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僕が書いた連載が始まりました。文章がへたくそなので、編集部の方にいろいろと見ていただいたうえでの連載ですが。
第1回は、日本の教育の現場を軽く復習しています。中村さんの親子就活に書かれた「やり直せる時代」については、以前も書きました。
僕が教育に携わるのは、専門学校が初めてではないことはご存じかも知れません。(参照記事/西日本新聞)
教育の現場を見ていて感じるのは、自分が教えている人の将来を考えていない人が混じっていることです。これは学校のみならず、会社の研修の場でも、です。また研修も、新入社員だけではなく、2年目、3年目の研修、マネージャー研修を担当する人でも、研修した後に「こうなって欲しい」というイメージを持たずに担当している人は、少なからず存在します。
で、教えられる側としては、それを批判し続けていても、自分に利益はないわけですよね。じゃあ、どうするか。
自分の視点を上げないことには、他人の責任ばかり追及していては、自分はどうにもならないわけです。10年経って、
「君はこんなことも知らないの?」
と聴かれたときに、
「教えてくれなかったんです」
と答えるのでしょうか。んなわけないですよね。そう考えると、視点を上げる、目線を上げることは、どの年代にでも必要なことなんじゃないか、と思うんですよね。俯いていては見えないことが見えてくるはずです。
とここまで書いて、最近改めて感じていることです。(少しズレますが)
通勤時に前から歩いてくる人の顔が見えないことが多いように感じます。おでこというか、頭が見えることが多いんです。それは俯いて歩いているから。ケータイを見ている人もいますが(それもどうかと思うけど)、普通に歩いていても足下を見ながら(そういう意識はないと思いますが)歩いている人が多いように思うんです。
あれじゃあ、オフィスに入って
「おはよー!」
って言わないだろうな、と。言えないと思いますね、あのままオフィスに入ったら。森戸さんが病んでる会社について書かれていますが、病まない会社にするのは全社員の役目だと思いますね。社長だけじゃないし、管理職だけじゃない。もちろん、一般社員だけでもない。経営者が率先するべきです。
視点を上げる。とても大事なことだと思います。祝日で支離滅裂に書いていますが、僕が過去に尊敬していた上司は、みんな朝8時までに出社していました。部下より遅く出社する上司ではないようにありたい、と思う今日この頃です。
※軽々しく他人の命について語るつもりもなければ、そんな資格もありません。今回、アルピニスト・野口健さんのブログを引用させていただくのは、その考え方の一部です。そこに登場される個人名やその中身に触れているつもりではないことをご理解ください。
2005年に、このブログでリーダーシップとメンバーシップについて書いたことがあります。(ちょっとレイアウトが崩れているようで、読みづらくてすみません)
プロジェクトや会社経営において、リーダーがリーダーシップを発揮するのは当然であるわけですが、メンバーが「どうしましょう?」を言い続けるメンバーであったり、分からないことを分からないと言わずに、間違ったまま進めたり、確認するまでフリーズしているのは、リーダーの責任だとばかりに言えないのだと考えています。
もちろん経営者は全てに責任を持っているわけですし、プロジェクトマネージャーはプロジェクト全体に責任があります。それはそうなのですが、メンバー全員の心の中や体調までは確認しきれない、という意味です。それは、プロジェクトの規模、会社の規模が大きくなれば大きくなるほど、です。
もちろん大きくなれば、ヒエラルキーが必要になるわけで、中間にもマネジメントに携わる人間が出てきます。その人たちが確認しなくてはならなくなるわけです。中間に位置するのに、自分のことしか見ていないようではプロフェッショナルとは呼べないわけです。
僕が以前関わった会社では、部長に「○○の件はどうなりましたか?」と質問すると「あ、A君がやっているので分かりません」という回答が返ってきました。こういうのって、皆さんの周りに起きていません?IT業界において、結構笑えない話だったりするんじゃないでしょうか。全ての業界に精通しているわけではありませんが。
野球において、外野フライを捕るために選手がぶつかって怪我をしないように声を掛け合うわけですが、我々のビジネスにおいては、(論理的には)ぶつかるくらい近づいていくことも大切である気がします。
最後に、宇佐美栄一さんと堀川俊男さんのご冥福をお祈りいたします。
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