元証券アナリスト、前プロダクトマネージャー、既婚な現経営者が、日頃の思いをつづります。
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昨日紹介した本の帯をもじったのだけれど...
今日のタイトルは、宮本常一著の「庶民の発見」を読み終えて、自分で勝手にこの本の帯のメッセージをイメージしたもの。研究者といった上からの視点ではなく、自らも一庶民、一農民であるである強い自覚をもって、著者は日本の庶民がいかなる営みを行ってきたかを綴る。歴史の授業で習ったのとはまったく違う、昔の日本が、一農民だった私のおじいちゃんやもっと昔の人たちの生活が、この本を通して垣間見ることができる。
1961年。当時の池田首相が所得倍増論を唱え、今では廃止となった農業基本法が制定された年に、この本の初版が発行された。ちょっと長いけれど、私がこの本の中を読んで一番驚いた箇所を抜粋する。
戦争がすんだ翌年であったと思うが、神奈川県湯河原に隣接する吉浜町(今は湯河原町)の鍛冶屋という所へ話をたのまれて行ったことがある。時間があったので年寄りたちにあつまってもらって話をきいた。七十歳あまりの人が四、五人もあつまってくれて昔の話に花がさいた。そのおり「みなさん東京へは何回くらいおいでになりましたか」と質問すると、「江戸かね、江戸へはまだ行ったことねえな」という老人が二、三人もいておどろいた。昭和二十年をすぎたころまで、東京を江戸と記憶している老人がいたことが一つ。そこから電車で二時間ほどのところにありつつ、まだいったことのない人があったのである。「ではみなさんのいちばんとおくまでいったところは」ときくと、「京都と伊勢だね」とこれは例外なく答える。伊勢へはみんないっている。「京都や伊勢へはみんなまいるだね。江戸見物だ。見物するところへはあんまり行かねえな」。
この老人たちはまったくはっきりしているのである。京都や伊勢へまいっていないような者のところへは女も嫁にはこないという。...
明治維新でもなくて、第二次世界大戦でもなくて、日本の庶民の暮らしにもっとも大きな溝を刻んだのは、高度経済成長ではなかろうか。この本が出版された年に生まれた私にとって、キモノが今いちばん新しいワードローブであるのと同じように、今いちばん新しい産業は、かつて大多数の庶民が長年営んでいた農業ではないかと、思った。
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