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もう、口に入れるとアツアツのジューシーな汁が出て、
噛むとプリプリのカキがっ・・・・!
いやあ、昨今食べられない絶品のカキフライ。
衣にはカシューナッツを入れるなど、かなり手間ヒマかかるものだそうな。
たしかに、あの香ばしくかりっとした衣がまた・・・・じつにどうも。
この噺、コメント欄以外でも落語好きを中心に反響が大きい。今日もエッグでカキフライ目当てにきてタッチの差でハズしたタッキーが「凄い」と感動していた。中世史の新進研究者「若旦那」清水克之君もメールをくれた。そのたびに対話するわけだが、そのたび中野翠さんの『今夜も落語で眠りたい』(文春新書)の一節を思い出す。
〈確かに落語には人間の「業」だの「心の闇」だの「精神のダークサイド」を描いているところもある。[略・それらを]突き詰めて考えないからこそ落語なのだと思う。
突き詰めて考えるーーなあんていう野暮なことは文学や精神分析(この二つは近頃はほとんど同じものになっている)や哲学にまかせておけばいいのだ。人間には「心の闇」がある。当たり前のことじゃあないか。何だかわからないけど面白いもんだね・・・・。落語はただそれだけでいいのだ。「心の闇」だの何だのを突き詰めて考えるのではなく、味わう。みつめるのではなく眺める。いいかげんと言えばいいかげんだけれど、それが落語の「大きさ」というものだと思う。「心の闇」だの何だのまで、そっくりそのままフワーッと受け入れ、包み込んでしまう落語に、私は救われている。〉(同書 93~94p)
この本はいい本で、おすすめなのだが、僕など〈人間には「心の闇」がある。当たり前のことじゃあないか〉なんてあたり「そうそう!」とヒザを打ってしまう。『シャブ浜』は、見ようによっては「野暮」のようだが、業をまるごと受け入れる「凄さ」は、そんな言葉を吹き飛ばす力がある。ま「粋」かといえば、そうもいえないけど「野暮」でもないよね。そしてこれもまた「救い」になりうる。
上海っ子のベニちゃんが「上海料理が食べたい」というので、彼女の日本語の先生であるリルさんと上海小吃にまた行った。とはいえ、3人で行っても面白くない。5~6人はいないと色んな料理を楽しめないので、何人かに声をかけた。急な話でかつ平日なので、多めに声をかけたら、あっという間に人が集まってしまい、結局総勢8人。
ベニちゃん、リルさんの他、中医学の元女子大生(?)コボさん、八卦掌仲間の中国研究者コンビ野村八戒氏とりなさん、ひさしぶりの元香港キャリアのライター野村麻里さん、一緒に中国で取材仕事をした小学館の森岡さん、それに僕。で、基本ベニちゃんのオーダーで、しかしいつもの通り店のお姐さんの独断でメニューは決まり、うさぎ、上海蟹、火鍋、香肉(狗)鍋などを堪能。おいしかったぁ~~。
八戒さんのブログに写真が。→
http://d.hatena.ne.jp/nomurahideto/20071107/p1#seemore
ちなみに野村麻里さんは最近『作家の別腹 文豪の愛した東京・あの味』(光文社 知恵の森文庫)という編著を出した。内田百間、池波正太郎、植草甚一、杉浦日向子などの食べ物エッセイ集。
森岡さんは『ウーロン茶のCMソングから中国語を始めませんか?』(amin著 小学館)という本を出されたりしている。
ベニちゃん、満足したかな?
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