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昨日に続きブロガーズ・ミーティング@IBM「A Smarter Planet」の感想をば。
プラネットとは惑星という意味です。惑星とは「惑う」星を意味しています。プラネットの語源はプラネテス、人気漫画のタイトルと同じです。プラネテスは「さまよう」という意味のギリシア語です。夜空を見上げればほとんどの星はゆっくりと同じように流れるのですが、その中に気持ち悪い動きをする星があります。火星や金星などの星です。光年単位で遠方に位置する恒星は地球の自転で回っているように見えるだけですが、惑星は地球に比較的近いところで公転しているために恒星と別の動き、すなわち「さまよっている」ように見えます。
火星の逆行などの気持ち悪い運動はまさしく「さまよう」の名前にぴったりで、その動きは天動説が信じられていた時代にはなかなか予測のつきづらいものであったために占いのネタにされたりしました。しかしこの気持ち悪い動きは科学者の好奇心を大いにくすぐったようで、いずれ地動説の発見へとつながります。天動説では上手く説明できない。ということは天動説が間違っているのではないか、という考え方はまさしく「コペルニクス的転換」であると言えます。
そういったことを考えると地球を表す言葉には「アース」や「グローブ」などある中でその「プラネット」を選んだことは意味深いものを感じます。プラネットには惑うとか彷徨うというネガティブなイメージがある一方で天動説の間違いに気づき、地動説への転換のきっかけとなりました。この環境問題に対しても同じような転換を与えてくれればと思います。
さて惑星というと太陽の周りを周回しますが、日本には古くから「お天道様が見てるよ」という言葉があります。先日のミーティングでは「スマーターな社会を目指すために、何かの方法で秩序を持たせることは技術的に可能である。しかし誰がそのルールを作り、維持するのか。」という疑問が呈されました。
例えば行動ターゲティング広告という広告手法があります。ブラウザの閲覧履歴を取得し、ユーザの好みに合った広告を表示する手法です。この取り組みにgoogleが参加することが先日ニュースとなりました。確かに自分のプライバシーを侵害されるような印象を受けますし(実際には個人情報でなく嗜好だけが送られるとされる)、的確な広告を提示され続けることで、これまでなら買わずに済んだものをうっかり買わされてしまうかもしれない、という恐怖感もあります。
しかし行動ターゲティング広告の登場により、広告の無駄玉が減ることは確実です。それは広告費を圧縮し、引いては商品価格の圧縮につながるでしょう。また、自分にぴったりの商品を探し求めてネットを検索したり、リアルの世界でショッピングに時間をかけるという時間を減らすことが期待されます。
このように「スマート」だけれども自分たち自身にコントロールする権限がないために反発を受けてしまうという例は少なくありません。例えば国民総背番号制度が実現すればかなり多くの無駄を減らすことができるでしょう。そういった合理化を押し進めれば進めるほど無駄を監視する役割が強くなっていきます。
人間が直接チェックを行なうことはないにせよ、コンピュータに自動チェックさせるためのルール作りを誰がになうのか、という問題が新たに生まれてくることになります。例えば国民総背番号制度を実現するための法整備は過去に何度か試みられましたが、主権者である国民の意識が揃わずに実現に至りませんでした。
では政治が主導したり、企業が主導したりしてスマートを押し進めることはできるでしょうか。その場合も大きな反発を受けて頓挫する可能性があります。googleストリートビューは確かに訪れたことの無い場所にも便利にたどりつけたり、遠隔地から引越し先を探すことに適しているでしょうが、プライバシー侵害の懸念から組織的な削除要請が出て歯抜けになっている地域も見られます。
