本では戦後60年代以降に一般化したといっていい。それまでは戯画、諷刺画とよばれる1コマ物【図2】を含み、70年以降衰退してしまった「大人漫画」と呼ばれる「漫画」が主流だった。現在、我々が目にするマンガ関係の言説は、ほとんどが戦後主流になったマンガ雑誌・単行本のイメージを対象にしている。歴史的に変遷してきた「マンガ(漫画)」の古いイメージは忘れられ、当たり前のように語られているが、じつは言葉とは常に流動し、意味の範囲を変え、使われているものだ。
さらに遡れば、明治期、欧州の戯画・諷刺画の様式が、近代出版による新聞・雑誌とともに輸入され、江戸期から続く浮世絵や戯画系との混合期【図3】をへて、日本の近代漫画として成立した。清水勲の精力的な仕事によって、我々はそれらの過程を眺めることができる【図4】。その後、とくに米国で発展した連続コマ様式(Comic Strip)【図5】の影響があって、おもに大正期から現在のコママンガにつながる連続的な視覚文化としてのマンガが成立する【図6】。
しばしば、江戸期やそれ以前の黄表紙、浮世絵、絵巻物などが、現代日本の漫画と連続して語られ、あたかも伝統文化であるかのように見なされる傾向があるが、実際は歴史的に大きな非連続性と海外の強い影響なしに、現在に至るマンガの歴史は語れない。伝統文化と漫画を連続させる言説は、戦前からある。それは低位の文化であった漫画を、日本美術史に位置づけることで称揚しようとする、一種ナショナリズムと連動した言説であった。
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今日は、茗荷谷の施設で八卦掌自主練習。
7時過ぎ、会場の机椅子を片付け終わった頃、突如館内にかなり大きな声でアナウンスが。
「モノが倒れるほどの地震が来ます」
おお! 震源が近いのかな。でも、7階だけど、とりあえず倒れるもののほとんどない室内。
再び、同じアナウンスが続き、三度目くらいのアナウンスのあと、突如、
「10・・・9・・・8・・・・」
秒読みが始った。うおおお! こんなん始めて。とはいえ、どう考えても、震源から正確に測っての秒読みのとも思えず、とりあえず窓から夜景を眺めながら、待った。
「3・・・2・・・1・・・ゼロ!」
・・・・・。何も起きない。
ん? ちょっと、揺れてるかな? という程度の感覚があったので、天井の小さなランプについている短い鎖を見つめると、ゆっくりと左右に揺れてる。なるほど、たしかに揺れた。
まあ、震源から遠かったんだろうけど、もちろん何も倒れず。
念のために携帯を確認したが、何もなし(いや、別件の留守電を受信はしたが)。
それにしても、どういうシステムなのか知らないが、何か秒読みって、ロケットの発射みたい。
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