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今でこそ私は写真をライフワークとして続けていますが、あるきっかけで、写真を辞めようと思ったことがありました。
20年ほど前の9月、2週間の休みを取り、念願の北海道への撮影旅行に出かけました。
飛行機で釧路に到着し、2週間かけてレンタカーで根室半島、知床半島、サロマ湖、稚内と走りながら写真を撮り、稚内から飛行機で帰る計画を立てました。
北海道の景色は雄大で、根室半島をひた走って日本最東端・北方領土まで数Kmの場所まで行ったり、知床の大自然に出会ったり、と、関東にいては決して出会えない風景の連続でした。
旅の日程の真ん中で、摩周湖に到着しました。
裏摩周展望台に車を止めましたが、ここからの風景は今ひとつでした。
駐車場から湖面に下りる道があったので、カメラバックを肩に担いで片道15分の急斜面を降りましたが、残念ながら湖面で撮影した写真もイマイチ。仕方なく、下った道を登り始めました。
急な斜面を登り、駐車場まであと1-2分という場所に差し掛かったところで、大きな倒木がありました。
倒木を乗り越えようとしたところ、肩からスルリとカメラバックが落ちました。
カーキ色のカメラバックは、そのまま坂をコロコロと転げ落ちて、あっという間に視界から消えました。
一瞬、何が起こったか理解できませんでした。しかし、考えてみたら、カメラバックの中には全てのカメラ機材、帰りの飛行機のチケット、ホテルの宿泊券、免許証、カード、その他、旅行を続けるために必要なモノのほとんど入っています。
この時、午後2時頃でしたが、この日は藪の中を夕方までカメラバックを探したものの、見つかりませんでした。
夕暮れの駐車場はライトも付いていないため薄暗く、私の車が一台だけ止まっています。周囲数Kmには恐らく誰もいません。手持ちで数万円とレンタカーのカギは持っていたのは不幸中の幸いでした。
宿泊予定だったホテルに電話したものの、「宿泊券がないと泊まれない」とのこと。30Km程車で北上し、緑という町の民宿に宿泊しました。
翌朝、警察に紛失届を出した上で、再度探し始めましたが、午後2時になってもカメラバックは見つかりません。カメラ機材とホテル宿泊券がない以上、残り1週間の旅行は続けられないと判断、釧路空港経由で帰ることにしました。
駐車場にある売店に、カメラバックを落とした旨の張り紙をし、釧路空港まで車で走ってレンタカーを返却し、最終便で東京に帰りました。
ということで、カメラとレンズを全てなくしてしまった私は、再び写真機材を購入して写真を続けるべきか考えました。現在のように写真展も行っておらず、写真を自分のライフワークと考えるようになる数年前のことでした。
色々と考えた末、この年に暮れ、写真を続けることを決め、Canon New F-1, FD 20-35mm/F3.5L, FD 80-200mm/F4L, FD 50mm/F1.4を購入し、写真活動を再開しました。
東京湾岸の写真を本格的に撮り始めるのは、この翌年からです。
この時に写真を続けることを決めていなければ、その後の写真展もなかった訳で、私の人生も大きく変わっていたかもしれません。
尚、翌年の7月、北海道から紛失したカメラバックが届きました。初夏の摩周湖のけもの道を歩いていた人が見つけてくださったそうです。
摩周湖で一冬、大雪の中に埋もれていたことになります。
恐る恐るバックを開けたところ、普及版の一眼レフは内部までサビていて使い物になりませんでした。
しかしCanon F-1(1970年代発売の初代の機種)は修理したところ完動品として復活しました。今でも手元で動いています。Minolta CLEも同様に復活しました。
プロ用機材と普及用機材の違いは、こんなところにあるのでしょうね。
こちらの記事によると、わずか1年間で北極の永久氷床部分が14%も減少しているそうです。
このような写真は説得力がありますね。
米国立大気研究センター(NCAR)は、2040年には北極の永久氷床は全てなくなるとの予測を出しています。
北極の氷床は熱を反射させるという役割を担っており、これがなくなる2040年以降から地球温暖化が更に促進してしまうだろうとのこと。
一度ポジティブ・フィードバックのサイクルに入ったシステムを元に戻すのはなかなか大変です。
これを回避するためには、例えば以前ここでご紹介したような「走れば走るほど空気がきれいになる車」のような、今までとは全く異なる発想のアイディアに、かなり大きな先行投資を行い、前倒しで世の中に導入していく必要があると思いますが、いかがでしょうか?
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