こういったことを考えると、価値観が共有できていないがためにスマートな振る舞いが実現できない局面というのが少なからず出てくるだろうと予想されます。環境問題はまったなしの問題であるため、なんとか価値観を共有して問題を解決していかなくてはなりません。情報が足りないためにスマートでない判断を下す人が多いというのであれば環境リテラシー教育を行なうなどすれば切り抜けられるでしょう。しかし情報が充分にある状態で「今の便利を放棄したくないので協力できない」という人がたくさん出てきたら、どのように対応したらよいでしょうか。また、この舵取りを誰に任せればよいのでしょうか。舵取りにより生まれた新しい秩序の維持を担当する人=ビッグブラザーは誰がやるのでしょうか。
そうなってくると「ビッグブラザー」に人間でなく「お天道様」という極めてぼんやりとした存在を当てはめることに抵抗を感じない日本人というのは非常にスマートな人種であるように感じます。実際には「お天道様」は何もしてくれない概念的な存在であるため、「お天道様」的価値判断を行なえる人材が代行することになるでしょう。
例えば日本IBMの箱崎ビルでは「カーボンマネジメント・ダッシュボード」により事業所からのCO2排出量を可視化しているそうです。そういったデータを閾値により「だめ」とか「いい」とかを設定すると閾値を決める人は誰なのか、という問題に直面してしまいます。となるとやはり数多くの「お天道様」的価値判断を行なえる人がインターネット越しに良い悪いを投票してコントロールしていく方式は非常に民主主義的でもあり、また個人が環境について考える良い機会になるのではないでしょうか。
というように長々と書いては見たものの、ミーティングでの1時間に及ぶディスカッションでも方向は見えず、ブログに書いてもまとまらず、どうしたものかという課題感だけを強く感じます。同じミーティングに参加した谷川さんのエントリからも同種の懊悩が感じられ、自分もますますその思いが強くなりました。
ともかく1人で悩んでも何も良くなりません。くよくよしてたらお天道様に顔向けできません。必ずやITで明るい未来を作って見せるぞという勇ましい気持ちでいたいと思います。
A Smarter Planetについて考えるミーティングに参加してきました。
家に帰ってきてメモを見返しつつ、この英語のフレーズにぴったりの日本語は何だろうかと考えてみました。
- 和をもって尊しとなす
- 情けは人の為ならず
- もったいない
1番目はその通りの意味で調和した社会を目指そうという意味です。ミーティングでは「森羅万象に秩序を与えよう」という考え方が紹介されました。目指す方向は同じかと思います。
2番目は本来の意味で、「他人に情けをかけると甘やかすことになる」という誤用のほうではありません。いつかは自分のためになることだから、自分以外の誰かにも親切になることをしよう、という意味です。「親切」というのを「スマート」に、「他人」というのを「地球」にと捕えると同じようなことを言っているかと思います。
そして3点目が一番しっくりきたのですが、もったいないことをするな、という意味です。もったいながろうということになります。
おそらくは「もったいない」にも2つの意味があり、今単純に無駄が出ていること、例えばミーティング中では日本では消費される食材の何パーセントは廃棄されているだとか、アメリカではジャガイモが口に入るまで千キロメートルとかそれ以上輸送されているという話がありました。こういった「もったいない」ことをなくそうというのが1つ目の意味です。
2つ目の「もったいない」は、今誰も目を向けていないけれども活用しうるものが放置されているというもったいなさです。世の中には情報の有効活用が行なわれず、機会的損失が発生しているものが数多くあると思います。例えば電気ポットでは生活スタイルを記憶することで不必要な保温を減らす機能がついたものがあります。ポットからお湯を出すためにはボタンを押しますが、もしボタンの操作ログが取れればベストな保温スケジュールを作ることができます。同様に、企業のアプリケーションの操作ログであるとか、交通量の情報など「やろうと思えばもっとスマートにできる」ことで、かつ「技術的にはそう難しくない」ことが「誰もお金を出さない」とか「やっても儲からない」から放置されているというものがたくさんあります。これはもったいない。
この2つ、自分のメモを見返して「我ながら冴えてる」と思ったのですが、メモ書きの横に「徳力さん」と書いてありました。そうでした。自分の発言ではなくディスカッション中に徳力さんが言ったことでした。
