« 2009年5月11日 | 2009年5月12日の投稿 |
2009年5月13日 » |
もうひとつ、嬉しいことがあった。
以前、ブログなどで紹介したジャン・ポール西さんが、フランスでの経験を描いたマンガがある。
メビウス氏、誕生パーティで、このJP西さんこと、西村拓さんが話しかけてくれて、感謝された。そういうのってすごく嬉しい。で、そのときいただいたのが新作『家日和』。
夫や妻の日常を、中間小説でも読むようなシブい印象で描いた連作で、素晴らしかった。
突然、会社が倒産して、妻が働き始め、周囲の心配をよそに、自然に主夫になってゆく男のひそかな満足を語る「ここが青山」。ネットオークションを始めて若返り、ハマってしまう妻の危機を描く「サニーデイ」。夫が危ないベンチャーに乗り出すたびに、なぜか創作意欲とアイデアが湧くイラストレイターの妻を描く「夫とカーテン」。デザイナーの妻が出て行った部屋を、学生時代に夢見たオーディオで埋め、同僚の男どもの秘密の部屋になってゆく「家においでよ」・・・・などなど。どれも、小気味のいい掌編である。
夫婦の日常を淡々と描く大人の視線が心地よく、感動した。いい仕事をしているなあ、と嬉しかった。オススメであります。西村さん、ありがとう。
遣り残したこと。その1。
メビウス氏は、太極拳をやっていたと聞いて、誕生パーティの折に「今も続けてますか?」と聞いたら、残念ながら今はやっていない、忙しいので、とのことだった。
でも、シンポで聞くかもしれない、と伝えてあった。
シンポでは、「メタル・ユルラン」でメビウスとして何をやろうとしたのかという問いに答え、子供向けだったBDと、アートを架橋したいのだと、メビウス氏はいわれた。また、線の、意図できない生成についての話もされたので、太極拳の話をふって、身体や運動の内的認識と線の生成や絵の運動についてつなげてみたかった。できれば浦沢氏の「描かれる線に必要のないものはない、すべてを司りたいのだ」という、いわば作家が線を描くときの絶対性の問題もからめる形で、それが同時に意図せざる生成でもありうるという観点に、互いに絵を描きつつ至りつければ、最高だな、とひそかに思っていたが、残念ながらその時間はなかった。
メビウス氏にとっては、太極拳の含む陰陽の関係論でいえば通じると思ったのだだけどね。もしそこまで行ければ、これ以上はなかったろう。
でも、このセッションはまるでジャズのインプロビゼーションの交換のようなドライブ感があって、不満はない。
終了後のパーティで、BDとアートの架橋の話に感動したと話してくれた作家さんがいた。
田村吉康さんで、ジャンプで『筆神』というマンガを描きつつ、絵画も個展を開いているという人だった。その両極をどう折り合わせるかで、すごく悩んでいたが、とても刺激されたといってくれて嬉しかった。
メビウス氏は、連日のハードスケジュールで、じつはシンポ当日の朝、腰を痛めていた。
僕が「太極拳をまたやるべきですね」と語りかけると「まったく、そうだね」と苦笑しながら、少しマネをしてみせてくれた。あれ、見てたの僕だけかもしれない。
« 2009年5月11日 | 2009年5月12日の投稿 |
2009年5月13日 » |