« 2007年5月1日 | 2007年5月3日の投稿 |
2007年5月4日 » |
社会人になってからも、試験や審査、面接を受ける方は多いと思います。
しかし、必ずしも全て受かるとは限りません。むしろ難関と言われる審査にチャレンジして、落ちることも多いと思います。
ふりかえってみると、私のマーケティング・マネージャーとしての力が一番伸びたと感じたのは、社内のマーケティング・プロフェッションの審査に3回続けて落ち続けた時でした。
初回は全く歯が立たず。
2回目は初回の反省から事前準備を万全にして臨みましたが、十分に内容を消化した上でシンプルな戦略を提示できずに敗退。
3回目は自信があったのですが、落ちました。納得がいきませんでしたが、審査員3名のうち1名から「マーケティング・マネージャーとして必要な、正しいパラメータを設定して戦略を考える力が、答案からは見えない」というコメントがあり、これは非常に堪えました。
4回目の挑戦で審査を通過したのですが、3回目の審査に落ちたことが、その後のマーケティング・マネージャーとして成長するための大きな材料になっています。
周りの暗黙知を集めて、自分の戦略を形式知化し、かつ簡略化した上で提示し、相手を論理的に説得する、というマーケティング・マネージャーとして必要なコンピテンスは、この時期に養えたのではないかと思います。
その観点でも、3回目の審査の際に私に不可を付けた審査員と、彼のシンプルなコメントには、今でも感謝しています。(ちなみに私の勤務先では公平を期すために匿名審査を行っているため、彼の名前は今でも知りません)
ここでのポイントは、
・なぜ落ちたのか?
・足りないところはどこだったのか?
・なぜ足りなかったのか?
・どこをどのように改善すればよいのか?
・そもそも全体はどうあるべきだったのか?
を、ある一定期間、考え続けた点です。
また、そのために提供された材料は、徹底的に活用しました。3人の審査官がそれぞれの観点で改善点を書いてくれたので、これは何回も熟読し、改善点を洗い出しました。
試験や審査に落ちた時は、私も内心はかなりヘコみますが、審査に落ちた原因は全て自分の内にあるのです。
審査が悪い訳ではありません。自分の内面を変えればいいのです。
言い換えれば、審査に落ちた時は、自分が次の段階に成長するための「壁」が見えた時であり、自分が成長する絶好のチャンスでもあります。
もし、その「壁」の先に自分が目指すものがあるのであれば、早く立ち直って、新たな自分の成長の機会を掴みたいものです。
さて、「壁」を乗り越えられるかどうかを見極める際に、一つの基準があるのではないかと思います。
「なぜ落ちたのか、あなたは説明できますか?」
・審査の仕組みがおかしい
・審査員が間違っている。又は審査員と自分の相性が悪い
・運が悪かった
・体調が万全ではなかった。次回は必ず!
というような他責の要素を挙げている間は、恐らく「壁」を乗り越えることは難しいでしょう。
自分の外の要素はなかなか変えられません。自分自身が変わる方が、ずっと容易である筈です。自分を変えられるのは、自分しかいないのです。
自分自身の問題として、明確に原因を分析した上で対策を立てられていれば、「壁」を乗り越える日はすぐ近くです。
私は高校時代、太宰治をよく読んでいましたが、久し振りに「人間失格」を読んでみました。
十代後半の頃に読んだ「人間失格」と、四十代中頃で読む「人間失格」とでは、やはり受ける印象が違います。
十代後半の頃は、「何故、人間はこうなってしまうのだろう?」と思いながら、正直にいえば半分主人公を軽蔑する気持ちを感じながら、読んでいました。
四十代中頃に改めて読んでみると、「人間というのは、こういう弱い面があるのだなぁ」と、主人公の弱さと純粋さに同情を感じながら、読み進めました。
この作品の最後に、スタンド・バアのマダムと、この手記を入手した「私」の会話が出てきます。
「.....私はこないだはじめて、全部読んでみて、……」
「泣きましたか?」
「いいえ、泣くというより、……だめね、人間も、ああなっては、もう駄目ね」
何が駄目なのか、高校生の頃の私はやはり深く理解できなかったと思います。
「人間失格」を脱稿して1ヶ月後、太宰治は自ら命を絶ちますが、絶筆になった「グッドバイ」は「人間失格」とうってかわってユーモアあるれるタッチになっているのは皮肉でしょうか。
ちなみに、「グッドバイ」はこちらでも読めます。
« 2007年5月1日 | 2007年5月3日の投稿 |
2007年5月4日 » |