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番組表を見て、何となく録画しておいた「ブラタモリ 新宿水道編」を観てみた。
新宿の水道局などを巡って、江戸時代からの上水や下水の流れなどに思いをはせる回で、面白かった。
じつは、全然詳しくはないのだが、なぜか昔から上水などに興味がある。
放送で御苑横の水道局に、江戸前期に玉川兄弟によって造成された玉川上水についての顕彰碑が立っているのが映ったが、若い頃、これを読んだ記憶がある。歴史好きだったので、江戸時代のことを読んだりして、番組でやったようなことに感心したりしていた。
17~18世紀、欧州は相次ぐ戦争、反乱、革命に忙しいが、日本は徳川治下で平和かつ建築、再開発、インフラ整備の盛んな時代を迎える。中期の江戸は人口世界最大の、きわめて清潔な都市だったといわれる。理由の一つが、欧州よりはるかに早い玉川上水や縦横な掘割など、都市住民用水利設備の整備だった。
しかも、民間主導で作られた上水(玉川兄弟は幕府の許可を得て、私財を投じて工事を完成させた)は地下にも巡り、町内などの自治組織が自治的に管理メンテナンスしていた。幕末~明治のコレラなどの蔓延は、この自治共同体の崩壊による管理能力低下によるともいう。
というような断片的な知識を持っていたので、なかなか興味深く観ることができた。新宿~四谷の間にあった池の周りに置屋、料亭などが立ち並んでいたというのも、再現場面が面白かった。内藤新宿は江戸期には江戸の外の宿場だが、その流れか、遊郭があった。漱石は、幼い頃、養母の実家だったかがそこにあり、一時住んでいた。「道草」に、その頃の記憶が書いてある。たしか、大きな階段があって、すでに遊郭としては使われておらず、そこで走り回って遊んだとか。
そして、今は高層ビル街になった西新宿のあたりに巨大な浄水場があったのは、僕も知っている。70年代、今よりはるかに大きかった西口公園と、その隣の浄水場は、赤土をむき出しにした土地になり、やがてにょきにょきとビルが建っていった。ちょうどその頃、新宿のジャズ喫茶に出入りし、歩き回っていたので、よく覚えている。何か地面が肌をそがれたような痛々しい風景だった。
とまあ、色んなことを思い出しながら、大変面白く拝見しました。まる。
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