元証券アナリスト、前プロダクトマネージャー、既婚な現経営者が、日頃の思いをつづります。
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大和證券に就職して6年目、企業派遣でビジネススクールまで行かせてもらったのに、留学を終えて日本に帰って来てから9ヶ月後に転職した。留学後5年以内に会社を辞める場合は学費を返すというのが規則。もちろんそんなお金は無いので、転職先のマイクロソフトに借金をお願いし、給与天引きで毎月返済していった。毎月の出費を削る必要があるため、アパートも家賃の安いところに引っ越した。
明らかに、収入増が転職の目的ではなかった。キャリアアップでもなかった。バブル全盛期、飛ぶ鳥も落とす勢いの国内第二位の証券会社から、当時社員が200名程度のマイクロソフト日本法人へ。あれほど苦労して就職したのに、なぜ名も無い小さな会社に転職するのか、外資系証券会社ならいざ知らず、なぜ全く違う業界を選ぶのか、両親も会社の上司も理解に苦しんだ。
卒業旅行に、ラスベガスからグランドキャニオン、モニュメントバレー、レイクパウエルと一人でドライブした。その時心に決めた。「私は5年以内にカリフォルニアの青い空の下に帰って来る。今度はずっと住むために」と。それを実現する手段として、アメリカ西海岸に本社のある企業の日本支社を、転職先に選んだのだった。
電機アナリストだったので、少しは詳しいコンピューター関係の企業に的を絞った。12日間の冬休み中にアタックした会社は、サン・マイクロシステムズ、タンデム、アップル、マイクロソフトの4社。サンは技術者しかいらないと断られ、残る3社の面接を受け、当時MSのマーケティング部長だった成毛さんに拾ってもらった。
その3年半後にはシアトル本社への転勤が実現した。真っ青な夏の空捨てがたく、ここに居ついてしまっている。傍から見ればまったくいい加減な転職動機ですが、本人はとても真剣でした。
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