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株式会社インフラコモンズ代表取締役の今泉大輔が、現在進行形で取り組んでいるコンシューマ向けITサービス、バイオマス燃料取引の他、これまで関わってきたデータ経営、海外起業、イノベーション、再エネなどの話題について書いて行きます。

A地点からB地点まで行くライブ

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近田春夫ではないけれども…。

このブログではストーリーを話題にした投稿を何本か上げています。

メモ:「ストーリーテリング」と「エンゲージメント」

この投稿では「エンゲージメント」という言葉に反応したんですね。お世話になっているシスコのIBSGでは以前から顧客との関係づくりを「エンゲージメント」という言葉で括っていました。1997年頃からこの言葉を使ってこの組織の主たる活動を言い表していたのです。非常に早いですね。日本語で言えば”絆づくり”といったところでしょうか。
米国の経営コンサルの世界で誰がいつ"Engagement"を使い始めたのか、調べてみるとおもしろいと思います。

ストーリーを中心に置く経営

この投稿ではHarvard Business Reviewのクリステンセンの論文に反応していますね。HBRでは、Storytellingそのものをテーマにした論文も出ていて、以下がそれ。結局、経営者は会社を動かしていくのにストーリーを語っていかなければダメだみたいなことが書かれていたはずです。(うろ覚え)

アテンションを引き付けるにはストーリーが必要だ

この投稿で書こうとしていたのは、いわゆるアテンションエコノミーの文脈で、顧客側のアテンションの供給不足がある現状においては、ある対象が適正なアテンションを引き付けるには「ストーリー」でぐっと気を引くしかない、そういう状況があるんではないか、ということでした。ただ、その「ストーリー」を成立させている要素については、追究しきれていません。

エンゲージメント/ストーリー/経験

ここで触れていたインタラクリ氏の「「ガンダム」と「エンゲージメント」。」は、日本のブログ界で、ストーリーテリングとエンゲージメントの重要性に関する”気づき”を記録した初めての投稿ではないかと思っています。上の メモ:「ストーリーテリング」と「エンゲージメント」 も、実はインタラクリ氏の同じ投稿を取り上げていました。インタラクリ氏は継続的にストーリーやエンゲージメントについて考察していて、こちらこちらなど、興味深いです。

その後の調査活動により、ストーリーテリングとエンゲージメントとの関係は、次のようなものであることが判明しました。

・ストーリーは、顧客のこころに訴えて、エモーションを掻き立てる。
・それによって、顧客がストーリーを語る主体に対して、エモーショナルなフックをかけるようになる。要はアテンションが向かう。
・ストーリーを語る主体から見れば、顧客との間にエンゲージメント(エモーショナルな絆)が生まれた状況となる。
・その絆は、なかなか途切れない。なぜなら自発的なこころの活動から生まれたエモーションを含んでいるから。

ストーリーとエンゲージメントについて説明している文書をいくつか読むと、おおむねこのような関係にあるようです。やはりエモーションが大事ですね。(→業としてこの関連を取り扱っている方には、映画や放送のシナリオ関係の人が少なくないようです。エモーショナルな要素の演出に長けているからでしょう)

私が現在興味を持っているのは、ネット上において日夜織り成される個人のストーリーです。Aさん、Bさん、Cさん…。いろんな人が自分にとっては非常に興味深い存在です。
ブログの場合、別段その人自身が意識しなくとも、そこに自ずと表れるのはその人自身のストーリーなんですよね。時間の経緯に従って、自分や自分の関心事について書いていくと、過去のある時点から始まったストーリーが自ずとそこに読み取れるようになります。これがブログの不思議なところ(96年頃に始まったいわゆる「ウェブ日記」にも見られた現象です)。
その人自身がエモーショナルな存在でなくとも、書いている内容がエモーショナルなトピックでないとしても、一定期間、書き綴られたブログにはそこはかとなくストーリー性がにじみ出るのがおもしろいです。例えば、池田信夫氏のブログなどにも、少し続けて読んでみるとストーリー性が感じられます。

このストーリー、米系の経営学の範疇で語られる際には、西洋の騎士道物語に範を取った「型」が提示されます(行きて帰りし物語的な型)。日本で言う起承転結、あるいは序破急ですね。
しかし、ブログに表れるストーリーは、必ずしもそうした「型」を踏襲するとは限りません。なにせ、誰もが非常に多様性のある生を生きているわけですから。

型がないなかで、読者はどのようにしてそこにストーリー性を見出しているのかというと、「日々の変化」ですね。これに尽きます。
書き手がどのように変化しているのか、これからどのように変化していこうとしているのか。ここに興味の最大の焦点があります。
特定の人のブログを毎日読みに行く行為は、その人の変化を読み取る行為であるわけですね。時にはやじ馬的に、時には大いに感情移入して、日々の変化を読みにアクセスしていくのです。だから更新が止まったブログはさみしい、つまらない、ということにもなっていきます。(書き手の側からしたら、そんな毎日何らかの変化が起こるわけではないし、ネタなんかないときはないよ、ということなわけですが)

この「日々の変化」をもう少し噛み砕いてみると、次のように単純化することができると思います。

 A地点 → 書き手のいま → B地点

読む側がどのようにして変化を嗅ぎ取っているかというと、無意識的ではあっても、読むそばから書き手の現在の立ち位置がわかるわけですね。「あ、1ヶ月前に書いたものとかなり違っている」とか、「あ、この人は現在こんなことを気にしているんだ」とか。それは、初対面で誰かに会った時に、一瞬にしておおよその人となりを把握できてしまう(実際には後から種々の修正が伴いますが)のに近い、割と瞬間的な認識です。

ブログの1つひとつの投稿には、その人のその時の立ち位置が記録されている。そしてその立ち位置は、ベクトルみたいなもので、多くの場合は方向感に関する情報も含んでいます。
この人は、おそらく、A地点からB地点に行こうとしているんだなぁということが、うっすらとわかる。この時のわかり方は、あまり正確でなくてもよいのです。あくまで、読み手にとって、「この人は、A地点からB地点に行こうとしているんだろう」と推測できるぐらいでも構わない。それによって読み手側にはアテンションが生じます。
その推測、あるいは仮説は、その後の投稿を連続的に読んでいくなかで正しく修正されるわけです。

このようにして、読み手がブログの書き手の「A地点からB地点へ移動していく様」を読み込むようになると、読み手はもうそのブログから離れられません。毎日気になる。毎日読みに行く。このへんなんですよね、ポイントは。

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