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情報をさがす苦労が自分の栄養となる

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宮崎駿監督iPadについて「ぼくには、鉛筆と紙があればいい」と語るについて私はとても納得しました。

情報を得るにはおそらく2通りがあって、1つには新聞を読み捨てるようなざっとした読み方、もう1つにはよく噛んで吸収するような読み方があると思っています。

情報を吸収して自分の血や肉や骨とするための活動に用いるには、確かにiPadのような道具は向いていないかもしれません。色々と探し回っている時間にはあれこれ考えて悩みますが、その間に自分の側に受け入れの余地ができるように思います。そうしているうちに情報が見つかると、そこにすっと入ってくる、そんな経験をしたことがあります。

思い出せば就職活動のときの企業探しもそうでした。リクナビに必要な情報は掲載されていますが、googleや2chでも対象企業の情報を探しますし、その企業が吐くIPアドレスがわかるときはそれで検索するとうっかり社内から掲示板に書き込んでしまったログなどがわかることもありました。(当時は企業におけるネットの私用禁止ルールが徹底されていなかったこともあるでしょう)大学図書館では日経テレコンを自己負担ゼロ円で使うことができましたのでそれも調べましたし、コンシューマ向けの商品を扱っている企業ですと1ヶ月分くらいの新聞(紙)を見て広告を調べたりもしました。

これらはパソコンでやるわけですが、努力したという意味では非常に印象に残っています。もし「まとめサイト」のようなところで一見しただけだとしたらあまり記憶に残らなかったかもしれません。なにより「さがす」段階の苦労と見つけたときの喜びと情報が三位一体となって自分の中に根付いたような感覚があります。おそらく「さがす」のところで「きっとこういうところに情報があるだろう」と相手の行動を予測するという過程があり、そこで検索の対象に意識を集中することができるからではないかと思います。

仕事でも、初めて来訪するお客様の情報は可能な限り、知らなくて失礼なことがないよう調べることにしています。そういった調べごとをしている間に、お客様への興味が強まり、感情移入して、実際に会って相談をされたときに全力で「解決してあげなくては!」という精神状態に持ち込むことができます。(ごく自然にです)もっとも、私は好き嫌いが激しいので調べれば調べるほどテンションが下がってしまう時も無くはないような気がします。

iPadでもなんでも、ゴールに至るまでの過程が重要なのではないか、そう思いました。

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