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アキヒトさん執筆の全4回シリーズの記事「企業と Twitter の向き合い方」を読みました。こちらの記事とは別の角度でtwitterの流行の原因を考えてみました。
twitterはネットブックと常時接続を手に入れたユーザがその利便性をもてあましたことにより普及したのではないか、私はそのように考えています。
「ネットブックじゃ重いコンテンツが読みづらい」
「ブログは書くのに時間がかかる」
「youtubeは電車などの隙間時間に見るには時間がかかる」
「mixiは昼間ほとんど更新されない」
twitterは書くのも簡単ですし、昼間でもたくさん更新されます。個々のコンテンツは軽量です。せっかくモバイルPCを買い、せっかく常時接続の無線ネットワークに加入したのに思ったよりもそれを活用できない、そういったところにこの上なくぴったりとはまりこんだのがtwitterではないでしょうか。もちろんスマートフォンも同じ動機を生んだと思います。主に夜しか更新されないmixiと違い、朝も昼も活発に更新されるtwitterはつい帰宅後の夜も見てしまい、結果的に一日中見てしまうことになりがちです。そうしてtwitterに魅せられた人々の周りに家のPCから夜間のみつぶやく人や、携帯のみで利用するといった人が増えてきたという状況であるように見えます。
この発想のもとになった記事があります。
(小寺信良の現象試考シリーズだと思ってものすごい探したのですが、その前のコラムでした)
この中でこんな指摘がありますので引用します。
だがムーアの法則をロードマップに置き換えるという矛盾を抱えながらPCの性能向上が定常化していくと、時として現実に存在するタスクを、PCのスペックのほうが追い越してしまう。
確かに高速CPUの進歩も目覚しいですが、高速化により生まれる問題をクリアするために生まれた低電圧駆動などの技術によりモバイルPCの環境は劇的に改善しました。バッテリの高容量化、液晶価格の下落もネットブックに代表されるモバイルPCを普及させましたが、急激な普及により外出先でモバイルPCを出したときにすべきタスクがないという人が少なからずいたのではないかと思います。
そういう見方をすると、PC業界は常に行きすぎた進化の埋め合わせをするソリューションを探してきては当て込んでいくことで、「PCってもうそろそろこの辺でいいんじゃないの?」と思われてしまうことを巧みに回避してきたように思える。
ネットブック、そしてセット販売の常時接続ネットワークを手に入れたけれどもやることがない、というのではPCに対する夢が失われてしまいます。tsudaったり、「○○なう」でいきなりオフをしたり、ということはこれまでのネットサービスではなかなか実現しないものでした。メッセンジャーにより知り合い同士で行われてきたということはあったでしょうが、ほぼ知らない人同士(フォローはしていて互いにつぶやきを見聞きしているけれども直接の面識はない)が簡単に会えるというところには「未来」を感じます。
PC業界全体の発展とは、その高速化と大容量化に見合ったタスクをいかに探し出して、ブームを作っていくかというところにかかっている。映像ばかりではなく、オーディオも今後はHDサウンドと銘打って、24ビット/96KHz当たり前の世界がやってくる。プロセッサも来年には、64ビットがスタンダードになるそうである。
そうなったときに、その能力に見合う、そして我々が飛びつきたくなるようなヘビーなタスクを、業界は上手く見つけ出すことができるだろうか。それが「Windows Vistaが快適に動きます」では、あまりにも寂しい。
PC業界全体の発展が高速化と大容量化だけでなく、ネットブックやスマートフォンにより牽引されたことはおもしろい現象であると思います。これに始まり、twitterからリンクする自分のプロフィールページを充実させるためのFaceBookのようなサービスが日本でも盛り上がってくるかもしれません(CUは終わってしまいましたが)
また、twitterで自分の行動を記録するおもしろさから、ライフログが流行するかもしれません。考えをまとめるのにtwitterを使っている人は、tumblr系サービスに向かうかもしれません。それらがPC業界に与えるインパクトというとネットブックがより軽く、よりバッテリが長持ちするように、くらいしかないかもしれません。しかしコンピュータ業界全体で見ると、こういったネットサービスの基盤はクラウドコンピューティングと相性が抜群ですのでクラウドベンダーの体力増進に寄与するのではないかと思います。
それによりサーバ側でのコンピューティングパワーの単価が下落すれば今はまだ形になっていないようなパーソナルクラウド系のサービスが生まれてくるかもしれません。twitter自身も「何百人ものフォロワーの発言から最新の30件を頻繁にとってくる」という一昔前であれば全力で回避したい仕様です。もしサーバのコモディティ化が今より遅いテンポで進んでいたならば、アイデアはおもしろいけどレスポンスが遅いのでユーザが離れてしまうという状態に陥ったのではないかと思います。(一時期サービスが不安定な時期がありましたが、それでもユーザは離れませんでしたのでこの部分はちょっと主張が弱い気もしますが。)
