AI活用が通信業界の収益構造を変えるか
IDCは2025年11月6日、世界の通信および有料テレビ(Pay TV)サービス市場が2025年に1兆5,320億ドルへ拡大し、前年比1.7%増になるとの最新予測を公表しました。
本年初の見通しからわずかに上方修正されたものの、依然として世界の通信市場の成長は限定的であり、収益が大きく伸びる環境にはありません。背景には、インフレや価格競争、ARPU(ユーザー当たり平均収入)の停滞、そして成熟市場における加入者増の限界があります。
さらに、固定音声や従来型Pay TVの縮小が続き、地域別でも伸び悩みが見られます。アジア太平洋では中国や日本の景況感悪化、EMEAでは一部地域での政治不安が足かせになるなど、マクロ経済の逆風が市場の勢いを抑えています。一方で、モバイルデータ需要やM2M用途の拡大など、成長要因も残されています。
こうした中、通信事業者は持続的な収益確保に向け、AIの全面活用によるEBITDA(税引前利益)改善を加速させています。今回は、市場の最新動向と収益構造の変化、AIがもたらす経営改善の可能性、さらに今後の展望について取り上げたいと思います。
世界通信市場は成長鈍化の局面に――地域別データが示す構造変化
IDCの最新データによると、2025年の世界市場は地域別に明暗が分かれています。アメリカ地域とアジア太平洋地域はいずれも前年比1.0%の増加にとどまり、成熟市場の伸び代の小ささが浮き彫りになっています。特にアジア太平洋では、中国の景気減速、日本の消費者支出の伸び悩み、インドネシアの不確実性などが重なり、市場の勢いが抑制されています。
一方、EMEAは3.2%増と他地域を上回る成長率を示していますが、背景にはトルコ、エジプト、ナイジェリアなどの高インフレ地域による名目成長が含まれており、実質的な市場拡大とは言い切れません。市場の成長がマクロ環境の影響を強く受ける点は、過去数年で明確となっており、今後も地域ごとの市場性に大きな差がつく見込みです。
加えて、世界的な保護主義の高まりや地政学的リスクが投資マインドを冷え込ませており、国境をまたぐ通信事業の拡大戦略にも不確実性が残っています。IDCは今後5年間の年平均成長率を1.5%と見込んでいますが、これは従来高成長を支えたインフレの収束によって押し下げられる可能性もあります。市場は"緩やかな成長の持続"というより、"成長余地の細り"を前提とする方向へと移りつつあります。
サービス別動向――モバイルと固定データが牽引、縮む音声・Pay TV
サービス種別に目を向けると、通信市場の構造変化がさらに鮮明になります。モバイルが市場の中心である状況に変わりはなく、データトラフィックの増加とM2M通信の普及が引き続き成長を支えています。特に製造、物流、都市インフラなど幅広い産業でIoTが本格普及し始め、セルラー接続の需要が安定して増加しています。
固定データサービスも成長を維持しています。動画視聴の高精細化やクラウドサービス利用の拡大により、高帯域の固定回線の需要が増えています。各国の政府や通信事業者が進める光ファイバー敷設やブロードバンド政策も、底堅い需要を形成しています。
一方で、固定音声サービスは衰退が続いています。TDM(時分割多重方式)による旧来型音声サービスは急速に縮小しており、IP音声の普及も市場全体の減少を補うには至っていません。さらに、従来型Pay TVもVoDやOTTサービスへの転換が進み、単体の収益源としての存在感は小さくなりつつあります。それでも、通信事業者の"バンドル戦略"においては依然重要な構成要素であり、契約維持やARPU向上に寄与しています。
成長を阻む要因――成熟市場、低迷する景況感、政治不安の三重苦
今回の予測では、成長を妨げる三つの要因が際立っています。第一に、成熟市場における加入者増の限界です。北米、西欧、日本などでは加入者数が飽和状態にあり、既存のビジネスモデルでは大きな収益上振れを期待しにくい状況です。
第二に、景気の不透明感です。IMFの最新予測でも、世界経済は高い成長を見込みづらい状況が続くとされており、中国の構造調整や欧州の景気停滞、米国の金利政策など、外部環境が通信市場に及ぼす影響は引き続き大きいとみられています。インフレ圧力は和らぎつつありますが、その反動で通信サービス支出への"物価押し上げ効果"も薄れつつあります。
第三に、政治的リスクです。東欧や中東など地政学的に不安定な地域では、インフラ投資の遅延や市場縮小が懸念されています。通信インフラは公共性が高く、政治リスクと密接に結びつきます。そのため一部地域では市場の先行き不透明感が強まり、企業の投資判断を難しくしています。
これらの要素が複合的に作用し、市場の成長率は依然として抑制された状態が続いているのが現状です。
通信事業者の戦略転換――AIによるEBITDA改善へ
このような厳しい事業環境の中、通信事業者が注力しているのがAIの活用です。収益の大幅拡大が見込めない以上、EBITDA率の改善や運営効率の向上が企業価値向上の鍵となります。AIはその中心に位置づけられつつあります。
ネットワーク運用では、AIによる予兆検知が主流となり、障害の未然防止や最適化が進んでいます。従来は膨大なログやパラメーターの分析を担当者が担っていましたが、AIモデルがリアルタイムに異常兆候を補足することで、復旧コストの削減やサービス品質の安定化が実現しています。
顧客サービス分野でも負荷軽減が進んでいます。チャットボットや自動応答システムが高度化し、問い合わせの85%程度をセルフサービスで処理する企業も増えています。これによりオペレーションコストが減少し、離脱防止や顧客満足度向上にもつながっています。
AIによる不正検知も重要度を増しています。サイバー攻撃や不正契約の巧妙化が進む中で、AIがパターンの異常性を検知し、被害を最小限に抑える取り組みが広がっています。
さらに、AIは収益モデル改革にも貢献しています。顧客単位で最適なプラン提案を行うパーソナライズや、需要に応じた動的料金設定により、ARPU向上や解約率低下を実現しつつあります。5G、IoT、エッジコンピューティングなど新領域のサービス提供サイクルを短縮し、収益化のスピードを上げる効果も生まれています。
今後の展望
今後5年間、世界の通信市場は急成長こそ期待できないものの、安定した需要基盤を維持する見通しです。とはいえ事業環境は成熟しきっており、価格競争やARPUの伸び悩みなどの課題は続くと考えられます。そのため、通信事業者はサービスの"広がり"ではなく、運営効率と収益性の"深まり"を意識した戦略が求められています。
AIはその中核となる技術として、ネットワーク自動化や顧客接点の高度化、設備投資計画の最適化など、オペレーション全体を変革する可能性があります。特に、生成AIやAIエージェントが企業システムに組み込まれることで、従来の人手中心の業務が大幅に効率化され、経営資源の配分が根本から見直される局面が訪れるでしょう。
一方で、AI導入にはデータ品質の確保、モデルの透明性、セキュリティ確保など解決すべき課題も残ります。特に通信事業者は社会インフラを担う立場であり、信頼性が損なわれることは許されません。AIに依存し過ぎるリスクへの対応も必要になります。
今後は、AI・クラウド・ネットワークの三位一体での最適化が重要となり、エッジ分散型のネットワーク設計や、B2B向けの専用AIサービスなど新たな事業モデルが広がる可能性はあるでしょう。

出典:IDC 2025.11