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いがらしみきお『I[アイ]』は、『かむろば村へ』の発展形といっていいかもしれない。ある村の、生まれた日も分からない子供イサオが、不思議な能力をもち、老人を死に誘い、また幸福そうにする。人の生や死、存在とは何かを問うているが、まだ1巻なので、今後の展開はわからない。
だが、これほど直截に存在について問うた作品は、おそらくいがらしとしても初めてではないだろうか。ユーモアや笑いはない。シリアスである。主人公の少年は「人は徹底的に一人でしかない」と感じ続けているが、イサオを通して、自分の世界に初めて侵入する他者(イサオ)を感じる。それは恐怖だった。
これは自意識としての人間存在が徹底的に自分を問うたときに出会う問題で、そこに他者はいない。が、そのような場所の自己意識にとって、自分が「見て」いないときの世界は存在していないはずで、なぜ世界が存在しているのか、了解することができない。そうした問いが、イサオによって、「見て」いないときには世界は「闇」で、そこに「神」がいるという答えに出会う。
いがらしは、どうもとんでない場所にまで来ていたようだ。
この問いや作品世界は、わからないといえば、まったくわからないが、ある点でわかる場合には、じつによくわかるような種類のものだ。『かむろば村』は、正直僕の中で「終わっていない」感じがしていた。本作の今後を期待したい。

natsume

森下典子『いっしょにいるだけで』(飛鳥新社)を送っていただいた。
帯に「猫と、母と、私と・・・・。」とある。
タイトルに「猫」の文字を入れないのは、いかにも森下さんらしい気がする。僕なら絶対入れる。そのほうが検索に引っかかるし、書店で猫コーナーに置かれる可能性も高いから。
でも、森下さんという人は、そういう「いかにも」なことが恥ずかしい人なのだ。出版社は当然入れたがるはずだが、色々あっての帯の文となったんじゃなかろうか。

中身は、最近の森下さんの不安や焦りから始まり、母上と一緒に住む家の外に猫が子供を産んでしまう話に進む。森下家はこれまで犬しか飼ったことがなく、それも最後の犬が死んでから生き物を飼えなくなって久しい。そこに登場した猫に対し、母上と森下さんはさまざまに思い悩みながら、結局猫の親子を保護し、子猫たちの里親を探し・・・・・。いってしまえば、話はただそれだけなのだが、そこが森下さんで、彼女がそのおりおりに感じ、思い、迷うことが、じつに繊細でやさしい文章でつづられる。
僕は森下さんと週刊朝日でデキゴトロジーをともに作ってきた一種戦友のようなものだったと勝手に思っているが、その後エッセイストとなった彼女の文章のすばらしさには、ずっと感心していた。寡作だが、とくに最近の文章には人生の奥行きを感じる。事実、森下さんの猫との出会いは、最後には、亡き父上との記憶にたどり着く。

猫を知る者からすると、本書は猫が人にとって何でありうるかということを、初々しくたどる書物である。もともと犬派だと自分で思い込んでいた人たちの猫との出会いなので、「そうそう、あるある」と新鮮な気持ちで頷ける。
たとえば子猫たちが親猫と一緒にいるさまを見るときの森下さんの反応は、こう書かれる。
〈その時、私は、日なたに干した布団のように、ふかふかとした気持ちだった〉
猫との日々のふれあいについての記述の一つはこうだ。
〈洗面所で歯を磨きながら「?」と、思った。脚のふくらはぎあたりが、ほんのり温かい・・・・。気のせいかと思っていると、スーッと何かが脚にさわった。/足元を見下ろすとミミがいた。私のまわりをくるりと回った。〉
母猫のミミが何度目かの家出をした後、戻ってきた彼女にしらんぷりしてから入れてやったときの様子はこうだ。
〈ドアを細く開けてやると、ミミはしょんぼりとしっぽをたらし、足音をたてずに入ってきた。その夜、ミミは、私や母と目を合わせなかった。/深夜、私がひとりで洗面所に立っていると、ふくらはぎに柔らかいものがさわった。ミミは声も出さずに、何度も何度も、私の脚に体をすり付けた。思わずしゃがんで、喉をなでた。〉

この本は、猫がかわいいという、ただそれだけの本ではない、と僕は思う。
少なくとも僕は、猫という存在によって、いかに人間が救われ、再び互いに結びつきあえるか、という可能性を感じて、読んだあと幸せになれる本だと思った。

natsume

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夏目 房之介

夏目 房之介

72年マンガ家デビュー。現在マンガ・コラムニストとしてマンガ、イラスト、エッセイ、講演、TV番組などで活躍中。

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