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小学校6年生の同級生とは、今でも同窓会を行っています。
当時の担任だった先生は一昨年定年を迎えましたが、髪は黒々としていて背筋もすらっと伸びていて、とても60代前半には見えません。40代後半程度のようです。
その先生に教わったのは、今からもう34年前になります。
先生は、生徒達が授業で騒いでいたり礼儀がなっていないと、ゲンコツで小突いたり、竹刀で叩いたり、授業中に机の上で正座をさせたりしていました。
小学校の卒業アルバムを見ると、誰が撮影したのか(?)、確かに机の上に座らされている同級生がいます。
このように非常に厳しい先生でしたが、母親達は全面的に先生を支持していました。
曰く、「先生に殴られるアンタが悪い!」
体罰がいい・悪いという問題以前に、善悪の区別が付かない子供達に対して大人は何が正しく何が間違っているのかを子供達に明確に示す責任があり、この点で先生を全面的に信頼している、という単純な理由です。
先生はよく「あんた達のお母さん方には感謝している」とおっしゃっています。単に体罰がいい・悪いだけで判断せず、大人として子供に何をすべきかを考えた母親達に対する感謝でもあったと思います。
ちなみに、私達6年3組の同窓生達は、卒業後もよく先生と同窓会を行っています。一昨年に先生が定年を迎えた際には、同窓生一同の企画で、母校の小学校で先生の教師としての卒業式を行いました。
この6年3組の同級生達の母親達は、今でも母親同士で付き合いがあり、母親同士で一緒に旅行に行ったりしているようです。
一方で、本日(5/29)、IZAに掲載された「【溶けゆく日本人】指導の手段失う教育現場」という記事、ちょっとショッキングでした。
子供を信じることは確かに大切です。しかし、子供対教師の世界でけじめをなくしてもよい、ということにはならない筈です。
上下関係を自ら放棄し、ルールを教えることを軽んじ、個性や自主性ばかりを重視する教師の姿からは、何が正しくて何が間違っているかを自らが自信を持って明確に示すことができないジレンマも同時に感じます。
私達の先生によると、私達が小学校を巣立ってから10年も経つと、PTAの圧力が強まって、私達に対して行っていたことは徐々にできなくなっていったそうです。
私達の親の世代は厳しい教育を受けてきた戦前生まれ。一方で10年後以降の子供達の親は自由主義の教育を受けてきた戦後生まれ。こんなところにもしかしたら違いの原因があるのでしょうか?
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