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選挙が終わりました。しかし開票を待っているときの立候補者ってなんであんなに神妙そうなのでしょう?へらへらしてるとマスコミに批判されて次回の選挙で危ないというのがあるかもしれませんが、あの場で何をしようとも結果は変わらないはずです。
先日、永井さんの「遅刻の原因」に関するエントリにはたくさんのコメントが寄せられました。
「遅刻してしまった原因は、電車が遅れたからではない。遅れる電車に乗ったからだ」
「遅刻してしまった原因は、電車が遅れたからではない。遅れる電車に乗ったからだ」について、改めて考えてみる
また、昨日は川上さんがこんなエントリを書いていらっしゃいました。
例えば電車が遅れると目的の場所に着くのが遅れますが、その結果は電車に乗った瞬間にほとんど決まっていると言えます。投票が締め切られた瞬間に選挙結果が決まるくらいの確度と思います。もちろん我々は電車に乗った瞬間に到着時刻を予測できません。しかし東横線ですとか東西線の朝ラッシュではどれほどの遅れがでるのか経験から予測できますし、前日に強風の予報が出ていれば京葉線は遅れるだろうということが予測できます。
もちろんそういった予測を大幅に上回ることが起きて回避不能な遅刻が発生するのも現実です。しかし周囲と比較して自分だけが回避できなかった事象があると「なんで君だけ遅れてきたの?」ということになって悲しいですね。また、不確定な要素を排除するあまり、例えば30分前行動を自分に義務付けるなど過剰な安全マージンを設ければそこに新たな非効率が生まれるのも確かです。
物事があやふやな間には、選択する余地があります。歩くペースを早めて変わりそうな信号を渡り、電車を一本早めれば安全かもしれません。しかし汗ばんだ顔でお客様のところに登場するのはそれはそれでマイナスです。では出かける前に会社では何をしていたか。会社を5分早くでるには何か詰められる要素がなかったか。そんな風に考えると、もっと生きるスピードを上げられるように思います。(それで疲れてしまってはいけませんが)
人事を尽くして天命を待つという言葉があります。本当に尽くすことができたときは天命を待つ気持ちもきっと軽くて楽しいものとなるでしょう。ノロノロ運転の電車の中で同僚に「遅れます」メールを送りつつ天候不順を呪っているようなときは、やはり尽くしたとは言いきれないのではないでしょうか。
そう考えると、開票結果を待っている立候補者の方にもスッキリした方と顔色の悪い方と色々だったな、という記憶がよぎります。
宮崎駿監督iPadについて「ぼくには、鉛筆と紙があればいい」と語るについて私はとても納得しました。
情報を得るにはおそらく2通りがあって、1つには新聞を読み捨てるようなざっとした読み方、もう1つにはよく噛んで吸収するような読み方があると思っています。
情報を吸収して自分の血や肉や骨とするための活動に用いるには、確かにiPadのような道具は向いていないかもしれません。色々と探し回っている時間にはあれこれ考えて悩みますが、その間に自分の側に受け入れの余地ができるように思います。そうしているうちに情報が見つかると、そこにすっと入ってくる、そんな経験をしたことがあります。
思い出せば就職活動のときの企業探しもそうでした。リクナビに必要な情報は掲載されていますが、googleや2chでも対象企業の情報を探しますし、その企業が吐くIPアドレスがわかるときはそれで検索するとうっかり社内から掲示板に書き込んでしまったログなどがわかることもありました。(当時は企業におけるネットの私用禁止ルールが徹底されていなかったこともあるでしょう)大学図書館では日経テレコンを自己負担ゼロ円で使うことができましたのでそれも調べましたし、コンシューマ向けの商品を扱っている企業ですと1ヶ月分くらいの新聞(紙)を見て広告を調べたりもしました。
これらはパソコンでやるわけですが、努力したという意味では非常に印象に残っています。もし「まとめサイト」のようなところで一見しただけだとしたらあまり記憶に残らなかったかもしれません。なにより「さがす」段階の苦労と見つけたときの喜びと情報が三位一体となって自分の中に根付いたような感覚があります。おそらく「さがす」のところで「きっとこういうところに情報があるだろう」と相手の行動を予測するという過程があり、そこで検索の対象に意識を集中することができるからではないかと思います。
仕事でも、初めて来訪するお客様の情報は可能な限り、知らなくて失礼なことがないよう調べることにしています。そういった調べごとをしている間に、お客様への興味が強まり、感情移入して、実際に会って相談をされたときに全力で「解決してあげなくては!」という精神状態に持ち込むことができます。(ごく自然にです)もっとも、私は好き嫌いが激しいので調べれば調べるほどテンションが下がってしまう時も無くはないような気がします。
iPadでもなんでも、ゴールに至るまでの過程が重要なのではないか、そう思いました。
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