それとは対照的に、マルチコアCPUに数ギガバイトのメモリを積んだwindows vistaのマシンはそれほどユーザをひきつけることができなかったように思います。それは「そのPCで何が実現できるか」の部分が弱かったのではないでしょうか。twitterによりネットブックの牽引、ネットブックのブームによるtwitterの隆盛、windows vistaの低調。XPの延命。それらを踏まえwindows 7のスタートダッシュに注目したいところです。
ニュースは「流れる」と言われますが、PCの普及により誰でも簡単に蓄積して分析し、また世界に向けて発信することができるようになりました。ニュースを報じる側が「ニュースは流れるもの」という意識を変えなければ新しい問題が生まれてくる危険があるように思います。
工藤さんが「事故物件」のサイトに関してこのようなエントリを書いておられました。
気持ち悪がるのは問題ない事ですが、僕的にはあんまりこうして恒久的に残る情報として、WEBに残していくことについては、これについてはあまり良くない事なんじゃないかなと思います。
まったく同感です。自分はあまり気にしないほうです。しかし世間には色々な人がいますので、中には「好きで事故物件に住むなんて変な人に違いない」と見られることがあるかもしれません。自分だけが事故物件だと知っている、というレベルなら住むことの抵抗は小さいですが、誰もが事故物件であると知っているところに住むのはこういった点で大きな抵抗を感じます。
さてこちらのニュースを聞いたときに自分のブログのずいぶん前のエントリを思い出しました。
例えば、マスコミ報道から犯罪が起きた地域を集計するシステムを構築し、不動産業界向けに販売したいという引き合いが来たらどうしたら良いでしょうか。
エントリの内容はパトレイバーに関するものですが、このアニメ作品が企業犯罪をテーマにしているところから色々と考えを広げてみました。例えば今回話題になっているサイトですが、個人の仕事であると思われます。もしこれが不動産業者のサービスであればかなり大きな問題になったのではないでしょうか。
また、ベースとなっているグーグルマップはもはや「ツール」という認識が一般化していますし、海外発のサービスということで今回は批判の対象になっていないように思います。これがもしちょうど今話題になっているAR(拡張現実)系のサービスとして展開されたとしたら、AR自体はツールでしかないにも関わらず「事故物件を広めるためのサービス」という色がついてしまい、ツールそのものも批判を浴びたのではないか、と思います。
企業としてこういったシステムを構築できるか?と聞かれれば技術的には可能だが倫理的に難しいと言わざるを得ないでしょう。しかしAR系アプリやgoogleマップのように「住所とそれに対するコメントを入力したら地図上に配置されるシステム」という一般的な仕様で発注を受けたら作ってしまうと思います。そのこと自体はまったく悪いことではないですが、もしそれが事故物件管理に使われ、社会問題化し、『SIerの●●社が構築』と報道されればSIerもマスコミの前に出て何らかの説明を果たさなくてはならないでしょう。
さてこういったサービスですが、現実的にはそう難しいものではありません。もっともつらいと思われる24時間Webサイトをクローリングするインフラというのはクラウドコンピューティングが現実化したことにより解決されてしまいました。あとは日本中のニュースサイト、特にローカルなニュースの詳報が出る地方の新聞社のWebサイトから住所に関係する事件を軒並みクローリングするだけです。
思いつくニュースサイトをいくつか調べてみましたが、思ったよりも住所が出ているニュースというのは少ないものです。しかしゼロではありませんでした。おそらく、警察発表では住所を含めた形になっているところを報じる側でカットしていたり、警察は特定していない形で発表したところを取材して公開したりしているのではないかと思われます。
これまで一般の人は新聞記事を大量に溜め込むことも検索することもできませんでした。せいぜい図書館でマイクロフィルムや縮刷版を探すのが限界だったと思います。それがITの進歩により、1件1件はあまり価値のないニュースでも収集、整理してデータベース化することで意味を持たせることが可能になりました。今回は事故物件という切り口でしたが、他にも様々な危険が放置されているように思います。例えばひったくりや窃盗の被害金額を収集し、地区ごとに集計すれば「被害額が高い地区と低い地区」がわかるかもしれません。交通事故の多い時間帯、多い場所を調べれば、保険金詐欺がやりやすいかもしれません。
家の近所で事件があったと聞けば、ゴシップ目的でなく自分を守るという目的で詳細を知りたいものです。だからといってマスメディアを通して詳細な情報を送ってしまえば、それをマスコミが意図する「必要としている人に必要な情報を送る」という目的の外で利用する人が出てきてしまいます。これはもちろん紙の時代からやればできることではありましたが、自動運転によるDB化から世界に向けて公開することが比較的容易にできてしまうという状態については考えていくべきであると思います。
裁判員制度の導入により裁判員に予断を与えないために報道ルールの見直しが進んでいるとのことです。また、記者クラブも開放に向けて動き出しました。それらと一緒に「もはやニュースは流れるものではない」ということについても考慮されると良いのではないかと思いました。
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