日本人と車椅子と差別と心の余裕
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事の経緯は、乙武洋匡さんおよびレストランシェフのツイートをご覧いただければと思います。
これ以外にも、レストランを批判するツイート、それとは逆に乙武さんを批判するツイートが氾濫しているようです。
今回の問題は大きく2つだと思うのです。
1.レストランとして、車椅子はお断り、という姿勢。(Webにビルの構造を書いているとか関係なく)
2.わざわざ階下まで降りて直接乙武さんに文句を言ったシェフ
〜〜〜回想〜〜〜
僕は子供の頃から発達障害児の友達がおりまして、彼はいつもいじめられていました。でも、レインマンのように、興味あることへの記憶力は素晴らしいのです。僕は彼から、東海道五十三次を教えてもらいました。なんか、すべてを暗誦する彼はカッコ良かったのですね。いじめられっ子ですけど。
大学時代はシンガポールで過ごしたのですが、当時は公共交通機関がバスしかなく、運転の荒いバスがたくさんいました。ですが、お年寄りや妊婦さん、あるいは明らかに身体的に障害を抱えている方が乗ってくると、誰もが自然に座席を譲っていました。譲るのは当たり前で、譲られた人も軽く会釈するだけ。譲ることを恥ずかしがることはまったくなく、また譲られて「オレを年寄り扱いするな」みたいな面倒くさい人もいませんでした。
僕は大阪出身ですが、「道徳」という授業の中で、今まで知らなかった「差別」について教えられました。わざわざ教えることもないのに、と思ったことを覚えています。
〜〜〜回想終わり〜〜〜
あくまで個人店なので、出来ることとできないことがあるとは思います。建物の構造もいろいろです。それでも、シンガポール人なら何とかしようとするだろうな、と。「忙しくて、ビルの構造がこうなのだから」と言い切ってしまうところが日本なのかな、と。まあ、さらに階下まで罵倒しに行かなくてもよかったと思うんですけどね。仮に乙武さんの言い方が悪かったとしても、です。仮に、ですけどね。
先日、お知り合いの方が「人の役に立てて、この仕事をしていてよかった」という意味のことをフェイスブックに書いておられました。心の余裕って大事だと思うのです。親切にするにも、心の余裕がないとできなくて。優先座席に座り込んでスマートフォンをいじってたりする人って、心の余裕のない気の毒な人だと感じています。ルールとか規則とか、そういうことの有無とは関係なく、心に余裕がない気がするのですね。
人の振り見て我が振り直せと言いますが、自分も心に余裕を持った人間でありたいと思う出来事でした。
〜〜〜回想終わり〜〜〜
あくまで個人店なので、出来ることとできないことがあるとは思います。建物の構造もいろいろです。それでも、シンガポール人なら何とかしようとするだろうな、と。「忙しくて、ビルの構造がこうなのだから」と言い切ってしまうところが日本なのかな、と。まあ、さらに階下まで罵倒しに行かなくてもよかったと思うんですけどね。仮に乙武さんの言い方が悪かったとしても、です。仮に、ですけどね。
先日、お知り合いの方が「人の役に立てて、この仕事をしていてよかった」という意味のことをフェイスブックに書いておられました。心の余裕って大事だと思うのです。親切にするにも、心の余裕がないとできなくて。優先座席に座り込んでスマートフォンをいじってたりする人って、心の余裕のない気の毒な人だと感じています。ルールとか規則とか、そういうことの有無とは関係なく、心に余裕がない気がするのですね。
人の振り見て我が振り直せと言いますが、自分も心に余裕を持った人間でありたいと思う出来事でした。
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