| « 2011年2月25日 | 2011年3月1日の投稿 |
2011年3月2日 » |
今日、また取材がありました。
前回の取材では原稿その他準備をやって臨みましたが、
2時間取材を受けても、採用されたコメントはたったの2,3行(苦笑)
まあ、そんなもんです(爆)。ひどいときは採用されてなかったりするからね。
自分の力量かも知れないし、文句を言っても始まらない。
まだまだ自分のスピーチは、記者をうならせる個所が少ないらしい。
記者は正直なので、感動するときのペンの走らせ方は、そうでないときに比べてものすごい力や気持ちがこもっているのですぐわかったりもする。
自分は一字一句丁寧に心を込めて、魂込めてしゃべっているつもりでも、たくさんの話をガンガン聞いて記事にまとめる記者からすれば、相対的に平凡なコメントがなんと多いことか(想定です)。
だから、自分で酔いしれていたところで、そうそう相手が最終的に「記録に残す」コメント部分ってそうそうないわけですな。悲しいことです(笑)。
それでも、
今回も、明らかに感動を与えた=記者の動きが激変した瞬間が1回はあった!
これで・・・次回も2、3行は記事に載せてもらえそうだ(爆)♪
「決まり事」を定義した紙を「ルール」ブックと言うとしよう。
ルールとはみんなが守るべき事柄であり、守らない人が現れると場が乱れたり、成否、勝敗の判定が成り立たないことになる。ルールを守ることでそれらをみんながすっきりと受け容れる、あるいは割り切れることができるわけだ。
ところが、世の中には「ガイドライン」というものも存在する。いろいろな訳があろうが、ルールは規則、ガイドラインは指針、と私の業界では理解することが多い。
規則は厳しい決まり、指針はそれよりも緩い決まり、という印象がある。まあ、「緩い決まり」って何だよって気がそもそもする(苦笑)。
そして最近、「ルール」として定義すべき決まり事を「ガイドライン」として緩く運用する例に多数出会っているような気がしてならない。
「ルール」として守ってもらいたいことを、抵抗や調整の手間を嫌って「ガイドライン」で運用しようとすると、定義が緩いのでいろんな言い訳や逃げ道が出来てしまい、結局は揉め事を多発してしまう。そしてそういうガイドラインを発行する人に限って、ガイドライン自体に不備があるのにそれを改めることをしない。気付かないのだ。
そういう仕組みの中で奔走する現場の人は気の毒だ。私はフィー・ビジネスの「コストの側」にいる。ガイドラインの策定支援はできてもオーナーには普通成れない(当社のルール・ガイドラインなら話は別ですが)。最近サービス範囲の限界を感じる次第だ。。。
ガイドラインが不要なのではないが、ルールと両方、存在すべきところに策定されるべきだ。それを今後はしっかり訴えていきたいものだ。
| « 2011年2月25日 | 2011年3月1日の投稿 |
2011年3月2日 » |

顧客に“ワォ!”という体験を提供――ザッポスに学ぶ企業文化の確立
ちょっとした対話が成長を助ける――上司と部下が話すとき互いに学び合う
悩んだときの、自己啓発書の触れ方
考えるべきは得意なものは何かではなく、お客さまが高く評価するものは何か
なんて素敵にフェイスブック
部下を叱る2つのポイント
第6回 幸せの創造こそ、ビジネスの使命