記録よりも記憶に残る仕事
先日、私自身プロジェクトメンバーの一人として手がけた案件が全国紙のニュースサイトに取り上げられました。
社内で受注している案件と比べてみると、それほど大規模な案件ではなく、受注額としては非常に平凡な案件です。
お客様が手がけたシステムに対して真剣に取り組み喜んでいる姿、評価し行動していただている姿。そして全国初(おそらく)の取り組み。地道ながらもお客様に喜んでいただける取り組みが、評価されたのではないかと感じています。
サラリーマン(ビジネスパーソン)として仕事をしている限り、必ず成果が求められます。つまり、記録(=結果)が求められるのです。企業において成果主義の比率が高まっている中、我々サラリーマンは半年や1年単位でそれなりの結果を出していかなければなりません。結果が出せない人間は、出世競争から脱落し、同期で百万単位の給料の差が出る例も珍しくありません。一握りの社員は、頂点を目指して高いモチベーションで仕事をすることができますが、脱落した(と思われる)社員は、仕事に対して高いモチベーションを維持していくことがなかなか難しいでしょう。
5月は5月病と言われるように精神面で不安定な社員も中にはいることでしょう。中にはうつ病になって、職場復帰もままならない人も出てくるかもしれません。
競争社会の中で継続的に高記録を残すサラリーマンは一握りです。つまり、多くの社員は脱落感や劣等感を感じることもあるでしょう。格差社会や不機嫌な職場と言われるようになり、社員の働く意欲を維持させていくことも容易ではなくなりました。
では、タイトルにある記憶に残る仕事とはどういう意味なのでしょうか?
元プロ野球選手の新庄氏は、選手として残した記録は平凡です。しかし、「記録より記憶に残る選手」として、引退した今でも様々な番組やCMに登場し、私たちの記憶に残っています。長嶋氏も「記録よりも記憶に残る選手」として、今も日本国民に愛されています。
ビジネスの社会においても同じではないでしょうか?
記録に残らなくても記憶に残る仕事はできると感じています。自分自身がその仕事に対してプライドをもって強い気持ちとやりぬく気持ち、そして相手に喜んでもらえることを意識して、仕事を楽しく考えることができれば、たとえ高いレベルにいる人間でなくでも、記憶に残る仕事はできるのです。
実は、ブログも同じだと考えています。日本においてサラリーマンがブログを書くことは、社内の評価として記録されるケースはほとんどないであろうと認識しています。しかしながら、ブログを書き続け、読んでいただければ、その人の記憶に少なからず残ります。ブログがきっかけで新しい仕事や新しい人間関係ができる例も少なくはありません。人々の記憶に残る活動をしていれば、人々は自然と自分が創るプラットフォームに集まってきてくれるのです。
長い目で見て、記録よりも記憶に残る仕事や活動を続けていければ、記録がついてくるかもしれません。だから、まず記録よりも記憶に残る仕事や活動を意識して続けてくことができれば、ストレスもあまり感じず、楽しく過ごせるのではないかと私自身感じています。