日本の中でも特に「もったいない」ことが嫌い、裏を返すと暇さえあれば「もったいない」といいたがる名古屋人としてはA Smarter Planetの目指すところは非常に共感が持てるところです。きっとトヨタで乾いた雑巾を絞っている人たちも協力してくれることでしょう。なにせよかの地には無駄をなくすことに言い知れぬ喜びを感じる人が少なからずいますから。
それはさておき、このブログの名称にある「一般システムエンジニア」とは「一般システム」の「エンジニア」たる存在を目指そうという意気込みから考えた言葉です。
一般システムとは今から50年前の1950年にフォン・ベルタランフィらが提唱した科学理論に出てくる概念です。世の中には数多く「システム」らしいものがあり、それらはすべて「一般システム」としての基本的性質を継承しているというものです。オブジェクト指向に例えれば、システムらしいもの、人体、生態系、細胞、ビジネス、国家などはベースクラスである「一般システム」を継承した派生クラスであるという感じです。
一般システムとはこのようなものであるとされます。
- システムは互いに作用している要素からなるものである。
- システムは部分に還元することができない。
- システムは目的に向かって動いている。
- ひとつのシステムの中には独特の構造を持った複数の下位システムが存在する。
- 下位システムは相互に作用しあいながら調和し、全体としてまとまった存在をなしている。
Wikipedia「一般システム理論」より引用。
私が思うに一般システム理論が生まれた背景には、世の中のシステムめいたものを分析する技術がなかったことがあるのではないでしょうか。エニアックが産声をあげたところであり、大規模データ処理や、ましてやリアルタイム処理などは実現されていない時代のことです。例えば車の走行をモデル化して渋滞をシミュレーションするということはできなかったでしょう。
そのため交通システムというもの全体を「システム」とみなし、インプットとアウトプットや上位システム、下位システムとの関係を定義して抽象的に考えることが分析できる限界となります。数学的に近似モデルを作れるものは作ったでしょうが、コンピュータの計算量に物を言わせてシミュレーションするような手法は取れない時代でしたから、役立つモデルは少なかったことと思います。
そういった時代は過ぎ去り、情報理論とハードウェアの発展はシミュレーション、リアルタイム処理、大規模データ処理といった恩恵をもたらします。これまで人類がコントロールできなかった「システム」はどんどんコントロール下に置かれるものでしょう。渋滞を減らす実験もできますし、人体のシミュレーションによる効率的な新薬合成も可能です。ショッピングではこれまでPOSで「買う」を記録することはありましたが、今後はRFIDにより「手に取ったか否か」「新製品のTシャツを既存ラインナップのGパンと合わせようとして試着して買わなかった」というようなレベルの情報まで集めることができるようになります。
今後はこのように新しく取得できるデータも増加しますし、それを分析するマイニング手法も進化しますので、最終的には無駄な商品の製造を削減することでよりスマートな世界へ近づき得る下地ができていくでしょう。しかしそれを倫理的に許可したり、政治的に押し進めたりというところは人間の判断するものです。人間も「システム」としての性質を多分に備えていますが、時におかしな選択をするのも人間の特徴です。世の中が環境保護に向かいつつある中で、環境保護政策を政治のパワーゲームの材料にしたり、あとXX年で地球は滅びる予言があるから気にするなと吹聴したり、抜け駆けしようとする人が多くて制度が骨抜きになったりするかもしれません。
それはともかく、これまで「システム」としてブラックボックス的に扱うしか選択肢がなかったような対象が、ITの進化によって挙動・性質が明らかとなり、人類の管理下に置かれるというトレンドは動かしがたいものでしょう。となると「システム」らしいものが減ってしまいます。このブログのタイトル「一般システムエンジニア」というのも「スマーターエンジニア」あたりに改名の必要が出てくるかもしれません。それは大変だ。
日本IBM社の皆様、本日はお招きいただきましてありがとうございました。
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