「全員責任」が「全員無責任」になる理由
「全員が平等に責任を持とう」という組織をよく見かけます。
しかし「全員責任」という考え方が破綻し、悲惨な結果を招くこともあります。
たとえばある村で、お世話になった牧師が村を去る際に、村人が感謝の気持ちを伝えるために皆でワインを一杯ずつ樽に入れて、ワインで満たされた樽をプレゼントしようとしました。
しかし樽をあけたところ、中身のワインは真水になっていた、という不思議な話があります。→詳しくはこちらのリンク
また実話では、2ヶ月ほど前に当ブログでご紹介した「台湾沖航空戦」もその例です。
日本軍は航空機300機を失うも、米国海軍を相手に大戦果を挙げ、それを受けて大兵力をフィリピンのレイテ島に集結して決戦を計画しました。
しかし実際には米国海軍はほぼ無傷。レイテ島決戦では8万人の犠牲者が出ました。
日本の航空部隊にはなんとなく「敵艦を撃沈できたかどうか分からない」という空気があり、「撃沈できたような気もするし、していないような気もする」と言っているのを「敵艦撃沈」と集計した結果が、世紀の大虚報になりました。
「全員が責任を持つ」が、「誰かが、責任を持ってやるはず」となり、「自分はやらなくても大勢に影響はない」となり、そのうち誰もやらなくなり、このような結果を生み出しています。
「全員責任」が、「全員がちょっと無責任」になり、最終的に「全員無責任」になる。
「全員責任の社会」ではなく、「私たち一人一人が責任を持つ社会」にしていきたいものです。
以前、当ブログに書いた「ビジネスパーソン2.0」という考え方は、ビジネスパーソン一人一人が責任を持ち、自分の名前で情報発信するような社会になれば、と願って提唱させていただきました。
実は私たち一人一人がその気になれば、出来ることは意外に多いはずです。
そして世の中は変えられるのではないかと思っています。