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「自分に足りないものが何か」ではなく「自分に必要なものは何か」を常に考えるべき

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40代中頃になって、この考え方の違いは、小さいようで、実は自分の人生を左右する位大きいのではないか、と最近思っています。

 

人間とは不完全なもので、「自分に足りないこと」を考え始めると、キリがありません。

私自身、エンジニアから離れて十数年経過した現在はテクニカルスキルはありません。カリスマ性も全くありません。

写真では、スナップや風景等はそれなりに撮れますが、女性ポートレイト等は苦手です。

具体的な例としてスポーツを考えてみると、私は瞬発力等が必要なスポーツや球技は全くダメです。

ただ、ゆっくり長時間走ることは何とかできるので、10年ほど前にジョギンクに凝っていたことがあります。私がちゃんとできた唯一のスポーツです。

3年間かけて、なんとか4時間台前半でフルマラソンを走れるようになりました。いわゆる普通のジョギングランナーですね。

しかし、3時間を切るエリートランナーになるためには、恐らく仕事や写真、プライベートライフ等の他の多くのことを犠牲にし、何年間かけたとしても、達成できるかどうかわかりません。また、そのことに私は大きな意味を見出せませんでした。

ちなみに、ジョギングをしなくなった現在は、家から駅まで徒歩10分の道をダッシュすると、情けないことに、翌々日には筋肉痛になったりします。

 

では、自分に足りないものを改善する必要がないか、というと、そうではありません。

「自分は、何を目指したいのか?」

「そのためには、何が必要なのか?」

「必要なものに対して、自分は何が足りないのか?」

そのように考えた上で、「必要なのだけれども、現在足りないもの」を認識し、それを改善するのは非常に意味があります。

例えば私の場合、仕事ではマーケティング戦略が専門ですが、これを極めるために現在自分に足りないことは何か、その足りないものを改善するためには何を行う必要があるのかを、常に考えています。

一方で、「特に必要ではないのだけれども、現在足りないもの」は、優先順位を落としてもそれ程問題はないと思います。

ドラッカーは以下のように語っています。

「不得手なことの改善にあまり時間を使ってはならない。自らの強みに集中すべきである。無能を並みの水準にするには、一流を超一流にするよりも、はるかに多くのエネルギーと努力を必要とする。」

(P.Fドラッカー「明日を支配するもの」)

人は、どうしても「自分に足りないものを補おう」と思い勝ちですし、その考え方は必ずしも間違っていません。

しかし、本当に必要とされるものを常に優先して考えていきたいものです。

人間、自分に足りないものは非常に沢山ありますし、それを補うためには膨大な時間がかかる一方で、人生の時間は意外なほど短いものですから。

Comment(1)

コメント

木村務夢

へぇ、「自分の足りないところ、自分の中の欠けてるところを治す」のはかなり時間やエネルギーを浪費するデメリットがあるのですね。
「PFドラッカー」といえば、やはり「ドラッカーのマネジメント」が想定されてました。

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